雨降って地固まる


 皐月さつき時雨日々生しぐれひびきの視界から姿を消した。


 まるで雲の中にいるみたいに視界が悪くなった。

 いや、時雨は実際に濃縮された雲の中にいたのだ。


 ――暗くなってたのは皐月が雲を生み出して、それがどんどん濃くなってたからか。単なる物理現象ってのはこういうことか……。


「正解」


「……!」


 突然、時雨の目の前に現れた皐月は、痛烈な前蹴りを時雨にお見舞いした。

 しかし、声を聴いたと同時に、その音源の近さから警戒した時雨は後方に飛んで、回避していた。


 普通の人間では間に合わないタイミングの蹴りを避けれたのは、今の時雨は皐月が降らした雨により、銘力の発動条件を満たしたからだ。


「さすがやな日々生! 今の避けるんや!」


「なんでや皐月! 俺たちがもう戦わんでいいことは、俺の中覗いてわかったやろ! こっちに敵意はないねん! もうこの戦いに意味はないやろ!?」


「意味ならある。自分がクルー以外の銘力者めいりょくしゃに、どこまで通用するんか知りたいんや」


「なんで、そんなことする必要あんねん。後でいくらでも相手するから、今は上に戻ろうや!」


「俺らの目的のためや。それに、本気でやるには今しかないやろ? 日々生、何をそんなに恐れてるん?」


「俺は不必要に戦いたくないだけや」


「ちゃうな。ん? あー、そういうことか。がっかりやわ。お前偽者やん」


 皐月は銘力を使い時雨の心を読み、落胆したように溜め息をついた。


「怖いんやろ、知ることが。海の広さを知ることが」


「……」


「そうか、日々生も銘力者との実戦は初めてか。せっかく手に入れた特別な力、特別な仕事、特別な仲間。負けたら全部失って、また昔に戻るかもって。自分が弱いかもしれへんってことを知るのが怖いんや」


「黙れ……」


「せっかく、今充実した生活を送ってるのに、またあの頃に戻るのが怖いんや」


「黙れ」


「ちょっとそれは、ダサいんちゃう?」


「黙れっ!」


 時雨がけたたましく吠えた。

 時雨の目に闘志がたぎる。


「なら、黙らせてみいや。日々生の力で」


 そう言うと皐月は攻撃の態勢に入った。

 時雨が戦う気になってくれたことを、能力で確認したからだ。

 

 先程の攻撃時は声を出したことにより、時雨に防がれてしまった反省を活かし、皐月は無言で時雨を無慈悲に殴りかかる。


 チャパン


「そこかっ!」


 二人の顔に拳がめり込む。

 相打ちだった。


 拳は同時に互いの顔を捉えたが、銘力で身体能力が上昇している分、時雨のパンチの威力は増している。

 

 皐月の方がより大きなダメージを負った。


 (殴るときに水溜りを踏んだ音で、日々生に俺の居場所がバレたんか。なら、次はこれでどうや)


 ポタポタポタポタポタポタ


 ポポポポ……ザザザザザ!


 路地はより一層黒を深めた雲に覆われて、雨足が強さを増していく。

 耳を疑いたくなる大きな雨音で、水滴が地面に打ち付けられる音以外何も聞こえない。


(これで、日々生も音で判断できひんやろ。能力で日々生の場所と考えがわかる俺の方が有利。

 次は、あの反応速度をどうするか。まともにやっても良くて相打ち。それなら……)


 雲が埋め尽くし、一寸先も見えない路地裏。

 雨音が激しく、周囲の音も殆ど聞こえない。

 時雨は五感を研ぎ澄まし、皐月からの攻撃に備えていた。


 ――皐月は策を講じて挑んでくる。この場を支配しているのは皐月で、視界を奪われた俺はその策を正面から迎え討つことしかできひん……。


((次で終わらせる))


 両名の意見が合致した瞬間――時雨に向かって、男性の拳大の黒い影が飛んできた。


 ――皐月のパンチか!


 時雨は強化されている視覚で影を瞬時に捉え、凄まじい反射神経で左ジャブを繰り出す。

 時雨のジャブが当たり、影が姿を現した。


 ――石……?


 時雨の拳が石を粉砕し、破片が飛び散る。


 ――皐月は、あいつはどこや!


 ズドンッ!――まるで軽トラックが突っ込んできたようなタックルが時雨を襲った。


 ――……。


 時雨の一瞬の思考に合わせた完璧なタックル。

 時雨を転倒させ、そのままマウントを取り、戦闘不能に追い込み、勝利を掴み取る。

 それが皐月の描いた作戦だった。


 しかし、それは机上の空論で終わる。


(び……びくともしやん。室内では簡単に吹き飛ばせたのに、これが銘力……! 日々生が、どんな急流にも流されへん岩石みたいや……!)


 時雨の腰の後ろに手を回し、突撃した皐月。

 

 しがみついている皐月の首下から、時雨は右腕を回して締め上げた。


「皐月、お前の負けや。タップしろ」


「お、男は……っ、負け……まで……降参ぬんか……しぃひん、ねん………………」


「潔く負けを認めろ!」


 四肢を振り回し、抵抗していた皐月だったが、脳に血液が不足し、そのまま気絶した。


「お前ばっかりせこいやんけ。俺にも、お前が何考えてんのかちゃんと教えてくれや……」


 雲は晴れ、月明かりが時雨と皐月を覗いていた。


 ***


「お〜い、さつき〜、起きろ〜」


 時雨に頬をペンペンと叩かれて、皐月は目を覚ました。気がつくと皐月は路地裏に面するクラブの裏口の段差に座らされていた。


「よかった、起きたか」


 数秒もせずに、皐月は全て理解した。

 自分が目の前の男に負けたことを。


「完敗や」


 皐月は時雨にあと腐れない笑顔で言った。その顔に敗戦の影はない。


「聞かせてや、なんで戦うことにこだわったんか。皐月の言うてた通り、たしかに俺は恐れてた。

 けど、本気で不必要な戦いをしたくないとも思ってた。そのことを、お前ならわかってたやろ?」


「うん」


「なら、なんでや。目的ってなんやねん」


「どこから話せばええかな。この話色々と長なんねん」


「どっからでもいい。聞かして」


 皐月は自身が腰掛けている、濡れた冷たいアスファルトの段差を優しく撫で、寂しそうに口を開いた。


「俺ら"リリッカー"の目的は"アウェイキング"っていうドラッグの販売組織を潰すことや」


「ドラッグの販売……」


「色々調べていくうちに、この組織にはどうやら俺らと同じ、不思議な力を持つ奴らがおるらしくてな。それで、そいつらに負けへんために知りたかった。自分がどんくらいできるんかを」


「そいつらや……」


「何が?」


「ここに来た目的、俺達が探してる銘力者はきっとそいつらや!」


 時雨は皐月の肩を担いで、急いでVIPルームへと向かった。

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