国とかもう、いらなくね?~フェイクニュースとハッキングで国境を無くす簡単なお仕事~

陽々陽

000_イントロダクション → 001_二人が出会う

アカネ「ちょっと、エナドリ切れてんだけどー」


 冷蔵庫を開けて、アカネは非難の声を上げた。


アカネ「誰か、飲み過ぎじゃね?」


 カチャカチャと続いていたタイピング音が一瞬途切れ、すぐに再開した。


リン「ボクは1日1本のペースを守ってるです。アカネが飲み過ぎなのです」


 モニタから視線すら上げない相棒に、アカネは鼻を鳴らした。


アカネ「ペースとか知るかー。飲みたいときが飲むときよ。

 追加で注文しといてよ」


 アカネはソファに身を投げ出して、スマホを取り出した。


リン「海外製の輸入品だから、すぐには来ないですよ。あとボクはネット通販じゃないのです」


アカネ「こういうのはめんどくさがらず、気づいたときにさっとしておいた方が良いのよ」


リン「まったく同じセリフをそのままお返しするのです」


 アカネは口を尖らせたが、何も言わず、手元のスマホに目を落とした。


アカネ「うー、動画伸びてねー!昨日のはちょっと自信あったのに」


 チェックしているのは、動画投稿サイトのマイページのようだ。


リン「今どきフリーホラーゲーム実況とか、いつの流行ですか」


アカネ「あ!見てくれたのー。えへへ。

 リンちゃんはいつでも私のファンだなあー」


 嬉しそうに照れるアカネが予想外で、リンは顔を伏せた。


リン「べ、別に、楽しみにしてたとか、そういうのじゃなくて、その、義務というか……」


 もごもごと口の中で言い訳とも言えない言葉をつぶやくリン。アカネはソファから身を起こすことなく、這ってリンの元に移動した。そして、リンの座っているゲーミングチェアを手がかりに立ち上がる。


アカネ「かーいーなあ。リンちゃんは」


 崩した口調の「可愛い」を発し、アカネはリンの頭をなでた。リンは顔を真っ赤にして、なでられるままじっとしていた。


アカネ「時間。そろそろ」


 不意に、アカネの声が冷たい響きを持った。


リン「準備出来てるです」


 リンの顔からも表情が消える。


リン「今から1分30秒後、マルウェアを仕込んだ国会議員秘書のPCから、ミスを装って議員の個人サイトに例のファイルをアップさせるです。それからきっかり10分後、アカネはフェイクニュース動画を上げるです」


アカネ「緊急で動画を回してますってヤツね。証拠とセットで流すんだから信憑性マシマシだわ」


 アカネが長い息を吐いた。ガラにもなく緊張しているのか、少し顔がこわばっているように、リンには見えた。


アカネ「あー、数字取れるんだろうなー!裏じゃなくて、表の方のチャンネルに上げてやろうかしら」


リン「顔出ししてるから一発逮捕です。止めないですが」


アカネ「やんないわよ」


 アカネは無理に笑顔を作った。


アカネ「時間ね。始めましょう。ファイル名は」


アカネ・リン「財政破綻の実行指針」


********


「国とかもう、いらなくね?」


 リンがアカネに興味を持ったきっかけは、SNSにアップされた一言だった。

 この、さして閲覧数の多くないSNSの一言は、同じ高校のクラスメイトが発したもので、リンにとってはたまたま目にしたものだった。


 一人たりとも友達がおらず、学校で口を開く機会が滅多にないリンとは対照的に、そのクラスメイトは常に人に囲まれた人気者だった。動画投稿者になる夢があると公言しており、開設しているチャンネルのことをよく話題にしていた。


 国とかそういう政治的な発言をしそうなキャラクターとは思えなかった。だからリンは少し引っかかりのようなものを感じた……のだと思う。今にして思えば。


 強い興味を持ったとは言いがたいが、リンは何の気なしに彼女のチャンネルを訪れた。


 アカネがそこにいた。


 リンは一晩で全ての動画を見尽くし、そして次の晩に2周目の閲覧も完遂した。


 客観的に見て面白い動画か、と聞かれるとそうでもないのだと思う。二番煎じの企画。明確な方向性があるわけではなく、メイク、歌ってみた、踊ってみた、料理、ゲーム実況、大食い……彼女が憧れたものをストレートに真似しただけ。


 アカネの可愛らしさに支えられて辛うじて見ていられるレベルの、数年後には黒歴史になっているであろう青春の欠片。リンにはそれが何よりも輝いて見えた。


 リンは即座に、アカネに向けて熱烈なファンメール……ではなく、フィッシング詐欺メールを送った。


 リンはハッカーだ。正確には、ハッカーを目指して日夜情報を集め、技術を磨いていた。既存のマルウェアを改造して情報を抜く程度なら可能だった。理屈上は。


 実際に行ったことはない。


 ただ漠然と、現実世界とは別の理が存在する電子の世界に、リンは興味を持っていた。現実世界の強者が電子の世界では脆く儚く、無防備に弱点を晒している様が滑稽で痛快に感じられて、具体的な目標も目的もないまま、学んでいた。


 このときまでは。アカネを知るまでは。


 これまでの修練はアカネのためだったのだと、リンは思った。運命のようなものを感じた。


 そして、まんまと仕込んだマルウェアで、アカネの裏チャンネルの存在を知る。


 アカネは表の、女子高生の動画投稿者の真似事のようなチャンネルの他に、裏のチャンネルを持っていた。


 裏のチャンネルには、到底一晩で見切れない量の動画が投稿されており、彼女の本質が、本気が、こちら側にあることは明白だった。


 裏のチャンネルにはおびただしい量の、極端に偏った政治経済の動静についての説明動画が上がっていた。そしてそれら全てに、熱っぽい国家不要論への扇動が盛り込まれていた。


 彼女の国家不要論は最初、あまりに幼い妄想に感じた。


 いわく、国がなくなれば、戦争がなくなる。

 いわく、国がなくなれば、貧富の差は縮まる。

 いわく、国がなくなれば、環境問題に世界的な対策が可能になる。


 小学校の中だけで成立するきれい事を並べた妄言に見えた。


 だが、動画を見続けると、彼女の中には確信があり、確かな論拠が存在しているのだと思わされた。


 国の役割は、社会を安定させ国民の生活を守ること。

 法整備と治安の維持、公共サービスの提供。同じ国土に住む近しい人間が共同体を作り、それらを担った。それが国家。

 もう、その枠組みには限界が来ている。

 経済はボーダーレスに広がり、価値観は多様化が進み、情報は奔放に拡散される。同じ国土に住むことが利益を共有することに直結していたのは過去のことだ。


 民主主義という衆愚政治が破綻するのはそう遠くないことなのだ、と。


 彼女は理想を語る。


 企業が国家に代わり、治安と公共サービスを提供する世界を。


 経済的に同一共同体となった企業国家体制に世界がシフトし、人種的、民族的、宗教的、文化的な対立がすべて経済的な対立に置き換わった世界を。


 貧富の差は最初こそ拡大するものの、経済破綻した国家は利益の上がっている企業国家が安価な労働力として吸収し、もろともで利益を上げる経済共同体として迎え入れる。そこに不満があれば別の企業国家へ転職というか亡命というか、移れるようになっていれば良いのだ。


 どうせ経済的には、国家的にも企業的にも個人、というか、一家族をまとめた家計的にも競争が発生するのだ。全ての問題が無くなる理想郷ではないが、問題の全てを経済に一元化した社会へ進む。それが彼女の基本的な主張だった。


 そして多くの動画で、声を大にして呼びかけていた。


 それを唯一、実現しそして成功し得るのが、この日本という国だ、と。

 人種的、民族的、宗教的、文化的な対立が非常に少ない、奇跡のような国。国への帰属意識が薄く、単なる公共サービスの提供者として認識し、80年も軍隊を持たずに戦争を回避し続けた平和ボケの国。

 世界に先駆けて国という枠組みから脱却し、世界を次の段階に進めるのだ、と。


 チャンネル名「デマゴーグ」。


 自ら扇動者を名乗る、顔を隠し、声を変え、魅力ある女子高生の欠片も見せない動画を見て、表と裏の強烈なコントラストに、リンは目がくらんだような衝撃を受けた。


 リンは彼女を知る方法を増やそうと、ハッカー修行に一層の時間を費やすようになった。そして、それ以外の時間は全てアカネの監視に使った。


 一度感染したアカネの自宅のパソコンとスマホは、余すことなくアカネの情報をリンに教えた。


 リンは幸せだった。


 面と向かっては一言も言葉を交わさないクラスメイト。現実世界では視線を送ることすらはばかれる彼女を、電子の世界で眺め続けることが生きがいに感じた。


 だからその日、アカネの弱気な発言を見たリンはひどく狼狽えた。


 正確には、アカネは発言していない。SNSの下書きに書いて、投稿せずに置いてある状態だった。


「これまでのは無駄だった。もうやらない」


 リンは胸が苦しくなる程の動悸を感じた。


 もうやらないとは。


 もう動画を作らないということだろうか。もうアカネの強烈な光と影を観察することが出来なくなるということだろうか。恵まれた容姿と豊かな交流関係。現実世界では明らかな強者の側でありながら、電子の世界で認められようと、どっぷりと浸かる彼女を1パケットも逃さず見ていたかった。もう電子の世界じゃなくて現実世界に軸足を移してしまうのだろうか。


 リンにとって、それは太陽がなくなるのと同じくらい、いや、それ以上の事件だった。


 だがその日の昼休み、それ以上の事件が起こる。


アカネ「ね。ちょっとツラ貸しなよ」


 突然アカネに話しかけられて、リンはわなわなと震えた。


リン「あ……う……」


 言葉が出てこない。


 なぜだ、なぜアカネから声をかけられる?自分が?


 まったく接点はない。そのはずだ。現実世界では。


アカネの友人「あれ?アカネどうしたの?ご飯行こうよ」


アカネ「わたし、今日はパス。リンちゃんと話あっから」


 明るい口調だが、顔はまったく笑っていない。


アカネの友人「リン……?ああ、その子か」


 リンという名前に聞き覚えがなかったのだろう、アカネの友人はいぶかしげな声を漏らした。しかし、アカネの目の前の小柄で大人しそうな女の子のことだと、納得して教室を出て行った。彼女にとっては、リンというクラスメイトを初めて認識した瞬間が今だったのだろう。


 だが、アカネは。


リン「なん……名前……」


 なんでわたしの名前を知っているのか。リンの口からは言葉が出てこない。


 会話も交わさない、接点のないクラスメイトの、下の名前を。それはアカネがリンの特別な何かを知っていることを予感させた。


アカネ「来て」


 有無を言わさぬ物言いで、アカネはリンに告げた。


********


 アカネがリンを連れてきたのは、校舎の隅、ほとんど使われていない狭い倉庫のような場所だった。


 リンは後にそこが視聴覚準備室という名であることを知るが、入った時にはそんなことを気にするような余裕はなかった。


 アカネは肩をつかんでリンを壁に押しつけた。


 バン!


 リンの耳元の壁を手で叩く。リンの身体はビクッとこわばった。


 なぜバレた、どこまでバレた、これからどうなる、どうすれば良い……リンの目には涙が浮かんできた。


アカネ「アンタ……わたしのこと、見てたでしょ?」


 アカネは鼻先が触れそうなほどの距離まで顔を近づけて、リンの目をのぞき込んだ。


リン「……」


 リンはなにもしゃべれない。辛うじて、荒い呼吸を続けた。


 リンにとっては、永遠にも感じられる1分間が過ぎて、アカネは口を開いた。


アカネ「……ちょっと前にフィッシング詐欺メール来てさ……」


 アカネの目はじっとリンの目に注がれている。リンは瞬きも忘れてその目を見返している。


 視線を外すことすら、出来ない。


アカネ「なんかのネタになっかなーと思って、引っかかってみたんだけど。

 ほっといたらトロイの木馬送り込んできたり、スマホにバックドア仕込んだり、好き勝手してくれちゃってさ」


 リンは、アカネを甘く見ていたことを痛感した。


 最初からバレていた。その上で、泳がされていた。


アカネ「でも、情報は抜くくせに、一向に何もしてこなくてさ。

 なんだかなーって思ってたら、クラスに明らかにわたしのこと意識しまくってる子がいてさ。

 ちょっと揺さぶったら、見るからに動揺して」


 ふっとアカネの声が緩んだ。


アカネ「アンタ……なんでしょ……?」


 アカネの声に優しい響きを感じたような気がした。

 だから、ほんの少しだけ、リンはうなづくことが出来た。


 バァン!


 再度、アカネはリンの耳元の壁を手で叩いた。リンの身体は一層こわばり、今後こそ息が出来ない。ただただアカネの目を見返した。


アカネ「どうしてやろっかな……

 キモ男だったら晒して社会的に終わらせてやるんだけど」


 アカネの手が優しく、リンの頬に触れた。


アカネ「かーいー地味子ちゃんだからなあ……」


 不意にアカネの手に力が込められ、リンの頬に爪が食い込む。


アカネ「脅したら、どこまでしてくれっかな……」


 アカネの噛みつくような敵意むき出しの目に、リンは指一本動かせない。狂いそうになる恐怖の中、なぜかこのときを待ち望んでいたような、そんな倒錯した喜びを感じた。


 再びの沈黙。


 破ったのは、今度はリンの言葉だった。


リン「……ボク……」


 リンは、いつの間にか自分が笑みを浮かべていることに気がついていなかった。


リン「……ボクなら、出来る……です……

 アカネの理想、を……現実、に……」


 息も絶え絶えに、リンは言葉を吐き出した。


 アカネは一瞬あっけに取られた表情を浮かべたが、すぐに笑みに変わった。悪魔のような歪んだ笑顔だった。


 アカネの手に一層力が入り、リンの頬に爪が食い込んだ。


 そう。アカネの理想には、決定的に欠けていた。


 実現のための方法。


 理想を叫ぶことしか出来ない。それは、アカネが一番分かっていた。


 リンの頬に血がにじむ。アカネはその傷口に唇を寄せた。


アカネ「じゃあ、最後まで……

 付き合って、もらうから……」


 そっとささやく。アカネの笑みがさらに凄みを増し、目はリンを突き抜けてずっと遠くを睨めつけるようだった。


 リンはもう一生、この目から逃れられないと直感した。


 そして、そこには喜びしかなかった。

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