第10章「一手目」

美咲の視点


その日、美咲は静かにインターホンを押した。


「……あ、美咲さん。どうかした?」


インターホン越しに聞こえる遥の声は、いつもと同じ優しい調子。

しかし、美咲はもう知っている。この“優しさ”が最も人を惑わせる毒だと。


「ごめん、ちょっと話したいことがあって……いいかな?」


「もちろん、どうぞ」


開かれたドア。

そこに立つ遥は、まるで何も知らない女の顔をしていた。


(いいえ──これは私たちの“勝負”の始まり)



遥の部屋にて


「最近、なんだか物騒だよね。あの張り紙のこととか……」


「うん、怖いよね。でも、翔太さんが守ってくれてるし」


遥が言葉に詰まったように、紅茶を口に運んだ。

わずかな反応。

それを見逃さず、美咲は柔らかく笑って続けた。


「遥さんって、翔太さんと昔から知り合いだったんだっけ?」


「えっ……?」


一瞬の沈黙。

だが遥はすぐに笑顔を取り戻す。


「そうだね、大学のゼミが一緒だったの。懐かしいなぁ」


(嘘──思ったより動揺が少ない。予想してた?)


美咲のスマホは、バッグの中で録音を続けていた。

ふと、テーブルの上にあった“新聞の切り抜き”に目が留まる。


(あれ……これ、8年前の大学の事件?)


遥が目線でそれを追ったことを見逃さず、美咲は続けた。


「私、最近ちょっと記憶が飛んでるみたいで……この前も変な封筒が届いたりして……」


遥の笑顔が、わずかに崩れる。


「大丈夫? それって……誰かに狙われてるってこと?」


「うん。誰か、私を“壊したい”のかもね。でも、まだ壊れてないよ?」


遥は一瞬、目を細める。

美咲の目をじっと見つめ──そして、微笑んだ。


「そう、ならよかった」


だがその瞬間、美咲は確信した。


この女は今、「私の壊れ具合」を見にきたのだ。



美咲の内心


(やっぱり、全部仕組まれてる。翔太さんも、遥も、そしてあの写真も)


(でも、私は動じない。むしろ、ここから崩していく)


遥の部屋を出た美咲は、すぐに翔太にメッセージを送る。


【美咲】

「話したいことがある。あなたのことも、遥のことも全部。今夜、会えますか?」



夜──翔太の部屋


「……ごめん、美咲。本当は君に隠してたことがある」


翔太が差し出したのは、大学時代の“ある実験レポート”。


そこには遥の名前と共に、“ある被験者”の記録が残されていた。

その被験者のイニシャル──“M.K”。


「これ……私?」


翔太はうなずく。


「遥は心理実験を利用して、“誰かの記憶を書き換える”研究をしていた。君も、巻き込まれていたんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る