11:排他的論理和(Exclusive OR)

 騒動のさなか、建物の影に身をひそめながら、カワズはじっと事の成り行きを見ていた。


(せっかく正義ヅラの馬鹿をロクショウにぶつけたってのによぉ…

 仲良くメシなんか食いやがって)


 苦々しい思いを嚙み潰す。

 だが次の手も打ってある。


(飲み屋街をふらついてたジャンキーをけしかけてやった……

 これでアイツもしめーだ)


 だがその目論見も、あっけなく崩れ去る。


「クソッ。バケモンがよ…」

 思わず悪態が口をついた。


 その返事代わりに、音もなく影が忍び寄る。


「いッ、いてェ!!」


 影はカワズの腕をねじり上げた。


「ロクショウ様」


 カワズの腕を万力のように締め上げたまま、女が静かに名を呼ぶ。


「おう、アヤセ!調べは済んだようだな。」


 アヤセがカワズを引きずりながらトーカ達の前へ現れた。

 スーツを着た長身の女性、引き締まったシルエットと、油断のない表情。

 ただ物ではない印象を受ける。


「はッ」

 アヤセは睫毛を伏せ、軽く頭を下げる。


「話せ。」

 とロクショウは短く命じる。


「現場の状況から、ツナギ氏が関与したとみられる痕跡は見つかりませんでした。

 やはりあの周辺を以前から徘徊していた、天使の仕業のようです。」


「ふむ」

 ロクショウは咥えたタバコに火をつける。


「そういう話だが、どう思う?カワズ」


 ロクショウの漆黒の視線が、カワズを刺す。


「ちッ、違うんですよ。組長……」


 言葉は弱弱しい。

 もはやこの場をやり過ごす手段はない。


「もうこの件でお前と話すことはなにもねえよ」

 からりとした表情でロクショウがそう言った。


「ケジメか、今この場で死ぬか、選べ」


 カワズは脂汗を流しながら押し黙る。

 目はせわしなく泳ぎ、息は整わない。

 そんな様子を黙ってロクショウは見ている。


 その場の誰もが空気に飲まれて、見守ることしかできない。


「ケッ…ケジメで…」

 蚊の鳴くような声。


 ロクショウがすっと腕を上げた。

 ツナギが不意にトーカの目を塞いだ。


 ――次の瞬間


「うぎゃぁぁあああああ」

 絶叫。


 空中を鋭い光が奔ったと思った時には、既にカワズの腕は宙を舞っていた。

 アヤセのスーツの袖口が破れ、義手の内側から鋭利なブレードが展開されている。


 その先端からは赤いものが滴っていた。


 アヤセがそのままブンと腕を振るうと、血糊が路面にパッと散った。

 刀の血を払うと、バシンとまた腕の中に折れるように格納される。

 アヤセは汗一つかかず、何事もなかったかのように澄ましていた。


「血止めしてやれ。」


 カワズは青白い顔で何やらうめきながら、肩で息をしている。


「今回の件はコイツで手打ちってしてくれるわけにはいかないだろうか」


 ロクショウは散歩でもするかのようにカワズの腕を拾い上げると、ツナギに向かって掲げた。


「ああ、それでかまわない。」

 腕の中で大人しくしているトーカに変わって答える。


「迷惑をかけて申し訳なかった。」

 ロクショウが深々と頭を下げた。


 アヤセはカワズを伴って、どこかへ行ってしまったようだ。

 ツナギはトーカをそっと離しながらロクショウに問いかける。


「この件に関してはもういい。だが、ひとつ問いたいことがある。」

 そう言って、老人から購入した注射器をロクショウに向かって放った。


「この麻薬をばらまいてるのは――あんたら鉛會じゃないのか?」


 ロクショウは、怒りも困惑も浮かべず、ただ薄く笑う。


「おう、そうだな。言い逃れはしねぇよ。」

 その声に迷いはない。


「ウチが作ってる。売ってる。……流通にも関わってる。

 錆って言うんだ。」


「せっかく秩序を守ってる風を装って、裏じゃ毒を回してるってわけだ。」


「だったら見てな」


 言うが早いか、ロクショウは自らの太ももに投げつけられた注射器を叩き込むように差す。

 シリンダーがカシュッと音を立てて迅速に薬液を流し込んだ。


「……!」

 トーカが、息を呑む。


「錆はな、安物だ。ウチの持ち込み設備で、まともな精製ができてるとは言えねぇ。

 けどな、それでもコレがなきゃ、地べたを這うような改造者どもは、生き延びられねぇんだよ。」


 黙っていると、ロクショウは続ける。


「この施設の出してるNIL自販機の“正規品”は確かに効くさ。

 神経の疼きも抑えるし、幻肢痛も収まる。

 だがな、一箱数万。誰が買える?」


「……」


「一度でも改造を入れた奴はな、元には戻れねぇんだよ。

 失ったはずの手足の神経の悲鳴、繋いだ箇所からから腐っていく身体。

 当たり前だ。人間は機械じゃねぇんだからな。

 これを抑えるにはコイツに頼る他ねェぜ?」


 要はな、と前置きし

「ツナギ。これはお前の腰に差してる銃と同じさ」

 

 ロクショウは手にした注射器でツナギの腰の拳銃を指す。


「……何?」


「銃自体が悪いわけじゃねえ。扱う奴がどうかってだけの話。

 真っ当な薬だって、飲みすぎりゃ毒なんだ。

 それをうまくコントロールできるかってことだろ。」


「もっとも、銃にも暴発のしやすさってのはあるがな」


 注射器を地面に落とす。

 パリンとガラスの砕ける音がした。


「安い薬で延命できるやつがいる。

 今日一日、死なずに済むなら、それでいいってやつもいる。

 ……血がドロついてようが、内臓にきてようが、関係ねえんだよ」


 ツナギは、握っていた拳をほどきながら、言葉を探すように息を吐いた。


「それでも、お前は麻薬を……肯定できるのか?」


「できねえよ」

 ロクショウは、間髪入れずに答えた。


「できねえが、やらなきゃ目の前で死ぬ奴がいる。

 命ってのは、正しさだけでまわっちゃくれねえんだよ」


 時折苛立ちが混じるようにロクショウは語る。

 言葉の端から感じられるのは、静かな諦観だった。


「選択肢をくれてやってんだ、ウチは。

 地面に転がる死体になるか、薬漬けでも明日を見るか。

 ……それを“悪”と呼びたきゃ呼べばいいさ。

 俺はとっくに呼ばれ慣れてるけどな。」


 ツナギは何も言い返さなかった。

 ただ、トーカが地面を睨みながら、言葉を吐いた。


「……それならもうしょうがねえんじゃねえか。」


 ロクショウは、かすかに笑った。


「痛みを背負うかどうか選ぶのは、そいつ自身だ。

 俺がどうこうする領分じゃねえな。」


 言い終えた彼の背には、昼の光と、

 いつの日のものともわからない血の匂いが混ざり合っていた。

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