銃と蘭と、夜明け前

マサモト

銃と蘭と、夜明け前

「それはデンドロビウム」

「デン……なんだって?」

「デンドロビウムです。蘭の一種。比較的育てやすい品種ですが、蘭は水換えと肥料のタイミングが」

「ああ待て、黙れ。分かった」


 テッポウユリ――ではない、銃を説明が止まらない店員に突きつけ、黒服の男は言った。

 花屋に立てこもってから二時間が経っている。


 虫の音が聞こえる夜明け前、シャッターは締め切っている。男二人は、差し向かいでスツールに座っていた。

 黙った店員は、おとなしく泥と水のついたエプロンの縁をなぞっている。もちろん暗殺のターゲットではない。巻き込まれた善良な一般市民だ。

 銃を持った男――暗殺者は、この状況に戸惑いながらも脱出法を考えていた。近道は撃ち殺すことだろう。だが、痕跡を考えればタブー中のタブーだ。「仕事の後」には一番取りたくない。

 そう、仕事の後に花屋が「おはようございます」と挨拶してきたばかりか「血がついてますよ」などと言ったのがいけない。花屋が遅寝早起きであるとは知っていたが、たまたま、ターゲットの家の前の花屋がいつもより寝るのが遅いなど予想できない。


「誰にも言いませんが」

 ぽつりと花屋は言った。

「言ったら、あなた殺すでしょう」

「ああ」

 暗殺者は淡々と答えた。

「そしたら、枯れてしまいますよ」

「デン……なんとかか」

「デンドロビウムです。蘭の」

「ああ、デンドロな。分かった」

 鈍色をちらつかせると口をつぐむのは、分かりやすくありがたくはある。暗殺者は頭の隅で思った。


 四時間が経った。

「あの」

「なんだ」

「水を替えたいのですが」

 暗殺者が一拍後に口を開いた。

「……ああ、花の」

 店員は何か口を開きかけたが、花の種類を並べ立てる気だったのだろう。一回銃口を見てから、つばを飲み込み、暗殺者の顔色をうかがった。

「シャッターは開けるなよ」

 暗殺者が立ち上がる。ポケットに銃を仕舞う。しかし、抜き出して撃つのはそうかからない。店員もそこまでは気が回るのだろう。ポケットをこわごわと見てから立ち上がった。

 店員はひとつひとつ花の名札を確認しながら、水の様子を観察する。

 暗殺者はその動きを見るようでいて、周囲に注意を飛ばしていた。明け方近くなれば、花屋の前に人の気配もしてくるだろう。その時間まで残る気はなかった。


 ふと、暗殺者が口を開いた。

「おい」

「……はい」

「これはデンドロ……じゃないのか」

 離された鉢植えには、似たような葉が植わっていた。

「そっちは胡蝶蘭です」

「……へえ」

 高価で有名な蘭だ。というのは暗殺者も知っていた。

「小さいな」

「まだ育てている途中です」

 花屋は端的に述べる。水をやり、愛おしそうに見つめ、ため息を吐いた。

「四年かかります」

「……何がだ」

「花が咲くまで。蘭は、ゆっくりと育てるものなんです」

 店員の横顔はすっかり蘭に引き込まれていた。なぜか、暗殺者は胸にひっかかりを覚えた。

「せっかく育てたそれを引き渡すのが役目だろう。お前は」

 暗殺者は、ポケットの中に手を入れる。固い感触が指に伝わった。

「引き渡した先で、いつか枯れるんだろう?」

「そうですね。でも、俺が育てたんですよ」

 花屋が発した温度は、あたたかくも、冷たくもなかった。暗殺者は目を逸らした。指が銃から離れた。

 水を替え終わったころには、鳥の鳴き声がした。二人はまた差し向かいで座る。


 時間がどのくらい経ったのか。二人とも忘れていた。シャッターの隙間からは光が差し込んでいる。

「……裏口から出る」

 暗殺者は言った。

「そうですか」

 花屋は驚きもせず、答えた。暗殺者は立ち上がり、座ったままの花屋に背を向けた。


「コチョウ……だったか。予約だ」

 花屋は瞬いてから、答えた。

「……四年、かかりますよ」

「分かった」

 黒い背は店内の奥へと進み、ガチャリと裏口が開く音がした。

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銃と蘭と、夜明け前 マサモト @ri_mist

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