第6話 激突
王都の夜は、静かすぎる。
……だから、こうして血の匂いを想像してしまうのだろう。
月明かりが石畳に淡い銀を落とし、夜風が肌を撫でていく。
けれど、わたしの胸を吹き抜ける風はもっと熱い。もっと、ざらついている。
あの人の名前を思い出すだけで、喉の奥が灼けるように渇く。
――ヤマト。
あたしを生かした、あの男。
背中に負ぶって走ってくれた、あの夜。
……笑ってたな、あんた。血まみれで、ボロボロで、なのに笑ってた。
「絶対に死なせない」って言ったあの声が、まだ耳に張り付いて離れねぇ。
あのときからだ。
あたしはもう、あんたのものになった。
いや、違う。……違うんだよな。
あたしが、あんたを“自分のものにした”んだ。
あたしの中じゃ、もうそう決まってる。あたし以外、誰にも渡さねぇ。
あんたはあたしの命だ。あたしの誇りだ。
誰かに奪われるなんて……そんなの、死ぬより許せねぇ。
(――あの、白い女の笑顔を思い出す)
セレスティア。聖女サマ。
……笑いやがって。あんたの笑顔はな、腹の底で腐ってる。
優しい顔して、爪の奥まで黒ぇ。
なぁ、何様だよ? “祈り”だ? “神”だ?
笑わせんな。
あたしが知ってる神はただ一人――ヤマトだ。
(そして……あの冷てぇ女)
ミレイユ。魔導士サマ。
黙ってりゃ人形みたいで綺麗だよ。わかってる。
でもな、その無表情の下で、あんたも腐ってんだろ?
あたし、わかるんだ。
……あの人の名前を口にするとき、声がちょっと震えてんだよ。
お前も、欲しがってんだろ。
ふざけんな。
あたしの獲物に手ぇ出すな。
(わかってんだよ)
あの二人はな、きっと今夜だ。
今夜、何か仕掛けてくる。
……いや、そうでなきゃいいって思ってんのか? 思ってねぇよ。
あたしは、待ってたんだ。
あの二人を、始末する“理由”を。
ヤマトを守るため――いや、奪うための、大義名分をな。
……ハッ。笑えるよな。
守る? そんなきれいごと、もういらねぇ。
あたしは奪うんだ。
噛みついてでも、血を啜ってでも、骨の髄までしゃぶってでも――
あいつは、あたしのもんだ。
……だから。
今夜、あの女を殺す。
静かに、速く、一撃で。
ミレイユ、お前からだ。
(ヤマトの隣で、本を読んで笑った顔……忘れねぇ)
あの時、胸がちぎれそうだった。
声を殺して、爪が掌に食い込むまで握りしめてた。
……笑ってんじゃねぇよ、てめぇが。
笑っていいのは、あたしの前で、あの人を抱きしめてるときだけだ。
あたし以外の腕で、あの人が安らぐなんて――許さねぇ。
(ふぅ……)
夜はいいな。血の匂いが、きっと映える。
あいつの首を斬って、月に見せてやるよ。
……「邪魔者はいなくなった」って、笑ってあの人に抱きつくんだ。
そうだ、それがいい。
あの人は優しいから、「こんなことしなくても」って言うかもしれねぇ。
でもな――やるんだよ。
だって、愛してるから。
愛してるからこそ、壊すんだ。
誰も邪魔できない世界を、あたしが作るんだ。
……待ってろよ、ミレイユ。
−−−
路地は暗い。
この時間、王都の人間は祭り疲れで眠りこけてる。
衛兵の足音は……遠いな。
よし、ここならいい。
ここで、あいつを仕留める。
革袋の中で短剣が鳴る。
この刃は、一撃必殺のために研いだ。
毒? いらねぇよ。あたしの一撃で十分だ。
魔法を唱える暇も与えねぇ。
喉を斬る。
声を上げさせねぇで、沈める。
……来たな。
影が揺れる。
月明かりを背に、黒衣の女――ミレイユだ。
杖を持ってやがる。警戒してるな。
クク、いいぜ。構えろよ。
その腕、へし折ってやる。
(今夜で終わりだ)
お前も、セレスティアも――全部、終わりだ。
あたしとあの人だけの世界を、始めるんだ。
---
「……リーナ?」
闇に沈んだ路地で、ミレイユが足を止めた。
振り返ったその瞬間、月光が彼女の黒髪を鈍く光らせる。
淡々とした瞳。だが、その奥にあるのは警戒。
あたしの気配を、察したんだな。
「よう、魔導士サマ。こんな時間に、どこ行くんだ?」
口角を吊り上げながら、あたしは路地に一歩踏み込む。
革袋から短剣を抜き、指に馴染ませる。
刃が、血を欲しがって震えていた。
「……あなたこそ。こんな時間に、物騒なものを持って」
「ははっ、これか? お前を殺すために決まってんだろ」
空気が凍りついた。
言葉を選ぶ気なんて、最初からねぇ。
あたしは嘘つきじゃない。
欲しいものは奪う。邪魔するやつは、殺す。
――単純明快だろ?
「……正気?」
ミレイユの声は、氷みたいに冷たい。
でも、その奥底で、怒りと……ほんの少しの怯えを嗅ぎ取った。
いい匂いだ。あたしの渇きが、ますます燃え上がる。
「正気だよ。あたしの正気はな、全部ヤマトでできてんだよ。
あの人のためなら、何でもやる。何でも、だ」
「……それが、殺すこと?」
「そうだよ。あんたみたいに、あの人を狙ってる腐れ女を、殺すことだ」
「……」
ミレイユの指先が杖を握りしめる。
静かだ。でも、その沈黙の奥で、火花が散ってるのが見える。
「……わかったわ」
「何が?」
「私も、譲るつもりはないってことよ」
瞬間、杖の先に紅い光が灯った。
熱風が路地を舐め、瓦礫がカラカラと音を立てて転がる。
魔力が、空気を震わせる。
だが――その程度で怯むあたしじゃねぇ。
「上等だ……! どっちが先に、あの人の腕を掴むか勝負だな!!」
叫んで、地を蹴る。
獣人の血が、筋肉をしならせ、疾風のように飛ぶ。
短剣が月光を裂き、一直線にミレイユの喉を狙った――
だが、紅蓮の炎が立ちはだかった。
「ちっ……!」
跳ね退きざまに炎を裂き、壁を蹴って側面から回り込む。
火花が散り、夜気が焦げる。
ミレイユの顔には、笑みも恐怖もない。
ただ、氷みたいな決意だけがあった。
「……ヤマトは、私が守る」
「守る? ははっ、何笑ってんだ。守るだけで足りんのか?
あたしは“もらう”んだよ。心も体も、全部な!」
火線を抜け、刃を振り下ろす。
だが、杖の軌跡が炎を纏い、火柱が刃を弾いた。
金属が焼ける匂いが鼻を刺す。
汗が弾ける。けど、止まんねぇ。
「……わかってない。あの人は、弱ってるのよ。
平和になって、居場所を失った。……だから――」
「だから何だよ!」
「だから、支えてあげなきゃいけない。優しく、そっと――」
「うるせぇんだよ!!!
そんな甘っちょろいもんで、あの人の全部が手に入るかよ!!
あたしはな、骨まで愛すんだ。
何もかも、壊して、あたしだけで埋め尽くすんだよ!!!」
「……狂ってる」
「上等だろ!!! 愛ってのは狂うもんなんだよ!!!」
獣の咆哮とともに踏み込む。
だが次の瞬間――
「おやめなさいな」
澄んだ声が、闇を裂いた。
路地の入口に立っていたのは、白銀の衣を纏う聖女――セレスティア。
月光を浴びて、神の像みたいに微笑んでいた。
その手には、銀の聖杖。
けど、その笑みの奥で、何かがねじれてるのを、あたしは見た。
「……何してんだ、テメェ」
「仲裁ですわ。お二人とも、どうして争うの?
ヤマト様を悲しませたいのですか?」
「黙れ……!」
あたしが唸るより早く、セレスティアはゆっくり歩み寄る。
柔らかい声。けど、空気はどんどん冷えていく。
「ねぇ、知ってますか? 私はずっと、祈ってきたんです。
神様に――じゃない。ヤマト様に。
あの方の幸せを、一番に願って。
だから……ね?」
――カチャン。
音がした。
何かが、ミレイユの足元に転がった。
小瓶だ。中には、月光を吸ったような透明の液体。
「……なに、これ」
「癒しの秘薬、ですわ。疲れを取って、気持ちを穏やかにする……はずです」
その微笑みは、天使のように優しい。
だが、あたしは嗅ぎ取った。
……これ、毒だ。間違いねぇ。
「お前……!」
「いいえ、リーナ。これは“愛”ですのよ」
その瞬間、セレスティアの瞳が細められた。
淡い銀光が走る――それは、神ではなく悪魔の色だった。
「私ね、決めたんです。
ヤマト様を、誰にも渡さないって。
……ねぇ、二人とも? 邪魔なら、消えてくださらない?」
――静寂。
夜風が、血と火薬の匂いを運ぶ。
「……やっぱり、テメェも同じだな」
あたしの喉の奥から、笑いが漏れた。
嗤うしかねぇよ。
だって、あたしも、あんたも、こいつも――
みんな同じだ。
愛に狂って、止まれねぇ。
だけどな。
「あたしは引かねぇ。ヤマトは、あたしのもんだ!!!」
炎が再び咆哮を上げる。
聖光が路地を裂き、夜が血で染まる。
三つの影が交錯した――。
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ここまでお読みいただきありがとうございます!
明日から三連休ということで!お休みの間は2話ずつ更新します!
10時と20時に更新するので是非よろしくお願いします!
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