不言実行
「今から、この彫刻刀を谷口に向かって投げまーす。男に二言はありませーん。有言実行しまーす」
そんときは本気でここで死ぬんやって思った。
べつに死んでええわって思った。
誰にも私の
そんときやった――私が初めてつむぎと出会ったのは。
ガラガラ――教室の扉が開く音がした。
「あんたらいい加減にしいや!」
勢いよく教室の扉を開けて現れた彼女は、彫刻刀を持つ有田の手首を捻り上げ、けたたましい声で捲し立てた。
クラスのみんなが息を呑んだ。
クラスのみんなが彼女に視線を注いだ。
教室内でパンデミックを起こしていた"いじめ"という病気が駆逐されていくのを感じた。
どうやらつむぎは、隣のクラスで私が攻撃されてるって聞いて、なんの関わりもなかったのに助けに来てくれた。
「あんたら全員揃いも揃って恥ずかしい。女の子一人に何してんねんっ!」
彼女の力強く、逞しい声に心打たれた。
みんなが持っている声とは違う。
揺るがない
たとえ、私に声があっても、きっと彼女のこの声に憧れるやろうと、そう思わせる音色をしてた。
「おい、こいつ隣のクラスの糸井や。こいつに手出したら、こいつの兄貴に殺される。有田、もうやめとこ……」
呆気ないほど簡単に危機はさってった。
「
私はあのときのつむぎの笑顔を今でも心にしまってる。
大事に、大事にしてる。
だって、私だけの
誰にもあげやんよ。これだけは。絶対に。
その日の放課後、私はつむぎと一緒に帰った。
つむぎの方から誘ってくれたんが、めっちゃ嬉しかったんを覚えてる。
約束してた門に着いたら、つむぎと泣く子も黙る
言葉と初めて出会ったのもこんときやったな。
「にいにも一緒に帰るけど大丈夫? 安心して。みんなが言うほど悪い人じゃないから」
私は頷いた。
本来なら、怖くて近寄ることもできん人やったけど、つむぎがおると不思議と恐怖は感じひんかった。
あの頃の言葉は今よりもずっと、人に怖がられてたのに、なんでやろな。
やっぱり、今考えてもつむぎって凄い。
「よろしく」
言葉は無愛想ながらも私に挨拶してくれて、私とつむぎを自転車の後ろに乗せ走り出した。
つむぎが言葉の肩を掴んで荷台に立ち、私はつむぎの脚にしがみついて荷台に腰掛け、三ケツした。
気持ちよく風に吹かれながら帰ってると、つむぎが私に語りかけた。
「来羅ちゃん、"不言実行"って知ってる? "有言実行"と違って、口には出さずに行動するってことやねんけど。うち、来羅ちゃんにピッタリやと思うねん」
「喋られへんからか?」
つむぎの膝蹴りが言葉を襲って自転車がグラついた。
「痛っ!」
「そゆことちゃう! にいには黙ってて!」
つむぎと言葉はもう出会ったときにはすっかり仲良し兄妹やったな。
気を取りなおすようにつむぎは優しく、私を見つめて言い直してくれた。
「ごめんな、ほんまにそういうことじゃなくて。うちな、"有言実行"よりも"不言実行"の方がかっこいいと思うねん。
今日のあいつらみたいに口だけの奴らはいっぱいおる。
でも、来羅ちゃんは違う。成績もいいし、一人でも黙々とやることをやり続けてきた。人よりも苦しいことが多くても、コツコツと頑張ってきた。
ほんまに凄くてかっこいいって、うちは思うねん」
胸が熱くなった。
ドクドクと高鳴り、キュっと締め付けられた。
今までのことが報われた。
あのとき死なんくてほんまによかった。
こんな幸せが私にもまだあったんやな。
つむぎがそんな気持ちにしてくれた。
傷つけてないかなと不安そうに私を見たつむぎに、私は力強く親指を立てた。
その日から、あからさまに私をいじめる人はおらんくなった。
多分、陰口もされてない。
谷口に手を出すと渋谷に殺される。
そんな噂を耳にした。
言葉と一緒に帰ったことが結果的に功を奏した。
私自身がタブーのような存在になったんかな。
クラスメイトは誰も私と関わろうとせんくなった。
やけど、それでよかった。
私が本来望んでた平穏を手に入れられたから。
そして、あの日からかけがいのない親友を手に入れられたから。
きっと私はつむぎと出会うために、交換条件として神様に声を捧げたんやと思う。
それでも使いきれんくらいのお釣りがくる。
だって、つむぎは太陽のように明るく、優しく、私を包んでくれた親友やったから。
つむぎが居れば、そんだけで良かってん。
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