外伝:「ZERO」

シェリル・グレイはまだ小さな少女だった。

暑い夏の日、教室の片隅でじっと缶ジュースを見つめている。

汗ばむ手のひらでそっと触れると、缶の表面に霜がつき、ひんやりと冷たくなった。


「えっ!? どうやったの?」


そばかすが目立つ、冴えない眼鏡の男の子が訊ねた。


彼女はいたずらっぽく笑って答えた。


「秘密。でも、飲んでみて。」


男の子は缶を受け取り、一口飲む。


「めっちゃ冷たい!すごいよ!」


彼女はまだ自分の能力を完全には理解していなかった。

冷たくする力だと思っていた。

エアコンが苦手な母のために、部屋の空気を冷やしたり、凍らせた池を歩いて学校まで近道したり。

ちょっとした悪戯も楽しんだ。

いじめっ子の靴を地面にくっつけたり、近所の狂暴な犬を氷漬けにして驚かせたり。

普通の子どもと同じように。



***


時は流れ、グレイは成長した。

自らの能力を活かし、街を守るヒーロー〈グレイシャ〉として活躍する日々が始まる。

彼女の氷を操る力は、犯人の拘束や災害現場で大いに役立った。

共に行動する警察からも一目置かれ、頼りにされていた。


ある日、彼女は呼び出され、とある大学の研究室に向かう。


「よく来てくれたね。」


迎えたのはジェフリー・ホワイト。

幼い頃からの幼馴染で、今はボーイフレンドだ。

かつては、いじめっ子を懲らしめる彼女の後ろをついて回るヒーローオタクにすぎなかったが、今では超常現象サイキック能力を専門に研究する大学院生。

ワックスで髪を整え、筋肉質な体を白衣で包んだ好青年に成長していた。


「事件さえ無ければ、いつでもお手伝うよ!」


シェリルは少し赤くなりながらも、親指を立てて応えた。


指示に従い、彼女はじわじわと能力を起動させる。

彼が設計した特殊な検査装置の中で、徐々に結露が広がり、冷気で白く染まっていく。


ジェフリーはパソコン画面を見つめ、興奮気味に声を上げた。


「やっぱりだ!!」


「やっぱりって何よ?」


「君の能力さ!これは"冷やす"能力なんかじゃなかったんだ!!」

「分子自体が運動を停止しているんだ!ホラ!これみてよ。」


「分子の運動?」


彼はキーボードを叩きながら、多様なパラメーターを見せながら熱っぽく語る。

彼女には難しくてちんぷんかんぷんだ。


(カッコよくなっても、こういうところは昔のままなんだから…)

彼女は小さく呟いた。


「つまり、君はあらゆるものを止められる。

走ってる車も、飛んできた弾丸も、強く念じればピタッとね!」


彼の目は好奇心で輝いている。

その熱意が、彼女にはどうしようもなく愛おしかった。


「もうわかったってば。私は最高ってことね。」


にっこり微笑むシェリルに、ジェフリーはへたくそなウインクで返した。


「まったく、君がヴィランじゃなくてよかったよ。

もしそうなってたら、世界は一巻の終わりさ」


「えー、じゃあヴィランになっちゃおっかなー」


夜は温かく、静かに更けていった。




とある町工場の休憩室。

天井からぶら下げられたテレビモニターに、ニュースが映し出されている。


《またまたグレイシャ!お手柄だ!》


町のヒーローを讃える声が流れる。


「おい、彼女お前の同級生じゃなかったか?」


いじわるそうな男が、食事中の男の肩を叩いた。

その叩き方は親しみとは程遠く、力を込めた悪意あるものだった。


驚いた男は、手に持っていたサンドイッチを落とす。


「オイ、ネイサン。彼女のこと紹介してくれよ。俺、ファンなんだ。」


また別の男が、声をかける。

その言葉の端々には棘がある。


「黙ってねーでよ!」


正面からもう一人の男が落ちたサンドイッチを踏みにじりながら言う。


「おっとすまねえ。わざとじゃねえんだ。」


薄ら笑いを浮かべながら、手をひらひらさせる。


「あーあ、またやってるよ。」


そんな声も聞こえた。

周囲の同僚たちは煙たそうに、いつもの光景を傍観するのだった。


(もういい……)


「もう限界だ……」


思わず漏れた声。

彼の瞳が漆黒に輝く。


ぎゅわぁぁぁあああん!!!!


空気を裂くような轟音とともに、天井から破裂音が響く。

続いてドスンドスンと鈍い音が鳴り響いた。


彼の周囲にいた男たちが、まるでトマトのように破裂した。


「ひっ…!」


息を呑む声があちこちから上がる。


「もう全部、壊れちまえよ……!!」


うなるように呟いた。音が次々と空から迫る。


「うわぁぁぁぁああ!!!!」


天井を突き破り、小さな何かが降り注いだ。

騒音と血煙が一帯を包んだ。




《緊急ニュースです!町にヴィランが出現しました。

工場周辺の住民は直ちに避難し、安全確保をお願いします。》


《ヴィラン名はフォールン。小隕石を降らせる能力を持つ模様。》


フォールンの怒りと憎しみに呼応するように、潜在能力〈メテオ〉は最悪の形で発現した。

彼の心の傷を映し出すかのように、小さな隕石を次々と降らせて、町を破壊して回る。

その目は、最も深い悲しみを刻んだ母校へと向けられていた。


学校には逃げ遅れた教員や子供たちが残っている。


グレイシャは現場へ急行した。

歩みを進める一人の男に気づく。


黒髪で無表情の男、それはかつての同級生だった。


「ネイサン……ネイサン・ブラック?」


彼は学生時代、吃音や暗い性格のため孤立し、いじめられていた。

職場でもそんな扱いは変わることはなく、次第に世界すべてに絶望した。


「やめて!」


グレイシャは母校の前で彼に叫ぶ。

スプリンクラーの水を凍らせ、フォールンの身体を瞬時に拘束した。


「グレイシャか……」


「同じ学校で、同じように能力に目覚めたのに、なぜこうなったの?」


問いかける彼女に、フォールンは目を伏せて呟く。


「もし君が友達だったら、違っていたかもしれないな…でも、もう遅いんだ。」


怒りに駆られた彼は巨大な隕石を呼び寄せる。

約50メートルの隕石は、着弾すれば半径1キロに被害をもたらす。

自らも巻き添えになる、悲壮な復讐の一撃だった。


グレイシャはジェフリーの言葉を思い出す。

これは単なる冷却能力ではない。周囲の分子の運動を止め、時間さえ凍らせる力だと。


「私なら、やれるッ!!」


両手を隕石に向け、全身全霊で力を込める。


(ジェフ、私に力を貸して!)


指先から凍りつき、感覚が徐々に失われていく。

呼吸さえ凍るような感覚の中、彼女は歯を食いしばる。


巨大な隕石はゆっくりと校舎の屋根に突き刺さった。

だが熱も勢いも失われている。

鈍い音を立て、間を置いて完全に停止した。


校舎の子供たちは歓喜し、安堵の声を上げる。


しかしグレイシャは氷の彫像のように動けなくなっていた。

彼女は心臓ごと凍り付き、命を完全に停止させていた。

子供たちを守り抜いたのだ。


フォールンは手錠をかけられ、静かにパトカーに連れて行かれる。


「どうして……」


青白い顔でかすかに震える彼の声。


子供たちは静かに氷に閉ざされたヒーローを取り囲み、涙を流した。

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