沈む重低音


 パリィン――何かが割れる音がした。

 

 きょう言葉ことはの不安を駆り立てる。そんな音だった。


 流師ながしの足元にはクライナーの瓶の残骸が散らばり、床は濡れていた。

 先程、響の攻撃を受けて膝を付いたときに、カーゴパンツに忍ばせた小瓶を手に潜ませて、それを割ったのだ。


 流師は愛用のスキットルを普段の装備と共に特課ビルに置いてきていた。

 その代わりに、フロアでクライナーを調達していたのだ。


 割れた瓶にきょうの注意が向いているうちに、流師はパンツのサイドポケットから瓶を3本取り出し、響に投げつけた。


 ドン! パリィン、パリィンッ――響が強く足踏みをすると重たい低音が反響する。

 その振動で流師により投擲された瓶は空中で大破した。


「やはり音による攻撃ですか……少し厄介ですね」


「早くお前の力も見せへんと、終わるぞ」


「もう見せていますよ」


 流師は不敵な笑みを浮かべた。

 

 流師の笑みに釣られて、響はあたりを見渡す。

 だが、何も異変は見つからない。


「心理戦か?」


「いえ、私は謙虚に生きることを信念にしているので、嘘はつきません」


 ――嘘はつきませんが、手の内も明かしませんよ。


 ドンッ――鈍い音が響の背中から鳴った。


「なにっ!?」


 突然、背後から殴られた感覚に響は襲われ、跪いた。

 痛みを感じた方に振り返るが、何が起こったのかさっぱり理解できない。

 しかし、間違いなく攻撃を受けたのだ。

 おそらく目の前の長身の男――流師によるなんらかの攻撃を。

 分からない。分からないが、分からないことが響の知的好奇心をくすぐり、闘志に火をつけた。


「おもろいな。お前」


「それはどうもありがとうございます」


 離れて二人の戦いを見ていた言葉ことはは気付いていた。一体何が起こったのかを。流師が響に一体、何をしたのかを。


 一見して、どこにも異変はない。

 だが、注視すれば誰でも気付く。

 まるで間違い探しのような、ある変化に。


 (流師はクライナーを響に投げて、響の視線を上に誘導した。その隙に、流師が最初に割って床を濡らしていた液体を、響の背後へと床を這わせて移動させた。

 

 さらにそこから、視線誘導のために投げたクライナーを響が音で割った瞬間。巧みにその破片の影に液体を紛れ込ませ、液体を操作して瓶の破片ごと響の背後に移動。そして、元々後ろに集めてた液体と融合させた。

 

 結果として、子供の手ほどの大きさに膨らんだ水球が響の後ろで形成され、流師の操作によって響の背後から強襲を仕掛けた。

 

 そして今、水球は響の後方の死角となる位置に浮かび、流師の指示を待ってる…………)


 これが、言葉が目の当たりにし、響が全くわからなかった流師の攻撃の全貌、カラクリだった。


(こいつ、慣れてるなんてもんじゃない。戦闘中に今のことに気付く自信は俺にもない。間違いなくこいつはプロ……!)


 言葉の流師に対する警戒度は著しく跳ね上がった。だがしかし、言葉は決して響に一連の流れと、敵の力について教えることはしない。なぜなら、これは響と流師の戦いであり、言葉が介入する余地などどこにも存在しないと考えていたからだ。


 そして何よりも、そんなことをせずとも響が勝つと言葉は信じて疑わなかった。


「さっぱりわからん。でも、存分にやってええ相手ってことはわかったわ」


 そう言うと響は、ドンドンドンと足音を響かせながら、流師のもとへ走り込んできた。


 ――わざと足音を? また、音の攻撃ですね。


 最初と同じ。響の音による攻撃。

 まるで三半規管をシェイクされるような攻撃だった。

 だが流師は、先の攻撃で響が怯んでいる隙に着用していたタンクトップをちぎり、忍ばせていたクライナーで湿らせて、耳栓代わりにしていた。

 

 そのおかげで、流師は先ほどのように膝を付かずに戦うことを可能にした。

 しかし、効果は軽減程度で戦い辛さに変わりはなかった。


 ――さすがに、完璧には防げませんか……。


 用意したクライナーは、カーゴパンツのサイドポケットに2本ずつと、後ろの両ポケットに2本ずつの計8本。

 耳栓用に使ったのも含めて、残り4本。

 小瓶一本あたり20mlとしても、合わせて160mlにしかならない。


 ――彼相手に、これで足りるでしょうか。


「もう力はお終いか?」


 激しい近接戦の応酬の中、響が声高らかに告げる。


 流師が上手く攻撃を受けても、反撃しても、響と接触するたびに音が生じた。

 その響から生じる音の振動が流師の骨の髄まで響く。

 そして、流師は身体の芯からダメージに蝕まれていった。


「長期戦は不利ですね。仕方がありません」


 持久戦が不利と判断した流師は、響の後ろで待機させていた水球を操る。

 様々なクライナーが混じり合い、カラフルな水玉は響の後頭部目掛け突撃を開始した。


 ――残念ですが、これで決着です。


 ドォン!――水の塊は一直線に床にぶつかり、大きな凹みを作った。


 ――……!?


 響は死角からの一撃を身体を半身逸らし、最小限の動きだけで回避したのだ。

 まるで後ろに目がついているかのように、流師の必中の一撃を避けた。


「ソナーの応用や。なにをされるかわからんのなら、音を出して無差別に探った。案外すぐわかったわ」


「お見事……ですね」


「お前、心臓のBPMかなり上がってきてんぞ」


 響は左手を耳に当て、流師を挑発した。


 ――下手な温存は、命取りですね。

 

 流師は後ろポケットに手を伸ばし、用意してある残りの瓶を全て破壊した。


「すべて把握されるなら、もう隠す必要もありません」


 そう言うと流師は、全ての液体を自身の手元に集めた。

 集まった溶液は、成人男性の拳程度の大きさになる。  


 ――これでは、彼相手には心許ないですね……。


「水を操るのは凄いな。でも、生成できひんのが残念や。その小さい水玉でどうする? 水遊びでもするか?」


「全くです。自分で生成できれば、こんな苦労もせずに済んだかもしれません」


 流師は不気味に微笑んだ。

 それはまるで、もう勝ちを確信したかのように。


 ゴゴゴッ……!――建物が大きく揺さぶられる。


「こんなときに地震か?」


 響は自分の声を反響させ、あたりを調べた。

 音の出所を把握し、顔が青ざめる。


「お前、何したんやっ!」


 響は冷静さを失い、大声を上げる。

 それは音の反響により、巨大な何かが地下から押し寄せてくるのを察知したからだった。


「今、私の手元にある水量を見て安心し、気が緩みましたね? 私の戦力がこれだけだと思い込んでしまった」


「……」

 

「作り出せないのなら、既にある場所から持ってくればいいのです」


「水道か……」


「正解。花丸を差し上げます。それでは」


「初めての花丸がこれかよ」

 

「呑み込みなさい、《水龍のロックドラゴンジェイル》。流れに身を任せて」


 床を突き破り現れた、大量の水で構成された龍の頭部は響を呑み込み、彼を捕らえた。


「っっっっっっ!」


 水中で、響は大声で叫ぶ。

 まるでスピーカーの上に水を乗せたように、龍の外縁は波打った。

 だが、響が龍の口から開放されることはない。

 堅牢な水獄からは誰も逃れることはできない。


「確かに、水は低音の伝達に優れています。しかし、この水量に対して、今のあなたの力では効果が薄いようです」


 流師は水龍の頭部にゆっくりと歩み寄りながら、話を続ける。


「仮に効果的な出力をあなたが出せたとしても、私が常に水流を操っているので、逃げられることなどできません。あなたには聞こえていないでしょうが」


 やがて、龍の外周は波打たなくなり、響は意識を失った。


 響が意識を失ったことを確認し、流師は技を解き、響を開放した。そして、静かに二人の戦いを見守っていた言葉に声をかける。


「では、次は言葉さんですか。私はなるべく戦いたくはないのですが」


「やらん。響が負けた時点で終わりや」


「そうですか。てっきり、敵討ちでもするのかと」


「これは響とあんたの戦いや、それに死んだわけでもない。こいつは自分の借りくらい、きっちり自分で返す」


 そう言い放った言葉からは、静かな憤りを感じる。


あいつの音はどうやった?」


「最高でした。特に重低音が素晴らしいです」


 床に伏し、ガハガハと水を吐き出す響を見て流師は穏やかに答えた。もうそこに戦いの色はない。


「せやろ」


 言葉の僅かに見える口元が緩んでいたのを、流師は見逃さなかった。


 こうして、流師対響の戦いは、流師勝利で幕を閉じた。

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