Rememoro 伯氏令閨見聞寵(はくしれいけいけんぶんちょう)
1話 位相
僕が二人に会ったのは、両親と産まれたばかりの仔猫を葬り弔う日だった。
クリストファーと名乗る銀髪の男と、サーラと名乗る茶髪の女。
七日前の嵐はまるで狙ったかのように僕の家と両親と仔猫の命を奪った。
町のあちこちは荒れたけれど被災者はいないと聞いた。
僕はまだ、七つにもなっていなかったせいか、その時のことは正直覚えていない。
僕は決められていたことのように、クリストファーに引き取られた。
僕の生活は一変した。
見たこともない食事の仕方や、食べたことの無い果物、やったこともない挨拶。
特別好きでも、嫌でもない。
態々働かなくても、美味しいモノを食べられる位の意識だった。
正直、勉強は少し面倒ではあったけど、文字列の規則が理解できたので本は楽しかった。
特に、IROHAは好きだった。
この世で使われている文字が全て鏤めただけと云うけれど、きれいだなと感じた。
メイドの一人、スーラにもうじき子供が産まれるらしい。
僕は、僕の食べる分が減るのかなとだけ思った。
好奇心から子供が産まれるのを見たいと、言った。
クリストファーは渋い顔をしたけど、スーラは構わないと言ってくれた。
生まれる日。
スーラは酷く苦しそうだった。
絶え絶えの呼吸。
ついさっきまで、優しく笑って僕におやつをくれたのに。
同じ人と思えない、言葉にならない音を吼えている。
こんなにも人を苦しめてヒトは産まれるのか?と今でこそ思うが、当時はただ、苦しさを押さえきれないスーラが怖く見えて、何かが感染る気がした。
産まれてすぐ、赤ん坊は息をしていなかった。
青黒い顔の、おおよそ可愛いとは思えないもの。
アルラが赤ん坊の両足首を掴んで、逆さまにして背中を叩く。
ごぼっと音を立て、何かが子供の口から溢れ出る。
なー、なーと、発する声は、仔猫が鳴いているようだ、思った。
赤ん坊が洗われて、お乳を飲んで、満足気に眠っているのを見たとき、頭の中がざわっとした。
それが何なのか、今だ分からないけれどずっと覚えている。
クリストファーは赤ん坊にミリアと名付けた。
ミリア。
その名前を口にした時、頭の中のざわざわはもっとひどくなった。
暫くして、スーラが死んだ。
驚くほど冷静だった。
見送るのは二度目だったからかも知れない。
すぅーと、頭の中のざわめきが無くなった気がした。
ミリアは僕のモノだと思った。
ミリアは泣かない子だった。
仔猫のほうがみぃーみぃーと煩さい。
病気かも知れない。
耳が聞こえてないの?と心配するほど泣かなかった。
生まれた時の、仔猫みたいな鳴き声をまた聞きたいと思った。
けど、どんな悪戯を仕掛けても、どんな意地悪をしても泣かなかった。
それどころか喜んでいる気もする。
……ちょっと、子供の勉強をしてみようとおもった。
クリストファーと話をしていた時だった。
多分、ミリアの話をしてて、その流れでスーラに触れたときだ。
まるで母さんのように、頬を挟まれじっと見詰められた。
まっすぐに僕を見るミリア。
限りなく黒に近い緑の瞳に、僕がいる。
僕の中を暴かれているようでどきどきした。
別に悪いことをしたり、
考えていたわけでもないけれど。
僕はミリアが立ちあがった事を喜んでる振りをした。
ミリアは直ぐに歩けるようになった。
本に書いてあるより早い気もするけど個人差なんだろうと、思った。
学校に行くということでクリストファーと下見を兼ねて試験を受けに行った日だった。
帰ってきた僕を待ちかねていたミリアが怪我をした。
いきなり足元に纏わり付かれて蹴ってしまった。
声を掛ける間もなかった。
ミリアの額から、どくどくと血が流れる。
僕はミリアを抱き抱えたけれど、どうしていいかなんて分からない。
流れ出す赤い血と、比例して青くなる顔。
クリストファーが戻ってきて、アルラに促されるまで、僕はただミリアを抱いていることしか出来なかった。
ミリアが起きるのを待ってなきゃいけないと思った。
ベッドの傍らでミリアが起きるのを只管待った。
にーと仔猫の鳴き声のような声が聞こえた。
ミリアが僕に手を差し伸べている。
頭にには包帯がぐるぐるに巻かれているのに、
隙間から覗く顔は、笑っている。
痛くないの?
苦しくないの?
何で泣かないの?
と思うと同時に、僕の目から涙が溢れた。
こんな、こんな小さな子が僕を慰めている?
自分は血塗れで朦朧としているのに!
でも、聞こえたんだ。
ごめんなさい。大好きだよ、って。
そんなわけない。
なんて自分に都合良く解釈しているんだろう。
もっと自分が嫌になった。
自分が嫌いだ、そう感じた僕は、自室に鍵をかけた。
くすっ。
自室って、僕のものじゃないのに。
クリストファーが用意してくれたんじゃないか。
どこまでも、自分勝手。
どろどろと、
もやもやと、
いらいらと、
ざわざわと。
目を閉じても、
布団を被っても、
耳を塞いでも。
夜が明けても、
日が昇っても。
ミリアが目を醒ましたとクリストファーが言った。
僕は会いたい気持ちが押さえられずドアまで走ったけれど、どの面下げて?と急に頭の中から制止がかかった。
確かにそうだ。
会えない、そう呟いたときミリアを呼ぶクリストファーの声が響いた。
何が起こっているんだ?
気になってドアを開けると同時に、何かが飛び込んできた。
何とかそれを捕まえたけれど僕は盛大に尻を打った。
ミリアだ。
ミリアはいつかと同じように僕の目を覗き込んでいる。
君の目には一体何が映っているのだろう。
にぃにぃと仔猫の鳴き声がする。
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