第2話
「どうして、あの子と冬鬼様が!」
ギリッと奥歯を噛み締め、茉莉花は拳を握りしめた。
こっそりと二人の後をつけていた彼女は、激しい怒りに震えていた。
冬鬼と月詠が屋敷に戻ると、二人は長に結婚の約束をしたことを告げた。
長は内心複雑な思いを抱きながらも、表面では満面の笑みを浮かべる。
「いやぁ、ありがたいことです! 我が家の娘を娶ってくださるとは!」
「我が家の娘? そうでしたか。しかし、どうして最初、彼女を隠そうとしたのか不思議でなりませんな。よほど嫁がせたくなかったと見えますが、箱入り娘だったのでしょうか」
冬鬼の言葉には、皮肉がにじんでいた。
長は顔を青ざめさせたが、それ以上は何も言えなかった。
冬鬼は「一週間経ったら迎えに来ます」と言い残し、人魚島を後にした。
鬼の島では、嫁の家に大金を贈る習わしがあった。
かつては醜く凶暴だった鬼が、美しい人魚の女性を力ずくで攫っていたか、やがて人魚島から貢物として差し出されるようになり、そして金で買うようになった。
それから今の「お見合い」という形に落ち着いたのだが、名残で今でも結納金という名目で金銭が支払われていた。
相手は鬼島の次期頭首、結納金は莫大な額になるはずだ。
本来なら茉莉花が嫁ぐはずだったが、月詠が嫁いでくれるならそれでも構わなかった。
さらに、茉莉花は別の鬼に嫁がせることができる。
長は、頭の中で算盤を弾き、ほくそ笑んだ。
「冬鬼様に見初められ、嫁ぐ以上は、教養も身につけねばなるまい。付け焼き刃になるが、明日から月詠は女中の仕事はせず、花嫁となるための勉強に励みなさい」
ごほんと咳払いし、突然の命令を下す長に、月詠は何が何だか分からなかったが、「はい」とだけ頷いた。
冬鬼と月詠が結婚の約束を交わした翌日、人魚島は奇妙な静けさに包まれていた。
娘たちの憧れであった鬼島の長に選ばれたのは、島一番の醜女と蔑まれていた月詠。
誰もがその事実に言葉を失い、陰で噂をするばかりだった。
月詠には家庭教師がついた。
その先生も、月詠を醜いと侮蔑する一人だった。
「何で私がこんな醜い娘の家庭教師なんてしなきゃいけないのよ」
不満を漏らしながらも教え始めた先生だったが、月詠は驚くほど飲み込みが早かった。
言葉遣いや文字書き、上流階級の教養をみるみるうちに身につけていく月詠を見て、教え甲斐があると感じ始めた。
茉莉花と母親は、月詠との接触を禁じられた。
「茉莉花も冬鬼様のことは諦めなさい。他の鬼に嫁げば良いだろう。他に良い鬼はいなかったのか?」
父に諭される茉莉花は、駄々をこねるように叫んだ。
「私は冬鬼様が良いの!」
「茉莉花、いい加減にしなさい!」
父に再び叱責され、茉莉花の不満は募る。
どうして、あんな女のせいで私が怒られるの?
一週間という短い期間で、月詠は見違えるほど成長した。
文字を読み書きできるようになり、言葉遣いも洗練された。
「まぁ、及第点ではあるわね」
素直ではない先生の言葉に、月詠は照れたように手作りのブレスレットを差し出した。
それは、彼女が川や海で拾った宝石や綺麗な貝で編んだものだった。
「まぁ、素敵! 貰ってもいいの?」
「うん、先生。ありがとう」
少し微笑んでみせる月詠に、先生は見た目だけで判断していた自分を反省した。
よく見れば可愛らしいではないか、と。
先生は月詠の頭を優しく撫でた。
そして、冬鬼が迎えに来る日。
監視の目をかいくぐった茉莉花は、月詠を捕まえると、人気のない洞窟に閉じ込めた。
「私、聞いてたのよ。冬鬼様は人魚との結婚が必須だから、仕方なくあなたと結婚しようとしてるだけだってね。あなたが醜くて傷がついても良いような女だから選んだのよ。勘違いしないことね。あなたが居なければ、私を選んでくれるはずだわ」
そう持論を展開する茉莉花は、月詠を洞窟に置き去りにして屋敷に戻ってしまった。
屋敷では、月詠がいなくなったことで大騒ぎになっていた。
「あの子ったら、土壇場で怖くなって逃げたのね」
「まったく、この家に迷惑しかかけないんだから」
しらばっくれる茉莉花と、嘲笑する母親。そこに、冬鬼が迎えにやってきた。
「月詠さんをお迎えに上がりました」
冬鬼は月詠と会えるのを心から楽しみにしていた。
しかし、そこで告げられた言葉に驚きを隠せない。
「月詠さんがどこにもいない!?」
まさか、自分との結婚が嫌で隠れてしまったのだろうか。
一瞬、不安がよぎる。
しかし、彼女が何も言わずにいなくなるとは思えなかった。
まだ彼女のことをよく知らないが、嫌になったならそう言ってくれるはずだ。
そんな人ならば、自分は彼女に惹かれてはいないだろう。
冬鬼は自分の見る目を信じた。
と、なれば、この者たちがまた月詠を隠したのか。
冬鬼は長とその家族を鋭く睨む。
「冬鬼様、申し訳ありません。あれは見た目も性格も悪く不出来な娘でして、見せたくなかったのです。やはり冬鬼様には不釣り合いでしょう。こんな土壇場で逃げるような娘より、私と妻の自慢の娘である茉莉花をどうか……」
「黙れ」
やはりそうか。
馬鹿みたいにヘラヘラと、早口でまくし立てる長に、冬鬼は怒りしか感じない。
これもまた、人魚島が閉鎖的な島である弊害かもしれない。
「月詠さんを早く出してください。でなければ、私は人魚島を侵略するように命令を出さなければいけませんね」
冬鬼の脅しに、長はヒッと喉を鳴らす。
しかし、彼と本妻は本当に月詠の居場所を知らなかった。
そんな中、冬鬼はただ一人、表情の違う茉莉花に気づく。
「お前だな。私の花嫁を隠したのは」
冬鬼は茉莉花の首を掴み、殺しそうな目で睨みつけた。
悲鳴をあげる茉莉花は叫び散らす。
「何なのよ! なんで月詠なの!? 私の方が綺麗だし、あなたにふさわしいはずなのに!」
冬鬼は本気で殺してしまおうかと思った。
「茉莉花! お前のせいで戦争になるのだぞ! どう責任をとるつもりだ! 早く月詠の場所を言いなさい!」
長は冬鬼の殺気に、茉莉花の頬を叩いた。
「痛いわね! 何よもう! あの沈む洞窟よ! 今頃あの子、窒息してるわね!」
頬を抑え、涙目になりながらも高笑いする茉莉花。
その洞窟は満潮時には沈んでしまうため、淡水魚の血も引く月詠にとっては、長時間いるのが難しい場所だった。
「あの子、人魚にしては潜水時間が短いからね」
馬鹿にしたように言う茉莉花に、冬鬼は激昂する。
刀を抜き放つと、殺意を込めて告げた。
「もし月詠が死んでいた時は、お前も死ぬ時だ」
「沈む洞窟とやらに早く案内しろ!」
冬鬼の怒鳴り声に、長は腰が抜けてしまった。
他の者たちを呼び、急いで洞窟に向かわせる。
その中には月詠の先生もいた。
洞窟にたどり着くと、月詠の先生が自ら名乗り出て、水中に飛び込む。
どうか間に合って、と願うものの、すぐに意識のない月詠を見つけ、息をのんだ。
すぐさま彼女を抱えて陸に上がった。
月詠はかろうじて息をしていた。
「月詠さん、しっかりしてください!」
「月詠様!」
月詠に声をかける冬鬼と先生だったが、彼女に反応はない。
「失礼しますよ!」
冬鬼は月詠に人工呼吸を施し、同時に鬼の力である治癒(ヒール)を行った。
傍らで先生も、人魚の力で治癒を施す。
二人の力によって、月詠はゆっくりと目を開けた。
冬鬼は唇を離す。
「冬鬼さんと、先生……」
そう声を漏らした月詠に、冬鬼と先生は安堵の息を漏らすのだった。
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