単糸、線を成さず


 打ちっぱなしのコンクリートが不気味で、埃っぽい一室。電気も通っておらず、光源は持ち運び用のライトスタンド数台。その部屋の中心にいたいけな女の子――糸井つむぎは丸椅子に座らされ、縄で拘束されていた。

 

 布川、有田、度田どだの三名は、夜道に一人で帰るつむぎを連れ去った。口元に薬品を染み込ませた布を押し当て意識を奪い、車に乗せて。


 


「……ここはどこ」


「やっと、目覚ましたかー」


 つむぎの耳に届いたのは軽薄な声。視線を巡らせた先には、笑みを浮かべる布川の顔。スポットライトで顔を照らされ、つむぎは目を細めた。


「あんたらは? なんでうちは縛られてんの?」


 少しでも縄を緩めようと、つむぎは身を捩らせるが、よほど固く結ばれているのか、手首に痣を残すだけだった。


「僕たち、僕たちは――」


 おどおどした度田の声を遮るように、有田が手をひらりと振った。


「うっさい度田。めんどいことは全部布川に任せとけ」


「お前は……有田……!」


 有田の顔を見て、学生時代の記憶が甦る。つむぎが睨みつけると、有田は不敵に笑い、わざとらしく頭を下げた。


「どーも、久しぶり」


「お前、また来羅に手出したら許さんからなっ!」


「自分のことより、あの無能のことかよ」


「まーまー、落ち着いてやー。話聞いてくれたら、仲間には手出さんで済むんよー」


「仲間に手を出す……!?」


 布川の言葉につむぎは冷静さを取り戻した。しかし、後ろで挑発的な笑みを浮かべる有田を見て、敵意は更に跳ね上がった。


「聞く気になってくれたみたいやなー」


 布川の声がどこか気怠そうに暗い部屋に響いた。


「俺たちは“アウェイキング”。薬物の売買をしてんのやけどなー、最近君達、“リリッカー”の反対活動のせいで、ちと困ってんねんー」


「覚醒剤なんか使ってる奴らが悪い」


 自業自得と目を光らせたつむぎに、布川は一歩近付いて、耳元で囁いた。


「そんなこと言うてええのー? な・か・ま。どないなってもええんかなー?」


 つむぎの背筋がぞくりと冷えた。


「……何が目的?」


「簡単や。つむぎちゃんに覚醒剤の使用と所持で捕まってもらいたい」


「……!?」


 予想だにしない布川の提案につむぎの喉が詰まる。


「そしたら、旗頭のくせにっ! ってなって君ら下火になるかなー思って」


「断ったら……?」


「つむぎちゃん以外の誰かに頼むしかないなー」


「クソ野郎」


「うんうん。そないなこと知ってるよー。で、やる? 断る?」


 布川の声は軽い。しかし、つむぎの頬に触れたナイフの冷たさは本物だった。


「うちが引き受けたら、ホンマに誰にも手出さんといてくれるんやんな?」


「もちろんやんかー。嘘、つかんよー?」


 胸の奥に怒りと恐怖を抱えながらも、つむぎはゆっくりと頷いた。


「わかった……」


「ほな、じっとしててなー。ちょっとチクッとすんでー。度田、頼むわー」


「は、はい」


 度田は、つむぎの服の裾をナイフで破り、針を突き刺した。そして、覚醒剤を溶かした水溶液をつむぎの体内に注入していく。


「どー? 初めての感想は」


「んっ、んんんん…………!」


 突如、つむぎの全身に激痛が稲妻のように駆け抜ける。心臓を鷲掴みされたような感覚。血管という血管が燃えるように熱く、破裂しそうに浮き上がる。


「おい、様子変やぞ……

 度田、お前何したんや!?」


「ぼ、ぼくはこれ注射しただけやで」


 度田が手にしていたのは『シロガネ』入りの覚醒剤だった。


「おい、布川……

 こいつ新作使いよった……」


「だ、だって、大丈夫、大丈夫なんやって。新作もあとは人で試すだけって、布川くん言うてたやん!」


「やからって今試すかなー。

 それにしても、これは異常やわ……」


「うっ、うううううう!!!」


 つむぎは泡を吹き出し、痙攣。

 その拍子で丸椅子ごと床に倒れこんだ。

 そして、徐々に床が赤に染まる。


「なんやこれ……」


 つむぎを拘束していたはずの縄が、ひとりでに解けた。


「度田、有田。戦闘準備」


「「了解」」


 先程までのことが嘘のように、ピタリと痙攣が止まり、つむぎはゆっくりと立ち上がった。


「まじかよ……」


「バケ、バケモンや!」


「こんな効果、俺は知らんでー」


 “アウェイキング”の一同は変わり果てたつむぎの姿を見て息を呑んだ。


 彼女の眼球は真っ赤に染まり、耳と鼻からは血が噴き、喉から血の塊を吐き出した。ドロドロとした赤が彼女から流れ落ち、床に血の池を作っていく。そこへ弾けた縄が床に散り、溜まった血が飛沫しぶきをあげた。


「なんやこれ。めっちゃ力漲るやん」


 静かに呟くつむぎの瞳の奥には、異様な光が灯っていた。


「うちに何したんか知らんけど、ここでお前ら倒して、豚箱にぶち込めば全部解決やんな?」


「はっ! 兄貴おらんのに粋がんなや。お前なんか俺が一発でのした――」


 ほんの一瞬。

 一瞬で、有田は血を吹き出し、壁にめり込んでいた。

 血を吸い込んで朱に染まった縄が蛇のようにしなり、有田を吹き飛ばしたのだ。


「…………!」


「あ、ああありたくうん!」


 血反吐を吐く有田を見て、布川は喉を鳴らした。


「つむぎちゃーん?

 ちょっと座右の銘聞かせてくれる?」


「座右の銘?

 お前ら、あいつらの仲間なんか」


「あいつら……?」


「まーいいわ。教えたげる。うちの座右の銘は、“単糸、線を成さず”」


 縄が生き物のようにつむぎの周りを蠢く。床に擦れる音は、虫の群れが走るような不快な音を奏でていた。

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