第十七話 三人のかたち
わたしは、不倫をした。
相手は既婚子持ちの専業主婦、
そんなことは分かった上で、好きになってしまった。疑似恋愛のつもりが、本気になってしまった。もう後戻りできなかった。
そしてわたしは、優菜さんを抱いた。徹底的に抱いた。
どっちにしても、これで終わりにしようと思っていた。これ以上、優菜さんと関係を続けるのは無理だ。結ちゃんや拓馬さんを悲しませるようなことは、わたしもしたくない。何より優菜さんに不義理をさせることは、まったく本意じゃない。
最後に一度、セックスをして区切りをつけようと思った。わたしは服を脱がず、優菜さんを一方的に攻め立てることにした。これなら、優菜さんも『襲われた』という言い訳が成り立つ。わたしがワルモノになるだけで、優菜さんの家族三人は守ることができる。拓馬さんに現場を見られてしまったのは想定外だったけど、却ってこれで決定的に諦めることができると思った――はずだった。
翌朝、カフェバイトの前にスマホを見ると、優菜さんからメッセージが来ていた。
『拓馬と話しました。私たちの仲を認めてくれると言っています。ごめんなさい、いきなりこんなこと言われて混乱してるかもしれませんね。』
――どういうこと? 拓馬さんは怒ってない? 仲を認めてくれる?
理解できないけど、バイトに行かないといけない。カフェでは上の空だった。気がついたら終わっていて、わたしはすぐに優菜さんの家に向かった。着いたのは五時半。空はだいぶ暗くなっていた。夕飯を用意してくれると言っていたけど、一体どんな空気なのか想像もできない。どう考えても、拓馬さんに恨まれるか軽蔑されるか、そんなことしか思いつかない。
緊張してインターホンを鳴らすと、玄関ドアが開いた。
「千春さん、いらっしゃい」
出てきたのは優菜さんだった。安心したような優しい顔で、わたしを見つめる。
「さあ、入って」
わたしが家の中に入りドアが閉まると、優菜さんは大きく息を吐いた。そして、両手を広げてわたしに近づき……。
「ちょ、ゆーなさん!?」
抱きしめられた。ああ、良い匂い……じゃなくて、どうしていきなりこんなことを!? 拓馬さんもいるのでは……?
そう思っていたら、キッチンから拓馬さんが顔を出した。びっくりして心臓が飛び出そうになった。
「いらっしゃい、千春さん。今、ご飯の準備してますからね」
いつも会うときと変わらない笑顔でそう言って、戻っていった。
「あの、ゆーなさん。これはどういう……?」
「いきなりごめんなさい。拓馬がそうしろって……」
「拓馬さんが??」
混乱していると、
「ちいちゃんきたー!」
結ちゃんも現れた。
「ゆ、結ちゃん、こんばんは」
結ちゃんも、優菜さんの真似をして抱きついてきた。何だろう、この状況は……。
気を取り直してリビングに入ると、ダイニングテーブルにはサラダやピザ、ジュースなどが並んでいる。
とりあえず、席に着いて話をすることにした。拓馬さんが促した椅子に座る。正面には優菜さん。その隣には拓馬さん。わたしの隣に結ちゃんが座った。結ちゃんは、さっそくピザを食べ始めている。
「それじゃ、私から話すね。千春さん、落ち着いて聞いてね」
優菜さんが話しだした。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
私と拓馬が一通り話を終えると、千春さんは難しい顔をして目をつぶってしまった。
「えっと……すみません、ゆーなさん、拓馬さん。わたし、まだ理解が追いついてなくて……」
それは仕方ない。もともと拓馬の人柄を知っていた私でも時間がかかったのだから、千春さんにはより一層不可解なところがあるだろう。
「うん、ゆっくりでいいからね」
いま一生懸命ピザを食べている結には、千春さんが来る前に既に話している。どこまで理解できているかは定かではないけど、『お母さんと千春さんが仲良し』ということだけは分かってもらえたと思う。
「取り敢えず、僕が二人に対してネガティブな感情を持っていないことと、二人を別れさせようと思ってないことが分かってもらえれば、それでいいですよ」
拓馬はサラダを取り分けながら言った。拓馬は外向けには『僕』と言うのだ。千春さんは一つ、深呼吸した。
「ありがとうございます。わたしは、訴えられたりすることも覚悟していました。それなのにこんな歓迎を受けるなんて、落差がありすぎて、正直、現実感がありません。ただ、お二人に謝らせてください。優菜さんに対して、その、迫ってしまったこと」
千春さんが頭を下げた。
「本当に申し訳ありません」
私も、頭を下げた。
「千春さん、謝らせてすみません。私のほうが悪いから……」
二人の様子を見た結が声をかけてきた。
「ふたりともどうしたの?」
拓馬は結の頭を撫で、優しく言った。
「大丈夫だよ、もうお話終わるからね」
そして私たちに向き直り、
「じゃあ、二人とも立ってください」
テーブルの脇に、私と千春さんが立って拓馬に向かうと、とんでもないことを言った。
「もう一度、抱き合ってください」
「えっ??」
「ちょっ……」
私たちがためらっていると、
「ごー、よーん、さーん、」
カウントダウンする拓馬に急かされ、私は千春さんに抱きついた。細くて折れちゃいそう。
「千春さんからもですよ」
拓馬が催促する。千春さんも、おずおずと両手を持ち上げて、遠慮がちに私の背に回した。
「あの……どうしてこんな……」
千春さんが、私の耳元で声を発した。息もかかるし、彼女の体温を感じてしまう。
「言葉より行動で示した方が、信用してもらえるでしょう。僕がどれだけ言葉で許したところで、『そうは言っても……』って二人は遠慮しちゃうと思ったんです。なので、こうやって既成事実を作ってもらいました」
「どうして……」
千春さんの声が震えている。私から顔が見えないが、肩に何か濡れたものが落ちてきた。
「どうしてそこまで、してくれるんですか……」
拓馬は真剣な表情で頷いた。
「優菜が、本気で千春さんのことを好きだって言ってくれたからです。だから僕は、優菜の家族としてそれを応援したい」
千春さんの腕の力が強くなり、無言で何度も頷いた。涙はどんどん私の肩を濡らしていく。
「ありがとう、拓馬……」
拓馬の目を見ると、柔らかく微笑み返してくれた。
「ゆいもー!」
結が二人を包むように抱きついてきた。小さな腕は届ききらず、抱きしめるというよりも可愛らしく纏わりつくという感じだった。
「ふふ……」
千春さんが、思わず笑い出した。私と拓馬も、つられるように笑い始める。結は最初よく分からないという顔をしていたが、三人が笑っているのを見て一緒に笑顔になった。
食事を終え、結は眠くなってしまったのでお風呂はあしたの朝にということにして寝室に連れていった。
私は食後のコーヒーを淹れるために、キッチンのコーヒーメーカーで三人分のコーヒーを準備していた。
ダイニングで千春さんが拓馬に向かって話しているのが聞こえた。
「あの、大変失礼を承知で聞きますが。責めたいわけじゃないんですが……。その、もしかして、わたしたちが女同士だから、不倫を許せるとかだったりしますか」
ドクン、と心臓が響いた。私も心のどこかで、拓馬に対してそう思っていた。
拓馬は少し考えて、静かに言った。
「……正直なところ、そういう気持ちがないとは言えないと思います。もし千春さんが男だったら、僕は傷ついていたかもしれない」
「そうですか……。すみません、変なことを聞いて」
「いえ、でももしそうだったら、僕は二人のことを本当は不倫だと思っていないのかもしれません。女性同士の関係を認めてないのであれば、僕のほうが失礼ってことになります」
「そんなことは……わたしは拓馬さんには本当に感謝しています」
私は少し安心して、コーヒーの入ったマグを持って行った。
「おまたせ。千春さんにコーヒーを出すなんて、ちょっとおこがましいけど……」
「ありがとうございます。いえ、コーヒーメーカーのコーヒーもわたしは好きですよ」
「優菜、ありがとう」
温かいコーヒーと私の焼いたクッキーで乾杯した。
それから三人で、これからのことを話した。最初の緊張感はもうなくなって、冗談混じりの雑談は夜遅くまで続いた。拓馬と千春さん、どちらも人と打ち解けるのが得意なので、最終的にはやけに仲良くなってしまって、私は嫉妬したりしてしまうのだった。
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