第8話 NATOの決断

2030年・ベルギー・ブリュッセル


NATO本部の円形会議室には、加盟各国の代表者たちが集い、沈痛な面持ちで互いに視線を交わしていた。

壁面のモニターには最新の衛星画像が映し出されている。そこには、焦土と化した長崎市街、そして厚く瓦礫が積もる札幌の郊外が写っていた。


「これは、もはや一国の問題ではない。」

NATO事務総長が静かに口を開いた。


「ロシアは北海道を実効支配し、南から中国人民解放軍が九州全土を掌握しつつある。両軍は中央突破を狙い、日本列島を挟撃しようとしている。これを許せば、インド太平洋の均衡は瓦解し、さらには…。」


重苦しい沈黙の中、ポーランド代表が手を挙げる。

「我々は冷戦期、ソ連の軍靴の下に暮らした。あの記憶を、再び忘れるのか? 日本を見捨てれば、明日はワルシャワ、タリン、あるいはベルリンが同じ目に遭う。」


フランス代表が反論する。

「だが現実を見てくれ。いま我々が日本に地上部隊を送れば、欧州に空白が生まれる。極東への軍事展開はロジスティクスの悪夢だ。パリの市民に説明できるのか? なぜ日本を守るために我が子が戦地に送られるのかを?」


会場がざわめくなか、イギリス代表が静かに言った。

「日本は我々の長年の友好国だ。法治、自由、人権。彼らは、我々と同じ“文明”を信じてきた。もしもそれを見捨てるなら、NATOとは何なのか。我々は、“共にある”と約束した。ならば今こそ、共にあるべきだ。」


わずかだが、拍手が起こった。


数時間に及ぶ討議の末、投票が行われた。

28か国中、18か国が「日本への限定的な人道的保護活動」に賛成。

軍事的支援ではなく、“人道的措置”として──決議は、可決された。


三週間後、日本列島──


東北の一部(岩手・宮城・福島)、中部~関西、四国の主要都市圏が「NATO人道保護区域」として封鎖された。

北はロシア軍により北海道全土が制圧され、南は九州全土に中国人民解放軍が展開。

西日本と東日本は“安全圏”によって分断され、太平洋戦争以来の「地上戦国土」となっていた。


NATOは避難民に対し、食料と医薬品、仮設住宅の提供を行った。

ただし保護区域に立ち入る者は全て登録制とされ、個人ID、生体認証、家族構成を提出する必要があった。

各所に設けられた避難所には、移動制限区域が設定され、出入りには二重の検問が設けられている。


豊橋市郊外の旧・小学校跡に作られた避難所。

スガワラの妻・ミサキは、娘のリカの手を握りしめながら、体育館の隅で毛布にくるまっていた。


「ママ、おうちはもう戻れないの?」

「ううん……きっと戻れるわ。パパが、戻してくれる。強い人だから。」


笑顔を作りながらも、ミサキの瞳には疲労と不安の色が滲んでいた。


配給は日に一度、乾パンと豆の缶詰。

医療チームはカナダやドイツのNGOがローテーションで対応していたが、医薬品は慢性的に不足していた。

仮設トイレの衛生状態は改善されつつあったが、深夜にはトラブルも多く、子どもたちは怖がっていた。


登録票に記されたQRコードを掲げなければ、居住ブロックの外に出られない。


「人道的」には違いない。しかし、それは「戦争ではない」というだけで、「平和」ではなかった。


子どもたちは、避難所に残された体育用マットで遊ぶ。

だが、大人たちは知っている。この安全地帯すら、決して永遠ではないことを。


保護区域の内と外──


境界線は明確だった。

NATOの旗が掲げられた地域では、避難民が支援を受け、最低限の人権が保証される。

だがその外では、スラム化した都市での略奪行為や犯罪行為。外国による侵略。


ロシアと中国は、すでに本州への侵攻計画を進めていた。

そしてアメリカは、関東圏を“保護”という名のもとに支配し、横田・座間・厚木・横須賀といったかつての米軍基地を拠点に再編を進めている。


いま日本は──

地図に描けない戦場と、境界線の上で揺れていた。



そして、、、このとき、まだ誰も知らない。


この“保護区域”ですら、数年後、再び火に焼かれることになるとは

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