【悪の自滅】悪が悪を成すことは悪にとっても悪である

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

悪は自滅する。そのため私たちは善にならなければならない。これは理想論ではなく、ただの事実である

悪は、自分の力で世界をねじ伏せられると信じている。暴力で支配し、他者を黙らせ、従わせる。それが勝利だと思っている。だが──


本当に暴力が支配する世界であれば、悪はそもそも生き延びてはいない。なぜなら、悪は幼い頃からその兆候を持ち、周囲の善良な人々によって許され、育てられ、見逃されてきた存在だからだ。もし暴力がすべての原理ならば、悪はまだ無力なうちに他の力によって潰されていたはずだ。つまり、悪が今ここに存在しているという事実そのものが、「善」の存在と寛容によって守られてきた証拠なのである。


にもかかわらず、悪はその恩を忘れ、善を侮り、さらには破壊しようとする。まるで、自分を生かしてくれた大地を自ら掘り返して崩そうとする愚か者のように。悪は暴力を正義と錯覚し、他者を支配することを勝利だと誤解しているが、それは極めて短絡的で自滅的な思想である。


悪の最大の誤算は、「自分だけは助かる」と信じていることだ。自分が仕掛けた暴力の連鎖、自分が破壊した信頼、自分が奪った秩序の崩壊が、最終的には自分自身をも呑み込むとは想像すらしていない。あるいは、想像はしていても、「自分は特別だ」「自分だけは違う」と思い込む傲慢さが、それを否定させているのかもしれない。


しかし、世界はそんなに都合よくできていない。裏切りと搾取と暴力が当たり前の社会では、自分もまた誰かに裏切られ、搾取され、殺される。自分が生きられないような世界を自ら作ってしまうという愚行。それが悪の本質である。


悪は「今さえ良ければいい」と考える。だから、長期的な破滅よりも目先の快楽や支配欲に飛びつく。だが、その積み重ねが社会全体を腐らせ、やがて自分自身をも地獄に叩き込むことになる。暴力を肯定し、嘘を正当化し、奪うことを賢さと勘違いする者たちが増えれば増えるほど、この世界は生きるに値しない場所になっていく。皮肉なことに、それを最初に苦しむのは、善ではなく悪なのだ。


善は、悪の暴走によって傷つき、倒れることもある。だが、善には「支え合う力」と「再生する力」がある。善は共に生きる知恵を持ち、長い時間をかけて文化や制度や信頼を育ててきた。だからこそ、悪によって一度壊されたとしても、また再び立ち上がる力を持っている。だが、悪は違う。悪は善に寄生してしか生きられない。善が完全に滅びた世界では、悪もまた生きてはいけないのだ。


それなのに、悪は善を「弱い」と笑い、見下す。許しや思いやりを「甘え」と言い、そこにつけ込む。自分こそが強いのだと思い込み、善の支えによって立っているという現実から目を背けている。その傲慢さこそが、悪を滅ぼす。


悪とは、愚かさである。未来を見通す知性を欠き、他者を思いやる倫理を持たず、自分自身の立場すら客観視できない未熟な存在である。だからこそ、悪は自分で自分の生存環境を壊し、最後には自分をも滅ぼす。


本当に賢い者は、他人を苦しめることで勝とうとはしない。むしろ、誰もが損をしない、誰もが恐れずに暮らせる世界を望む。なぜなら、それこそが自分の人生にとっても最も安全で快適であり、長く続く幸福だからだ。力ある者こそが優しさを学ばなければならないし、支配する者こそが自らを律しなければならない。


善は弱くなどない。むしろ、善は悪を何度も見逃してきた強さの象徴である。暴力に屈しなかった者、報復しなかった者、仕返しせずに堪えた者──それが本当の強さであり、本当の知性である。


悪がこの世界に存在していられるのは、善がこの世界を守っているからだ。そのことに気づけぬ悪は、いずれ自らの手で自分の足場を崩し、滅びてゆくだろう。

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