怪談語り

理唯

ダムに沈む

1 あるダムの話

 私が初めてその話を聞いたのは、建設会社でパートの事務員をしている頃だった。もう10年近く前のことになる。

 好んで就いた仕事ではなかったが、近場に仕事がなく限られた選択肢の中からなんとなく選んだ。

 今となっては、やめておけば良かった、と思うこともある。

 キャリアの問題もあるし、そもそもあんな体験をするとは思ってなかったのだ。



 新卒で働き始めた職場は、正社員だったが手取りは10万円ちょっと。今時そんな仕事があるのかと驚かれることもあるが、田舎の保育士には当時はそう珍しい給料ではなかった。加えて苛烈なパワハラもあり、心身ともに疲弊した私は、しばらく保育士には戻るつもりがなかった。そこで選んだのが建設会社のパート事務員だった。

 働き始めて驚いたのは、職場で理不尽に怒鳴られることは滅多にあることではない、ということ。当時の私は、大きな物音に敏感に反応するほど疲弊していた。勝手なイメージ先行で、ある程度覚悟していた私にとっては、かなりありがたかったことを覚えている。

 しかし、どんな職場にもちょっと合わないな、と感じる人はいるもので、年配の事務員Nがその一人だった。


 建設会社の事務員は経費の計算や契約書の作成などの仕事があり、ときには事務所を出て役場や取引先の会社に訪問する必要があった。

 仕事にもある程度慣れた頃、私は契約書だか工事の資料だかを携えて、取引先の会社へ訪問することになった。

「ねぇ、〇△会社に行くには、あのダムの前通らないといけないでしょ」

 私が届ける資料をまとめていると、Nがそう言った。振り向くと気味の悪い薄笑いを浮かべている。「怖がらせてやろう」という魂胆が透けて見える。

「ダムがどうかしましたか?」

「Rちゃん、知らないの?」

 Nは芝居がかって大きな声を出す。私はビクリと体をのけぞらせた。その様子をみて、Nはまたもやニヤリと薄ら笑いを浮かべた。

「あそこ、有名な心霊スポットなんだよ」

 聞くと、そのダムは県内でも有名な心霊スポットなのだそう。なんでも建設時に11名の殉職者を出し、湖底には76戸85世帯、旅館5件、分校、神社2社が沈んでいるそうだ。近くには殉職者のための慰霊碑があり、辺り一帯には何かと曰くがあるらしい。

 そのようなものに興味のなかった私は、この時までそんな心霊スポットがあることを知らず「そうなんですか」と、気のない返事を返すしかなかった。Nは少々不満そうな表情をしていたが、かまわずに私は事務所を後にした。


 車に乗り込むとエンジンをかける。社用車などは与えられておらず、会社の用事で出掛ける際はマイカーを使用していた。事務所周囲の土地勘がない私はナビの設定をすると、ゆっくりと車を発進させた。

 車を少し走らせると、急坂にさしかかった。雪の積もっている時期じゃなくて良かったな、などと考えながらゆっくりゆっくり坂を下る。

 車内にはお気に入りの音楽が響いていた。これがマイカーのメリットだ。音楽に乗り、割と機嫌良く車を運転していく。先ほどの「心霊スポット」の話などすっかり頭から消えていた。

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