第8話 二兎追うもの...得ず

セナ君と別れてから、ロスとは口を聞いていない。

無言で腹を満たし、頭上の月を眺めていた。

夜風が連れてくるのは、癒しだけじゃない。

足元が崩れるような圧迫感もだ。

時はどんなに願っても待ってはくれない。

確実に刻一刻と進み続ける。

僕たちをここに取り残して。

「ロス。ごめん。」

彼を見る勇気もない僕はそっと呟いた。

ロスは聞こえていないのか黙っている。

まあいいか...。

そう切り替えた途端に返事が返ってきた。

「心にも無いことを気安く言うな。」

彼の表情を見なくても分かる冷たい声。

「ごめん...。」

僕は一体何に対して謝っているのだろう。

この諍いの発端は僕の言葉だった。


"決行は明後日だ"


アイナさんを救う為にはそれ以外の選択肢は無かった。

ロスは何がそんなに気に食わないのだろうか...いくら考えても分からない。

頭を悩ませていると、一際低いロスの声が耳に入る。

「ソルトは、彼女か彼女の母...どちらか一方しか救えないとしたらどちらを取る?」

ふっと顔を上げると、ガラス玉のような瞳が炎に揺れていた。

「僕はユナを救う。だけど、アイナさんを救えなければユナは救えない。」

「...お前は昔の俺に似ているんだ。」

月光を仰ぐように見上げたロスの横顔は、消えてしまいそうなほど弱々しく、息を呑んでしまうほど哀愁に満ちていた。

遠くの星に語りかけるようにロスは静かに言葉を紡ぎだす。

「俺は今でも後悔していることがある。

死ぬ必要がなかった命を俺のせいで亡くしたんだ。あれは3年前...。当時23歳だった俺は、隣国の制圧を任された。その国は砂丘に囲まれたアルマン大国の10分の1程の小さな国。人口も三千人程で国土も小さい為、長らくは野放しにされていたが、今後の領土拡大に当たって必要不可欠な立地だった。

当時、多岐に渡って戦を繰り返していたアルマン大国が弱小国家に裂ける兵力には限りがあった。

そこで指揮を任されたのが俺だ。文句を言いたい気持ちを堪えて、俺は千の兵士を携えて隣国に攻め入った。

6日間に及んだ抗争の末...無事に敵国を制圧する事が出来たが、その代償として約半数の兵士が傷を負う事態となった。俺は、負傷した部下たちをその場に置いていくことは出来ずに連れて帰ると決断した。若さゆえの甘さだ...。

負傷者を抱えることで軍の足取りは遅くなり、兵士たちも次第に疲弊していった。

そして、自国を目前に敵国の残党に追いつかれた。俺は先頭を切り無我夢中で目の前の敵を切り倒した。いくら仲間を鼓舞しても、その返事は返ってこなかった。それでも仲間を信じて前だけを向き続けた。

ずっと嫌な予感はしていたんだ...。その恐怖はすぐに虚無感へと変わったよ。最後の残党を切り捨て振り返ると、広がっていたのは無数に転がった死体の山。青い空にうんざりするほどの血の海。敵も仲間も誰一人としてその場には立っていなかった...。俺が殺したも同然だ。

あの時、見捨てる決断を取れたら、救えた命が沢山あった。

お前には同じ思いをしてほしくない。だから、現状を見極めるんだ。神でさえ全ての人を救えやしない。なら俺たちは選ぶしかない。

最も救いたい者を救うための道を...。」

今にも崩れて消えてしまいそうな姿。

なんて似合わないんだろう...。

僕が見てきた彼の強さの内側は僕とそう変わらないじゃないか...。

「僕だってずっと後悔してた。だけど、今はその後悔が僕を前に進ませてくれている。

ロスだってそうでしょ?後悔せずに生きていくことは僕には出来ないと思う。だから選ぶよ。

救わなかった後悔よりも、救えなかった後悔を...。」

僕はアイナさんを救おうとして全てを台無しにするかもしれない。ロスの命も、セナ君の未来も...そしてユナの人生をも。

「ちゃんと背負って生きていく。どんな結末を迎えようと後悔しながら生きていく。」

「もう何を言っても無駄なようだな...。俺は忠告はした。だから、俺が後悔することはない。ソルトが好きなようにすればいいさ。」

フッと柔らかな表情を見せるロス。

言葉にしたことでか張り詰めていた緊張の糸が解けた。

ぐいーっと伸びをする。

「僕の優先順位は王の座を奪うこと。そして次にアイナさんの安全の確保。そして最後にセナ君を守り抜くこと。」

悪戯っぽくロスを見つめる。

「ハッ。俺が最も優先するのは自分の命だ。不可能だと感じたら真っ先に姿を消す。悪く思うなよ?」

「思うもんか!どんな最後になろうが、僕は君のおかげでここまで辿り着いた。それは変わらない!」

ロスは少し照れ臭そうに鼻を掻いた。初めて見るお茶目な表情。

「この戦いが終わったら必ず弟くんの元へ連れて行くから。」

「やっと会えるんだなテリウス...。」


奇跡は起こるだろうか、僕らの未来に。

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