ぺこぺこさん
かたなかひろしげ
俺の好きな人
何を隠そう、ウチの会社のお局様は経費を堂々と私用で着服している。
とはいえ、そもそもウチの会社は小さな小さな地方の零細企業であり、お局様は社長の愛人だというのは社内では公然の事実となっている。
だから、経費を使い込んだからといってそれを咎めることの出来る人はいない。過去に正義感を発揮して咎めた人達は、あれこれと会社と揉めたあげく、退職していった。地方の家族経営の会社ではよくある話である。コンプラどこいった。
「冷蔵庫にまたお高いケーキが入ってるみたいだねえ」
事務所の冷蔵庫に自分の麦茶のペットボトルを入れていた所長が、俺の席の方を向き、忌々しげにそう呟いた。
「またそんなこと言って。こないだお局様のいない隙に、彼女が秘蔵してた高級プリンをこっそり食べたばかりじゃないですか。あの時は、冷蔵庫の前に監視カメラを付けよう、って騒ぎ出して大変だったの、所長もまだ覚えてますよね? 二人でご機嫌とって誤魔化すのに一週間もかかったじゃないですか」
今思い出してもあれは本当に面倒だった。よもや所長もあれを忘れているわけではないだろう。
「わははは。あれはでも中野君も一個食べたんだから、共犯だよ、共犯」
確かに俺はあの時、所長に笑顔でプリンを差し出され、警戒せずに食べてしまったのだ。すっかり美味しく食べ終わってからお局様の買ったプリン様であることをバラされ、俺はすっかり共犯者にされたのだ。所長もなかなかの策士である。
「とはいえ、タクシー代もケチってる現状で、ケーキを頻繁に買われるのは流石に困るなあ……」
所長は頭の上に両手を乗せて、大げさになにかを考えはじめた。
「あー。ぺこぺこさん! ぺこぺこさん電気工事士の資格持ってたよな。あの冷蔵庫の横の壁スイッチの調子が悪いからちょっと見てくれませんか。ブレーカー落としてもいいけど、冷蔵庫が長時間止まったりすると大変やから、くれぐれも気を付けてな」
所長が声をかけた、このぺこぺこさんと呼ばれている人は、ウチがあちこちに展開している団子小売店の、クレーム対応を一手に引き受けてくれている、もう還暦をとうに超えたベテラン社員だ。
どんな理不尽なクレーマーからの電話も、ひたすらぺこぺこして収めてくれる腰の低い好々爺で、ついたあだ名がぺこぺこさん。今どきそんなあだ名を職場でつけていれば、パワハラ扱い間違い無いところだが、何分ここはドのつく田舎である。ぺこぺこさん自身も、あだ名に嫌そうな顔をしないこともあり、皆から親しみを込めてそう呼ばれていた。
───俺も大好きな人だ。
**
丁度先ほどもぺこぺこさんは、どこかの店舗に対するクレーム代表電話を対応していた。聞き耳を立ててみればそれは、団子を冷蔵庫にしまっておいたら硬くて喰えなかった、という理不尽系のクレームの様である。「レンジで10秒チンしてみてください」、と前向きなアドバイスを電話口でしている。あれは多分、もし俺なら、よく顎を鍛えてから食べてください、ぐらいのことは言ってしまいそうな相手だ。団子冷やすなよ。
「ぺこぺこさん、なんでこちらは悪くない客にも、いつも謝ってるんすか?」
「え、だって怒られるのは嫌やろ? だから先にとりあえず謝って許してもらおうとしてる、ちゅうわけや。案外卑怯なんよ、わし」
ぺこぺこさんは苦笑いしながらも、俺の失礼な質問を気にせず、気さくに答えてくれる。
「でもそれだと謝る必要のないケースでも、謝ってる時ってありますよね絶対」
「そうだな、でも言ったとおり ”とりあえず謝ってるだけ” やから、全然平気なんや。わしも内心、悪いと思ってないし」
「うわー、なんだか黒いですね。」
「いやいやわしも最初はちゃんと誰にでも謝るのやなく、確認して謝ってたんさ。でもさ、削れるんや、心が。会社が悪くて謝るのもやし、自分が悪くないのに謝るのもや。
でも仕事やから、そこは会社が悪いのを全部自分で飲み込んで代表して謝るわけやろ。そんなんしてたら頭壊れるって気が付いてな。せやから、謝罪は謝罪としてするんやけど、仕事として事務的に謝るようにしよう、って決めたんや。
で、一度そうするようにしてしまうと、謝罪のハードルがぐーんと下がるんや。だから、もうかたっぱしから謝ってる。会社としてな」
大げさに肩をすくめてみせる、ぺこぺこさん。
成る程、謝ることは確定しているのだから、それにいちいち気持ちを乗せてたら確かに心が壊れるかもしれないな。
「でもやっぱり、謝ってるのが俺じゃなくてぺこぺこさんだとしても、謝らなくていい人に謝るのは抵抗があります。あんなのただのクレーマーじゃないですか。カスハラですよ、カスハラ」
「せやな。俺が謝ることでそれが成功体験になってモンスターになるんや。でも俺が謝ってるのはあくまでご不快にさせたことを謝ってるだけなんやで? だから実際のとこ、保証とかの対応はまるでしないやろ。丁寧にゼロ回答してるだけや」
「だったら、昨日の『お礼を言わせてください』って人にも、どうして謝ってたんですか?」
「ぉ、おう。聞いとったんか。あれな、お礼の時間いただきすみませんでした、って言うた時の話な。あの人にしたって、感謝を受け入れて欲しい、それで ”満足したい” わけで、その点はクレーマーと大して変わらないんや。
どちらも感情、お気持ちを、ぶつけてきているだけやからな、こちらも ”御礼をありがとうございます” なんて絶対に返さんよ。要望を受け入れる形になるからな」
クレームも御礼も本質は同じ、か。そういう風に考えたことはなかったな。
「しかも一度お礼言われて気持ちようなった人は、その後に何か気に食わない対応されると、間違いなく連絡してくる。だからクレーマー予備軍なんや。
せやかて、うちの店員も、そういう客の地雷がどこにあるかなんてわからんやろ。いずれちょっとしたきっかけで、地雷は踏んでまう。そういう意味でも、頻繁にこっちに連絡してくるような人の話を、必要以上に聞くのは無いな」
成る程なあ。俺なんか、太客は丁寧に扱ってしまいがちだけど、そういう考えも……一理あるのかもしれない。最初から必要以上に期待されていると、それが裏切られた時の反動がすごい、ってことか。
**
「いやぁー、すんませんな。あそこのブレーカーだけ上げ忘れたみたいで」
事務所に朗々としたぺこぺこさんの声が響く。
相手はお局様だ。
なんでも昨日、電気工事をしたタイミングでブレーカーを落とし、「たまたま」上げ忘れたらしい。落ちた範囲には事務所の冷蔵庫も含まれており、この真夏の暑さにやられて、中に入れていた生ものはすべてが駄目になった。
ぺこぺこさんも爺さんだからな、忘れることもあるだろ、うん。そうに違いない。
お局様もぺこぺこさんのような爺さんを攻め続けるのもバツが悪いのか、ひとしきりヒステリーを撒き散らした後は、いつの間にか事務所から消えていた。ほんとあの人、どこで働いてるんだ。
「ぺこぺこさん、災難でしたね」
「いやあ、失敗したわ。所長からあんなに ”冷蔵庫の電源落とすな" 言われとったのに、上げるの忘れてたわ、うしゃしゃしゃ」
散々叱られたばかりだというのに、今日もぺこぺこさんは
「謝るの、慣れてますものね」
「せや。でも、今日俺があのお局様にぺこぺこしてるのは、決して事務所のブレーカーをうっかり落としたまんまにして腐らせたせいやないぞ。
あのお局様がお得意様来客にかこつけて、自分も便乗して食べようと冷蔵庫に隠しといた、経費で買ったお高ーいケーキ。そのうまいケーキが食べられる、という期待を裏切ってしまい、不快にさせてしまったことについてだけ謝ってるんや。物損については、微塵も謝ってない」
あのモンブラン、冷蔵庫から出してみたら、はぐれメタルみたいな見た目になってたものな。もし食べたら、お尻でメガンテを唱えて、教会で復活させてもらうとこまでがセットだろう。教会まで茶色い棺桶を引きずるのは辛そうだ。
会社の経費で買ったものだから、本来であれば会社の部材を廃棄に至らせたことは、叱られるべき話ではある。だが、お局様は一度それを認めると、経費で自分のケーキを買ったことを認めることになるので、言うに言えないのだろう(結局その後、ケーキ代はお局様が自分の財布からこっそり払ったらしい)
*
「な、ぺこぺこさんに謝ってもらうのが適任だったろ?」
俺はぺこぺこさんとそんな与太話を済ませて席に戻ると、所長は誇らしげに俺に言った。
「冷蔵庫にケーキが並ぶ度に、ぺこぺこさんに頼るわけにはいかないですよ」
「ヨシ。じゃあ中野君と交代にしよう!」
なにが、ヨシだ。黙ってられない俺の性格も良く知ってるだろうに。まったく悪びれない所長に、俺も呆れて苦笑いしてしまう。いっそ冷蔵庫を開ける度に、叫び声をあげる人形でもいれてしまおうか。
───程なく、突然の故障を名目に、事務所の冷蔵庫の電源が入れられることはなくなった。ぺこぺこさんが修理しようとしたが、何故か電源が入らなくなってしまったらしい。いやー、不思議だなー。
だがこれで少なくとも、高級ケーキで経費が使われることはなくなるだろう。
ぺこぺこさんは、ああいう風に悪ぶって、悪いとは思っていない、などと強がっていたが、実はそうでもないことを俺は知っている。
お客さんから理不尽クレームがあった場合、店舗には報告を入れるルールがある。だが最近のバイトの子は、ものすごく打たれ弱く、店長から強く説教などされた日には即辞めるし、変な客にクレーム入れられても辞めてしまう。
なのだが、ぺこぺこさんはそんなクレーム連絡の最後に、決まって店員を責めない様に、と念入りに店長にフォローを入れている。理不尽なクレームは自身で飲み込んで、他の人のモチベーションが下がらないようにしているのだ。
だから、誰にでも謝る人、の正体は、謝ることで誰かをかばってる人、なのだ。所員は皆それを知っているし、尊敬の念を込めて今日もぺこぺこさん、と呼んでいる。皆、あの人の前で、頭を下げることを忘れない。ぺこぺこさん。
俺もあの人を尊敬している。
ぺこぺこさん かたなかひろしげ @yabuisya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます