【完結】失恋から始まる青春再生物語

碧(あおい)

優斗の物語

第1話 失恋

 中学の卒業式は、あっけなく幕を閉じた。


 体育館での厳粛な式典も、教室での最後のホームルームも、僕の意識にはほとんど残っていない。頭の中を占めていたのは、プールサイドで莉乃に告白すること、ただそれだけだった。


 佐伯さえき莉乃りの


 小学校の頃からずっと、僕が密かに思いを寄せてきた同級生だ。スイミングスクールで出会い、中学の水泳部でも共に過ごした。


 内向的な僕にとって、莉乃は唯一、積極的に話しかけてくれる存在だった。練習で壁にぶつかった時、試合で敗れて肩を落とした時、いつも彼女は僕の傍にいてくれた。


 その優しさが、僕には特別なものに感じられたのだ。


 もしかしたら、莉乃も僕に何か特別な感情を抱いているのかもしれない……。そんな淡い期待を、僕は胸の奥にしまい込んでいた。



優斗ゆうとくん、元気ないね? 卒業式でみんなとお別れするの、寂しかった?」


 式が終わり、教室でこの後のことを考えていると、莉乃がいつもの柔らかな声で問いかけてきた。

 僕の心臓が、大きく跳ねる。


「いや、そんなことないよ。ただ、ちょっと考え事してて……」


「ふーん? 何かあったの?」


 莉乃は小首を傾げ、僕の顔を覗き込む。

 その仕草の一つ一つが、僕の恋心をさらに募らせる。


 そうだ、今日が最後の機会だ。


 莉乃と同じ高校に進学することは決まっているけれど、莉乃と長く一緒に過ごしたこの中学のプールサイドで、けじめをつけたい。

 卒業式の後、水泳部員みんなでプールサイドに集まることになっている。その前か後に、二人きりになれる時間があれば……。


 部室を出て、僕はプールサイドへと足を向けた。

 みんなとの約束の時間には、まだ少し、早かったけれど、もしかしたら莉乃がもう来ているかもしれない。


 この後、僕は莉乃に想いを告げる。


 期待と緊張で、胸の奥が熱くなる。

 自分の心臓の音が聞こえる。


 廊下を曲がり、プールの入り口が見えた。夕日が窓から差し込み、床に長い影を落としている。風は少し冷たいが、僕の頬は火照っていた。


 プールサイドに着くと、まだ他の部員は誰も来ていないようだった。

 三年間を過ごしたプール。オフシーズンのプールに張られた水には、緑色の藻がその存在を主張していた。


 僕は莉乃を想う。伝える言葉なんて、まだ、考えられていない。この三年間の感謝と、この胸のドキドキをそのまま伝えることができたら。

 そのときは、呑気にそんなことを考えていた。


 しかし、プールの向こう側、夕日を背にした場所に目を向けると、二つの人影が目に飛び込んできた。


 一つは莉乃。そして、もう一つは……、うちの水泳部のエースであった佐々木ささき真吾しんごだった。

 更衣室の傍で、二人は、何やら言葉を交わしているようだった。楽しげな笑い声が、僕の耳に微かに届く。二人の親しげな様子を目にして、僕の足は、まるで地面に縫い付けられたかのように動けなくなった。


 そして、次の瞬間。

 佐々木が、莉乃の頬に手を添え、ゆっくりと顔を近づけていく。

 そして、莉乃は、それを拒むことなく、静かに目を閉じた。

 唇と唇が、重なり合う。


 僕の心臓が、まるで爆発したかのように激しく脈打ち、そのまま動きを止めた気がした。


 呼吸が、苦しい。

 視界が、ぐにゃりと歪む。

 夕日の光が、僕の心を嘲笑うかのように、目に突き刺さった。


「……っ」


 喉の奥で、声にならない叫びが潰えた。頭の中は、真っ白だ。


 そして気づいた。

 莉乃の優しさは、僕への特別な感情などではなかったのだ。

 ただ、クラスや部活で孤立しがちだった僕に対する、彼女の「当たり前」の優しさだったのだ。

  僕の淡い期待は、あっという間に粉々に打ち砕かれた。



 莉乃に告白しよう、だなんて、愚かだった。

 こんな光景を目にした後で、いったい何を言えるだろう。



 足が震える。


 僕は、その場から逃げ出すように、踵を返した。背後で、二人が僕を嘲笑うような声が聞こえたような気がした。


 いや、きっと、僕の錯覚だ。

 彼らは、僕の存在など、最初から気づいていなかったに違いない。

 二人が親しげに向かい合い、お互いを愛しそうに見つめあい唇を繋げていた、あの影像が、頭から消えない。



 自宅に帰り着いても、僕の心は深い闇に覆われたままだった。部屋のベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

 あの光景が、何度も何度も、瞼の裏に焼き付いて離れない。呼吸の仕方を忘れたかのように、息が詰まった。



 これが、失恋、なのか。

 告白すらできないまま、僕の初恋は、あっけなく散ってしまった。


 このとき、僕は、これまであった当たり前の世界が、音を立てて崩れていくような、そんな絶望感に包まれていた。






―――――――

連載を開始しました。

拙いところもあるかもしれませんが、読んでいただければ嬉しいです。

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