第3話 夜の作戦会議

婚礼の翌日から、

吉法師の改革は、

まるで、

嵐のように、

尾張の隅々まで、

吹き荒れた。

彼の行動は、

予測不能で、

常識外れ。

しかし、

その一つ一つが、

驚くほどの速さで、

確かな成果を上げていく。

濃姫は、

その様子を、

複雑な思いで、

見守っていた。

彼の改革は、

尾張に、

新たな息吹を吹き込んでいる。

それは、

紛れもない事実だった。


特に、

商人との交渉場面は、

濃姫の想像を、

遥かに超えるものだった。

吉法師は、

粗末な身なりで、

商人たちの前に現れる。

その姿は、

まるで、

市井の人間と、

何ら変わらない。

しかし、

彼の言葉は、

鋭く、

そして、

的確だった。

彼は、

ただ利益を追求するだけでなく、

商人たちの不満や希望を、

巧みに引き出していく。

彼らの顔に浮かぶ、

不満の色。

その不満の根源を、

吉法師は、

瞬時に見抜き、

言葉巧みに、

その解決策を提示していく。

商人の顔が、

みるみるうちに、

驚きと、

そして、

納得の色に変わっていくのが、

濃姫の目にも、

はっきりと見て取れた。

彼の言葉は、

まるで、

魔法のように、

彼らの心を掴んでいく。

その手腕は、

まさに、

「うつけ」の仮面の下に隠された、

知略の鬼の姿だった。


吉法師は、

交渉の場で、

決して、

高圧的な態度を取らなかった。

むしろ、

彼らの話に、

耳を傾け、

共感を示すことで、

彼らの心を開かせた。

そして、

彼らの抱える問題点を、

まるで、

自分のことのように、

真剣に考えているかのように見せた。

その姿は、

濃姫が、

これまで見てきた、

どの武将とも異なっていた。

彼の言葉は、

決して、

感情的ではなく、

常に、

冷静で、

論理的だった。

しかし、

その中に、

不思議な説得力と、

そして、

人を惹きつける、

魅力が宿っていた。

濃姫は、

彼の交渉術を、

まるで、

水が染み込むように、

吸収していく。

それは、

彼女にとって、

新たな学びであり、

そして、

自身の力不足を、

痛感させるものでもあった。


吉法師の才能を、

目の当たりにするたびに、

濃姫の心には、

複雑な感情が、

渦巻いた。

彼の改革は、

尾張に、

確かな光をもたらしている。

それは、

喜ばしいことだった。

しかし、

同時に、

自身の力不足を、

痛感させられる。

これまで、

武家の姫として、

剣の腕を磨き、

学問に励んできた。

しかし、

彼の知略の前では、

自分の知識や経験が、

あまりにも、

取るに足らないものに思えた。

彼女のプライドは、

深く、

深く、

傷ついた。

胸の奥底に、

微かな苛立ちが、

募っていく。

それは、

嫉妬とは、

少し違う。

むしろ、

自分自身の無力さに対する、

悔しさだった。


夜、

自室に戻った濃姫は、

静かに、

自問自答を繰り返していた。

このまま、

彼の改革を、

ただ見ているだけでいいのか。

自分は、

尾張の姫として、

何ができるのだろうか。

彼女の心の中では、

激しい葛藤が、

渦巻いていた。

プライドが、

彼女に、

「頭を下げるな」と囁く。

しかし、

尾張の窮状が、

彼女に、

「彼の力が必要だ」と訴えかける。

この葛藤が、

彼女の「感情の膨張」を、

さらに加速させていく。

手のひらを、

ぎゅっと握り締め、

その爪が、

手のひらに食い込む痛みを感じる。

その痛みは、

彼女の心の葛藤を、

そのまま表しているようだった。


窓の外は、

闇に包まれていた。

遠くで、

虫の音が、

かすかに聞こえる。

その静寂の中で、

濃姫の思考は、

より一層、

研ぎ澄まされていく。

尾張を救うためには、

彼の力が必要だ。

それは、

紛れもない事実だった。

彼女の心の中で、

「家と民を守る」という、

揺るぎない「価値観」が、

強く、

強く、

発動した。

その価値観は、

彼女のプライドを、

乗り越えるための、

大きな原動力となった。

私情を捨て、

大義のために、

行動する。

それが、

武家の姫として、

今、

彼女が、

なすべきことだった。

この決意が、

彼女の次の行動への、

確かな「助走」となる。

彼女は、

自らの殻を破り、

未来へと、

一歩、

踏み出す覚悟を決めたのだ。


濃姫は、

静かに立ち上がった。

足音を立てないよう、

慎重に、

吉法師の部屋へと向かう。

廊下は、

闇に包まれ、

遠くから、

夜番の足音が、

かすかに聞こえるだけだった。

彼女の心臓は、

ドクン、

ドクンと、

大きく鳴り響いていた。

それは、

緊張と、

そして、

新たな一歩を踏み出すことへの、

期待が入り混じった、

複雑な鼓動だった。

扉の前で、

濃姫は、

一度、

深呼吸をした。

そして、

意を決して、

扉を叩いた。


「…濃姫か」


吉法師の声が、

部屋の中から聞こえた。

その声は、

いつものように静かで、

感情を読み取ることができない。

濃姫は、

ゆっくりと、

部屋の中へと入った。

部屋の中は、

薄暗く、

机の上には、

蝋燭の火が、

ゆらゆらと揺らめいていた。

吉法師は、

机に向かい、

何かを書き記しているようだった。

彼の周りには、

相変わらず、

あの異様な雰囲気が漂っている。

しかし、

濃姫は、

もう、

その雰囲気に、

怯むことはなかった。

彼女の心には、

確かな決意が、

宿っていたからだ。


「吉法師様…お願いがございます」


濃姫は、

頭を下げた。

その言葉は、

彼女にとって、

大きな意味を持っていた。

それは、

彼女のプライドを乗り越え、

彼の力を借りることを、

認めた瞬間だった。

吉法師は、

筆を置き、

ゆっくりと顔を上げた。

その瞳は、

やはり、

どこか遠くを見つめているようだったが、

その奥には、

あの鋭い光が、

かすかに揺らめいていた。

彼は、

濃姫の言葉を、

静かに待っているようだった。


「尾張を…どうか、お救いください」


濃姫は、

震える声で、

そう告げた。

その言葉には、

尾張と民への、

深い愛情と、

そして、

彼女自身の無力さが、

込められていた。

吉法師は、

濃姫の言葉に、

何も言わなかった。

ただ、

じっと、

彼女の顔を見つめている。

その沈黙が、

濃姫の心を、

じりじりと焦らせた。

しかし、

彼女は、

決して、

視線を逸らさなかった。

彼の返答を、

ただ、

ひたすらに待つ。


やがて、

吉法師は、

ゆっくりと、

口を開いた。


「…尾張は、俺の妻の故郷だ。救うのは、当然のこと」


彼の言葉は、

静かでありながら、

確かな響きを持っていた。

その言葉に、

濃姫の心は、

大きく揺さぶられた。

彼の言葉は、

単なる義務感から来るものではない。

そこには、

濃姫への、

そして、

尾張への、

深い思いが、

込められているように思えた。

濃姫の瞳に、

微かな光が宿る。

それは、

安堵と、

そして、

彼への、

新たな信頼が、

芽生えた瞬間だった。


吉法師は、

机の上に広げられていた地図を、

濃姫の方へと向けた。

それは、

尾張の地図だった。

彼は、

地図の上に指を滑らせながら、

尾張の未来を、

具体的に描き出し始めた。

彼の言葉は、

まるで、

魔法のように、

濃姫の心に、

希望を満たしていく。

彼の描く未来は、

鮮やかで、

そして、

確かなものに思えた。

二人は、

初めて、

対等な立場で、

地図を前に語り合った。

それは、

単なる作戦会議ではなかった。

二人の間に、

「契約」を超えた、

「共闘」という、

新たな関係性の芽が、

確かに生まれた瞬間だった。


部屋の中は、

蝋燭の光に照らされ、

二人の影が、

壁に長く伸びる。

その夜の空気は、

温かく、

そして、

確かな信頼が、

芽生えたことを示していた。

濃姫の心は、

希望に満ちていた。

この男と、

共に歩むならば、

きっと、

尾張を救える。

そして、

この乱世に、

新たな光を、

もたらせるだろう。

彼女の心には、

これまで感じたことのない、

満たされた感情が、

ゆっくりと、

膨らんでいくのを感じた。

それは、

彼女の人生における、

新たな始まりだった。

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