第8話 バラバラになった僕

受験を直前に迎えて、6月からは、ほほ楽器の練習は、何もしなくなった。

高校の3年を無駄にしたとは思わない。

DTMの機材も一部は、譲って貰ってたし、専用のパソコンに近いのもあった。

耳コピーして、アレンジのし直しは、効率が悪く見えるけど、あの作業の中で、ベースの基本的な役割りは?

躍動感を出すには?

いらない音は何か?

など、分割して聴いて書いてみたことで、音楽の細部がかなりわかったような気がする。


詳しく理解したいなら、理論もあるし、行き届いていなかったり、気付けてなかったこともあるだろうけど。

色々なタイプの曲で、それをやったことが、今音楽作りをするには、役にってると感じる。


文化祭が終わって、勉強取り掛かろうとした時、雑誌のコンテストのファイナリストに選ばれたメールが来た。

受験前だし、曲が有名な人のだし、1週間、1日30分ぐらいの練習で、とりあえず、4月ぐらいに、マイク1本で適当にグランピアノの生音で、録音しただけの演奏。

趣旨を考えたら、絶対にシンセて音作りして、御大が好きそうな音で、応募しなくてはいけなかったのに、全く頭が回ってなくて。

ある意味、珍しかったから、拾って貰えたのかもしれない。

ファイナリストから、2人東京でのライブで共演出来るらしく、難しい履歴書プラス、アー写みたいなのが、必要になった。

何も考えてない頭で、コサインで頭はいっぱいで、好きなアーティストの欄に、とりあえず御大以外に誰?となり、馬鹿な僕は、素直なスティービー・ワンダーとか書いてしまい。

だいたい衣装はいつも制服だし、写真は時間がなく、携帯で上下黒の服で撮り、2日あった予定日の1日にも模試があるから、その日は行けませんと書いて。やっぱりステージには出られなかった。

他の人は、プロで活動してる人ばっかりだから、いきなり受験の高3生は、お呼びじゃなかったかで。

が、ファイナリストに選んでくださったのは、嬉しかったし、時期は違ってたら、模試をぶっ飛ばしてでも行きます!ぐらいは書いたんだろうけど。


いよいよ、大学別の模試の2回目だから、夏休みの夏期講習の申し込みもあったから、頭はそっちへ向かってしまっていた時期だった。

ま、コンクール歴もクラッシックのばかりだし、客観的に考えたら、落とされるのは、よく理解できるけど。

今日の明日出せみたいな、急なやり取りだったから、ボロが出たと言うのか。

もうちょっと時間があれば、シンセで課題曲を弾き直したのを、同封するとか、スティービーを書かずに、せめて浅倉大介とか、渋いビリー・プレストンに外すとか、服装も考えられたんだろうけど。

受験勉強の合間に、書いてメールするぐらいしか、時間がなかったから。

他の人とは、時間の余裕が違う。

何で、こんなガキが混じってるの?な場違い感はあったかと。


ソワソワしてたら、本番1週間前まで連絡が無いとか、雑誌も多分御大のスケジュールとか、急に全身衣装写真とか言われて、振り回されてたのかも?

1週間前だから、忙しいスタジオの人だと、代打探すか、もう賭けて予定入れないかの2択しか無いけど。

正直、キーボードやっていて、御大が好きって人は、ほぼ聞いたことは無い。

曲は好きはいる。が、キーボードの弾き方や音色では、聞いた記憶がない。

ビッグネームだけど、微妙な立ち位置だから、皆んなもより色々と大変だったかと。


この後体調を崩さずに、東京へ行けて、知り合いの雑誌の人から、他の楽器の腕利きたちと、夢のようななメンバーで、バンドが出来た可能性はかなりある。

雑誌に関しては、知り合いのお兄さん。

当時は、まだ各雑誌がコンテストをやってたから、若手のこれからのメンバーで、楽しいバンド人生があったかもしれない。

これまで問題になった実力と、先はプロわ考えてる、この2点は問題の無いメンバーだったろうし、音楽の好みの近い人とも出会えた可能性はある。

人生にもしがあるなら、あのタイミングで、病気になっていなければ、理想とは言わないけど、かなりそれに近いバンドは出来て、喧嘩しながら、またバンドの人間関係に悩んだのかもしれない。


バンドは人の集まりだから、5人が1の足し算じゃなく、2の力に掛け算になったり、引き算になる人がいたり、何があったかはわからない。

お金が優先の人がいたり、音楽の好みが1番、一緒にいて心地良さが無いとやっていけない人、まとめる人がいないと、喧嘩ばかりになる。

最低3人、ユニットでも2人。

一般的には、5人のエゴな強めな人たちだから。


アイドルたちは、コレをどう解決してるのか?

あくまでメンバーの1人と言う姿勢で、事務所が管理しているのかもしれない。

分担制で上手くいく場合もあるだろう。

でも、上手くいってたバンドも、デビューはして少し売れた。これからって時期に、頼りにしていた超大物プロデューサーが急死、事務所が倒産。平均年齢が30歳手前。レコード会社は大手だけど、引き受けてくれる事務所が無い。

事務所が無いと、オファーが出来無いから、仕事は無くなる。

年齢的にも、音楽の才能は、曲が書ける人とそれ以外。

それぞれ、実家があり、この際だからやめて、戻って来いと言う親や親戚もいる、

さて、どうするか?

知り合いの場合は、解散した。


全員音楽からは、手を引いて、実義をやっている。アルバムも出したけど、本当の解散となった裏側は知らない。

自信がなかった人もいたかも?

売れないと食べてもいけない、結婚出来ないレベルの暮らしより、安定して結婚を家族を持ちたかったのか?

音楽だけを優先する生活、一日中考える生活が嫌になったのか?

親の病気や怪我で助けが必要だったのか?


僕は楽器を一気に辞めたせいか、無理にサッサと睡眠を取ろうとしたためか、理由はサッパリわからないけど、辞めて約2ヶ月、まともに勉強を始めた途端に、自律神経がやられたようだ。


スマホが必要だから、買って貰って、一平から、何故か「美玖ちゃんの番号いる?」と軽く聞かれた。内心を隠しながら、「入れといて」と答えた。

塾から帰るのが、11時15分。

寝るのは、12時と2人て決めたから、お風呂に入る時間も惜しんで、少しだけ、LINEをした。

その30分だけが、憩いの時間だった。

笑顔の写真を送って貰って、学校でまたまに見た。癒された。


が、体調はどんどん悪くなる。

時間的には、眠てるし、量も食べてる。お腹の調子はたまに悪くなるか?ぐらいで、自分でもおかしいとは、気付けなかった。

睡眠中はベッドの上で動き回り、睡眠時間は取れても、疲労感が残り微熱もでる。

動いているのは、受験で母と一緒にホテルに泊まって、母と寝て気づいてくれた。それまで一緒だった父親は、熟睡するから、僕の様子なんかは、気付いてもなかった。


病状の悪化がわかってなかったし、まだ鬱には入ってなかったから、東京へ行きたいから、浪人すると落ちる前から、決めていた。他の東京の学校には、通ってたけど。


美玖ちゃんとは、僕が浪人して、東京へ行けなくなって、会話が減り、自然消滅した。

多分、病気のせいもあった。

夏前には、完全に鬱にも入り。勉強しても頭に入らない、成績落ちたら鬱にもなる。

昼まで起きられない。

昼に起きたら、母がご飯を用意してくれていた。

スプーンで食べられるような、喉に通り安い感じのドンブリ物。

食べながら、泣けてきた。

泣きながら、食べながら「死にたい」と言っていた。

19歳男子が、泣きながら死にたいと、起き抜けに言うのは、尋常じゃない。


また、近くの医者では、精神安定剤の類いしかくれない。一応診療内科もやってる病院だけど。

近くのかかりつけ医の、若めの先生は、「受講が終わったら、直る。今不安ならと精神安定剤をくれたが、そんなのは嘘だった。

薬はだるくなるだけで、気分も上向かない、

受験のプレッシャーとかじゃなく、単純に自律神経が壊れただけだと、その後5年してわかったけど、遅すぎないか?


睡眠外来も、青少年の精神科にも行ったけど、全く良い気配にもならないし、診断がつかないから、薬も貰えない。

診断は付かなくても、問題ある睡眠だけでも、早くに回復してたら、長引かずに済んだのにと思うけど。


病気とはわからず、東京へ行きたかったから、浪人をした。

寝るけど、睡眠が取れてないか、起きられないとか、毎日が苦し過ぎた。

頭は壊れては無いけど、新しいことが、全く頭に入らない。

共通1次で、1番成績が良かったのに、下がった科目は、あり得ないことに、現代文だった。

今、考えられないから、答えがでない。公式使う数学のほうが、下がりは少しだった。

が、考えられなくても、昔覚えた公式を当てはめるから、まだマシ。計算ミスは連発したけど。

夜走ってみたり、気晴らしにバッティングセンターで、球を打ちまくったり。

友達に付き合って貰って、話しながらキャッチボールしたり。身体を動かすのは、悪くないと言われたけど、ますます疲れただけだった。


そして、次の年は、東京を諦めて、別の地域の大学にした。

東京の学校に全部落ちたから、仕方ない。

この大学に受かったのも、当時体調が良くて奇跡だった。


地方からもたくさん人が来る、この大学には違和感しかなかった。

サークル探しも、JAZZ研から、学校の軽音、DTM、他の軽音まで回って、決めた。DTMは最初は行ったけど、音楽の中身より、ソフトや機会に興味が強い人が多くて、友人は残ったけど、サークルには行かなくてなった。


先生の言う通り、受験が終わったからと、普通の生活をしたら、夏休みのバイト中に、身体が本格的におかしくなった。

バイトしまくって、欲しかった88鍵のキーボードと、大好きなアーティストのメーカーのベースを買ったら、借金が50万を超えた。

母に泣きついて、出して貰い、ベースは今もある。

その前に、母にモニターやらエレキギターと、アコギの修理代も出して貰ってるたから、もうこれ以上は言えない。

夏休み終わりから、鬱が酷くなり、しばらく実家に帰った。帰ってご飯たけは食べたが、何一つ良くはならな。


そんな中で、唯一会ったのが、サークルの友達で、皆んなでいきなり家に来たりした。

で、成り行きで、バンドを組むことななった。

キーボードが上手いのは知れていたし、コピーバンドを組むのに、よく呼ばれたりした。

スカパラや、バックホーンとか、ホーンバンドのバックもやった。


誘われてのは、オリジナルをやりたいヤツらだった

同じ学年で、ドラムとギターは1番手。ボーカルは、まずます。

ベースは他に、上手ヤツがいないから、お前弾いて。曲も書いてってことだった。

このバンドに、良いベーシスト探してきて、僕がキーボードに回ったほうが、結果良かった気はする。

が、頭は回らないし、体調を考えたら、やれるのか?だけど。

そして、4人いるのに、バンド名は何故か3に関係する名前だった。

3人で決めてたか?

後は、僕が入るか?入らないか?


前回のバンドで、懲りたのはある。バンドは楽しいし、達成感はある。

でも、足並みが揃わない、力量が揃わないと、上手くいかないことを、実感してた。

「お前らプロになる気あるの?」それは聞いてはみた。

3人はとりあえず「なれたら嬉しい」とは答えた。本気か?とは思った。

プロになるためには、遊んでる時間は無いし、本来なら僕のような病人は、入れたら負担になるだけ、なはず。

多分、口先だけなんだと感じた。


でも、体調が最悪の僕を入れたいと、誘いに来てくれた気持ちは、わかったし、嬉しかった。

バンドは、皆んなに付いていけなくても、飛び出しすぎても、そいつが離れるしかない。

ある意味、多数決の集団、常に多数決をするしか無い、そんな人間関係だ。

3人時代に考えた名前を、気に入ってるから、使うとか。

僕は名前なんか、どうでも良かったけど。トライブスは、3のトライから来ている、


僕は入学してすぐ、ネットでキーボードを募集してる人たちに、連絡してみた。バイトを兼ねて、幾つかバンドには参加した。

どこも、キーボードが、不足していたからだ。

ギターは大学から始めても、必死でやれば、何とかがなる。ベースもドラムも、どれだけ必死かによるけど。

キーボードだけは、ずっとピアノがエレクトーンをやっていないと、指が動かないから、なかなか難しい。


おまけに、一生懸命にやった人ほど、ポップスや、バンドはやりたがらない。

もうクラッシック命になってる人が多い。

男が人数も少ない。女子は男子だけには、入りたがらない。

故にキーボード弾きは、需要は高い。


最初にやったのは、オリジナルもやるバンド。曲はギターが作っていて、アレンジがしょぼい。練習1回目で、すぐにわかった。

彼のオリジナルを気に入ってくれた、健康食品、つまりサプリのメーカーが、テーマ曲にしてくれるかも?と話は聞いていた。

が、こんな曲で、タイアップ出来ても、先は無いことも、アレンジさせられるのも嫌だったから、ライブ2回で約束通りに抜けることにした。

僕の曲を、タイアップ曲にするとか、色々と引き止められたけど、演奏が下手だし、タイアップでもショボ過ぎるから、お断りした。


2年からは、トライブスの活動に時間を使った。1学年下にドラムがめちゃくちゃ上手く、ボーカル女子さんかなり上手い子が入って来たけど、もうバンドで固まっているから、再考はしなかった。


曲作りを久しぶりに始めた。

が、この自律神経の病気や鬱になると、脳が変容したり、働きが鈍くなるらしいと、後にわかった。


これまで、「おならのうた」から始まって、転校する友達に曲を作ったり、様々作ったけど、曲が作れなくて、困ったことはなかった。

上から彫りてくる感じも、無くはない。

どちらかと言うと、どこかからの電波を受信するようなイメージ。

もちろん、いつ来るかはわからないから、宇宙だかどこかから来る、


歩いてたり、ふとした時が多い。

オマケに、1回に1度とは限らない。

同じメロディーや、サウンド込みの曲が、2曲とか3曲ごちゃ混ぜに鳴ったりもする。

形にして、外に出すと無くなるけど、出さないと、何ヶ月も仕上げないと、ひつこく鳴ってるのもある。


今、書くべき曲、描きたい曲が、受信されは無い。ランダムだから、作らないといけない曲と、混ざったりしと、脳みそが爆発しそうにもなる。

いつも降りて来る訳では無くて、2、3ヶ月、受信しない時も、ザラにある、

殆どの曲は自分が作りたいイメージがあって、サウンドを付けたり、メロディーをのせたりして作る。

今だと、オーダーがあるから、オーダーに合わせて考える。


が、今もそうだけど、脳が働かなくなると、1番出来ないのが、曲作り。確定申告の書類は作れるし、スケジュールや進行管理表を、組み直したりは出来る。

普通の仕事のメールも書けるけど、曲作りが進まない。

多分だけど、調子が悪いと脳のリソースが減る。曲作りは思ってたより脳のリソースが必要で、不足のままに続けると、はかどらないし、良い物も出来ない。

脳のスタミナがなくなるような感じなのか、内容はよくわからないけど。


このバンドはロックだから、ロックの曲を書かないといけない。

色々ななタイプがいるけど、僕はシンガーソングライターでは無い。

歌いたくも無いし、歌詞を考えるのは面倒くさい。

一部英語っぽい歌詞を書いて、オーストラリア人に、添削を頼んだりはした。

が、曲を作るスピードの5倍は時間がかかる。テキトーな歌詞でもそう。

考えてることはあるけど、伝えたいことはあまり?殆どない。

理系の作曲家に多いかは、わからないけど、歌詞が時間がかかり、出来もよくない。だから、やりたくない。

フレーズの繰り返し程度なら、良いけど、ちゃんと文章にするとなると、時間がかかる。

曲なら幾つか出来るのに、歌詞に時間を取られるのは、時間が無駄に思えて仕方ない。

だから、1番ヒマなボーカルに、メロディーに何か歌詞をのせろと、丸投げするようになった。

フレーズが浮かんだのは、そのまま伝えたけど。


曲は10曲以上出来た。

中から、6曲を選んだ。

ボーカルの声に合わないとか、リズムが複雑過ぎて、ドラムが叩けないとか。

色々削っていき、3年になる前の春休みに、スタジオでまとめて録音することになった。

ライブや対バンが、幾つか決まっていたから、音源も売ろうと言う話からだ。


体調は変わらず悪い。

家からライブ会場まで、キャリーで運ぶだけで、体力を使い果たして、頭が回らなくなり、忘れ物も増えた。

いくつ、スマホの充電ケーブルセットを、失くして買ったことか。


眠れてないから、脳が休まってないのは、当然だけど身体もキツイ。

本場まで、寝転んでうとうとしたりは、いつものことだった。

演奏は自分で作って、何回もやり直したから、間違えたりはしない。


この時期書いた曲には、今は何の感慨も無い。そんな状態で書いて、演奏したけど、特に思い出もなく、またあんな曲を作ろうって気持ちにも、ならない。

言わば、夢遊病者がやってた感じで、自分が書いたと言う、感じもしない。

悪くは無いけど、良くは無い。

今、僕が聴いたら、全部ボツ曲だった時思う。


3年の夏には、ドラムとボーカルは企業のインターンに行くと言いだした。

僕は1年の必修も取れずに、いつ進級出来るかもわからないのに。

プロとか言ってて、インターンに行く意味はある?と思った。


このバンドは.プロになりたいからと、僕を勧誘したのに、自分たちは就職なのかよ、と感じた。

確かにその2人は、厳しい。

ドラムはやれば、まだ伸びそうだったけど、ボーカルは声に魅力も無いし、音程は不安定。

パンクかなんか、怒鳴ってるだけなら、まだしも、普通にちゃんと歌うと、アラが目立ち過ぎる。

ギターのヤツに、どう言うことかと聞いた。コイツは世の中を舐めてるし、家も裕福だから、休学してギター弾きまくろうかなぁとか。

ボーカルは、やっぱり自分の実力不足は、対バンしたらよくわかる。だから、サラリーマンになるらしい。

ドラムは、やれば出来るのはわかっているけど、実家を継ぐまでの、時間が無くなった。

農家だから、とりあえず兼業で農協か市役所に勤めながら、親の手伝いするしか無いと。田舎に帰るらしい。

年初にお父さんが、怪我をしたらしく、仕方なく方向転換するようだ。

バンドに勧誘に来た時は、体調で無理かも?の俺が残って、あとは違う道?


また、裏切られて、置いてきぼりにされた気分。

ラストはサークルの、最後のライブまでやるけど、ライブハウスに出るとかは、もう無理かもな。

1年半でこの変わりかた。レコーディング代も無駄?CD作っても、個人のアー写も撮影して貰ったし、全ては何の意味も無いってこと?


疲れてたのもあり、一気にまた深く落ちた。

女の子に逃げたり、めちゃくちゃなこともやった。

夕方まで起きれないから、夜眠れないから、夜から出けて帰らない。朝方鍵が無くて、ドアを叩いて起こしたり。

それは困るからと、帰りの時間を聞かれるのが、鍵があるのか、連絡があるのがうざい。

普通に考えたら、朝4時にピンポンされるのは、親も嫌だろう。母も睡眠に問題があったうえだし、

でも、鬱で落ちてる時は、全て他人が悪いと思わないと、生きていられない。

人のせいにしないと、死にたくなるからだ。自分を責めたら、死にたくなるからだ。

バンドが崩壊したのも、全部周りのせいにした。僕が悪かったかもしれないことも全部ひっくるめて。


サークル横断で、学祭のみ続いたバンドは、在籍中は毎年出た。同じバンドのギターに、先輩のギター、友達女子のボーカルとか。

曲は決まったジャンルだし、毎年やれば、大抵は覚えてる。

野外のデカいステージから、皆んながモッシュするのを、眺めるのは楽しい。

ここは、横断バンドな分、上手い人は多いけど、あくまでテンポラリーにやる、お祭りみたいな物だから、バンド感はあるけど、バンドでは無い。


バンドもそんなだしの時期に、同じライブに出てたバンドの人に声をかけられた。キーボードをサポートとしてやらないか?と。

メタル系で30歳手前、先をどうするかを、メンバーで考えた結果らしい。

今、メンバーは、それなりにバイトしながら.2か月に1度ぐらいで.ライブはしている。

定期的にやってる、セミプロ的なバンドや、劇団は皆んなチケットノルマがある。売れないと自分の自腹で、ただで来て貰うか、空席になるか。


リーダーに来て貰って、色々話はした。

今後とか。オリジナルはあるが、弱い曲しか無いとか、キーボードは今までも掛け持ちしてて、だいたいはメンバーじゃないとか。

僕の話は、サポートメンバーだから、メンバーじゃない。だからチケットも捌かなくて良い。話合いもしない。1ステージ、リハ1回込みで、幾ら。とりあえず期間は半年とか。自由に変えたい部分は変えてくれて良いとか。

他のバイトよりは、わりは弱いし、ベースも弾けるなら、サポートで入って欲しいと言われて、結果2以上年やった。

ライブが半年に1回だったりもしたから。

彼らも関西より、集客できるからと東京にも来て、東京にきてからも、サポートをした。

何となくの、ステージだけのバンドごっこなら、こんな形で他にもプロ含めて、サポートで出るところは、いくらでも出来る。

このバンドにも、少しは固定のファンがいて、応援し続けてくれるから、彼らも続けるし、やめ時が見つからない。

30歳過ぎて、ブレイクは無くは無いけど、確率は0に近い。

本人たちも、わかっていることだろうけど。

サポートのお金は、チケット代から出ていれば良いけど、居酒屋の店長代理のお金だと、貰うのも気はひける。が、しっかり、ビジネスだから貰うけど。

でも、色々なレベルのバンドに加わったことで、もうバンドをしっかり固めてやりたい気持ちは無くなった。

バンドを成長させるには、どうしたら良いかは、かなり考えることが多いし、僕か考える側に、回ってしまっているのもある。

そして、この人たちとこのバンドで、何かをやりたい気持ちが生まれる、そんな人たちと、結局は出会えなかったってことだろう。

そんな、一緒にやりたいと思ってくれるメンバーに、出会えた人は幸せだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る