第十五話 拓馬の独白

 俺と優菜の出会いは、いわゆる『友だちの紹介』というやつだった。

 就職後、大学の友人と飲み会をしていて、友人の彼女の友達を紹介されたのだ。

 大学のとき、バイト先の女の子と付き合ったことがあるがすぐに別れてしまった。相手を好きになるとか、好きになってもらうとか。誘ってもいいのか、何を食べたいか、どこに行きたいか。そういう駆け引きのようなやりとりが苦手だった。友人の場合は、気が合わないなら会わなくなるだけだ。でも『カノジョ』というやつは、法的拘束力はないとはいえ互いに同意の上で『付き合う』と決めて始まる交際だ。嫌なことも、合わないことも、『付き合』わないといけないことが多い。俺は束縛されるのが嫌いだった。

 優菜とは、始めから気が合ったわけじゃなかった。ただ、初めて話したときに自然体で、積極的に交際相手が欲しいわけでもなかった俺は気が楽だった。優菜も同じスタンスだったようで、それが功を奏したのかもしれない。

 映画を観たり服を買いに行ったり、出かけたいときに何となく呼んでみると来てくれた。その内に、優菜の方からも誘ってくれることが増えた。気が乗らないときは断ることもあったけど、素直に受け入れてくれたし、逆にこちらが断られても気にしない関係になっていた。そのまま、はっきり付き合うことを決めたわけでもなく、居心地の良い相手として自然に時間を過ごすことが増えた。


 同い年なので、俺と優菜はどちらも二十七歳で結婚した。今どきかなり早い方だろう。

 派遣で働いていた優菜は、妊娠を機に専業主婦になった。仕事を辞めさせてしまうことに罪悪感を覚えたが、優菜は「私は両立できないと思うから、かえって都合がいいかも」と言ってくれた。

 結が生まれた三年前当時、うちの会社では男でも育休を取れる空気が既にあったので取得したが、復帰後も帰りが遅くなるのは変わらなかった。毎日帰りが九時過ぎ、遅いときは十時を周ることも多い。夜泣きやミルク、おむつ替えはできるだけ対応するようにしていたが、それでも平日はほとんど関われていなかった。元々、体力のあるほうではない優菜は、産後はかなり消耗していた。どちらも親の手を借りるのは難しく、ワンオペ育児が続いていた。

 俺は会社で調整してもらって、有給休暇を取得したり残業を減らしたりして、家庭への貢献を増やすことにした。もっと早くにそうしていれば良かったと後悔した。

 結のことは本当に可愛かったし、優菜のことも心から大切にしたかった。

 その頃、優菜が印象的なことを言った。

「たっくんってさ、結婚する前は自分の時間を大事にするタイプだったけど、今はすごく家庭を大事にしてくれるよね」

 これは自分でも意外だと思っていた。

 もともと恋人や結婚に対して強い願望があったわけじゃない。俺たちはもっとドライな関係の夫婦になるような気がしていたし、結婚前は優菜にもそう伝えていた。でも蓋を開けてみると、各々の自分の部屋は確保しているにもかかわらず、休みのときはリビングで一緒にいることが多いし、飲み会より何の予定もない家庭を優先したいし、結が生まれてからは特にプライベートの友人とすら疎遠になるほど家のために尽くすようになっていた。

 でもこれは、優菜がそうしているというのも理由としてある。優菜は、仕事を辞めて専業主婦になったので、外との関わりが減ってしまった。年に一、二回、大学のときの友人と遊んだりはしているけど、俺以外の人間とのコミュニティが無いのは苦痛じゃないか、一人が好きだとしても話し相手や愚痴の吐き出し先などはなくていいのか、気になっていた。聞いてみても「私は友達とか少ないし」と気にしていない様子だった。ただ、優菜は自分が専業主婦で俺にだけ仕事をさせていることに対して引け目を感じているらしいから、遠慮している可能性もある。


 そんな中、結が幼稚園に通うようになり、優菜も初めて新しい人間関係ができたと聞いた。それが千春さんだった。

 優菜とは違うタイプで、実際のところ結の友達の叔母ということで正確にはママ友ではないのだけど、優菜は久しぶりに増えた友人をとても気に入っているようだった。俺から見ても千春さんは優菜に対してかなり好意的に見えたし、結が懐いているという点も嬉しく思った。

 優菜は千春さんの仕事先のカフェにも通うようになり、家に行き来するほどの仲になっていた。優菜は本当に楽しそうで、今までで一番生き生きとしていた。俺はそれが嬉しかった。千春さんに心の中で感謝していた。そして――。


 俺は、優菜と千春さんの不倫現場を見てしまった。


 まさかの事態だった。二人がそういう関係であること、また女同士での関係であること、たまたま忘れ物を取りに帰った(今までそんなことは一度もなかったので、本当に特異な偶然だった)ときに出くわしたこと。そして何より――自分の妻の不倫を目撃したというのに、怒りを感じていないこと。

 俺は落ち着いて考えるために一晩外泊することにした。優菜は不安に思うかもしれないが、自分の心をしっかりと見極めるのが先決だと思った。


 ビジネスホテルの一室で、俺はシャワーを浴びた。

 ――どうなってるんだ? 俺は優菜に対してどう思ってる?

 最初は、ただ混乱しているだけだと思った。戸惑いや驚きが怒りを上回っているだけで、だんだん怒りを感じてくるのではないかと。

 そんな思いとは裏腹に、時間が経つにつれ冷静になっていく自分に気づいた。優菜が千春さんと体の関係を持った事実を、穏やかに受け止めている。

 ――俺は、優菜のことをどうでもいいと思っていたのか?

 妻が不倫しているのに怒りを感じないというのは、そういうことじゃないか? 優菜のことを大切に思うなら、裏切られたショックを感じるはずだ。

 優菜は、千春さんに体を許した。優菜にとって、千春さんは特別な存在なんだ。じゃあ、俺は千春さんに対しても嫉妬を感じないとおかしい。でも――。


 自分の心が、分かったような気がする。うまく説明できれば、誰も傷つかずに済む道があるのかもしれない。

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