バンドやりたい?バンドは生き物で、生物だ!僕らは音楽と生きてきた

@Tokotoka

第1話 初めての響きと音楽友達

音楽は友達も、好きな人も、嫌な奴も、僕に教えてくれた。


記憶がある中で最初は、和音のドミソとドファラの響き。母が僕のために、毎日鳴らしてくれた響き。

朝、昼、おやつ、夕飯前に、1日4回は鳴らしてくれた。

ドミソとドファラの響きの違いが、理解出来て、正しい色の旗を上げられるまでずっと。


まだ、やっと赤い色と黄色の区別が付いたばかり。

まずは、赤と言われて、赤い旗が上げらるようになってから、赤はドミソの響きが聴こえたら、上げる旗になった。

母が割り箸に、色紙で作ってくれた、三角が先端に付いている、旗。


最初は、赤と黄色だけ。

響きの違いがわかるまで、毎日欠かさず、動物園へ行く日も、朝から旗上げをして、寝る前にもやった。

僕には楽しかった。

ママが僕にだけ注意を払い、真剣な顔で鍵盤を押し、僕を見てくれたから。

そして、ピアノの響きが好きだったから。

今も1番好きな音は、アコースティックのピアノの響きは、変わらない。


半年近くは、ふざけてばかりいた僕だけど、ママは根気良く続けてくれた。

ドミソとドファラをランダムに10回弾いて、僕が正解したかを、必ずノートに付ける。

まぐれ当たりに、一喜一憂せずに、淡々と冷静に和音を弾き続け、メモを続けた。


4か月ぐらいで、少し響きの違いに気づいたらしい僕は、正解を出せるようになったらしい。

絶対音感を身につける本を読んで、母が地道に毎日欠かさず、僕が飽きないように、楽しく出来るように。話しながら続けてくれたお陰。


絶対音感とは、簡単に言うと、音がしたらその高さがわかる能力。

人によって生まれつき持つ人、目に障害がある子供は耳が発達して、身につける人もいる。

僕のように、訓練でも身に付ける人もいる。

説によると、三歳以前の早い時期から訓練すると、身につきやすいとか、毎日何回かに分けてやると良いとか、色々あるようだけど、僕と妹の二人は、絶対音感が付いたから、母のやり方は間違いではなかったんだろう。

そして、敏感になり過ぎて苦労する人がいることを知った母は、鋭敏になり過ぎないように、ちょっと歪んだ音もある、ポップスの曲も僕らに小さい頃から、聴かせたのかもしれない。


響きの違いに気づけるようになったのは、僕が2歳になる直前だった。

ロクに単語もまだ話せないのに、響きの違いに気付ける子供になった。

ドミソと、ドファラの違いがわかるまでが、一番時間がかかった。次のソシレは青の旗だし、他の音とは違う響きだから、すいすいと進んだ。

僕は三歳の誕生日には、ほぼ基本の和音は正解出来て、単音のドだけ、ソだけもほぼ間違えなくなった。

絶対音感の訓練は、不協和音から、一度に五個の出鱈目な音が鳴っても、聴き分けられるようになった、小二の終わりごろまで続き、絶対音感のテストを受け合格して、相対音感の訓練を少しやった。

相対音感の訓練は、嫌いなドリル形式だったりしたのと、音楽レッスンで育つからと、途中でリタイヤした。


絶対音感はあると便利ではある。ピアノを練習しても、自分で弾いた音を覚えてたら、間違えたら、楽譜の音名を覚える必要はない。

楽譜はすぐに読めるし、暗譜と言う覚える作業も早いから、特に小さい時期は、練習をそれほどしなくても、曲が弾けるようになる。

手元だけに、集中出来るまでが早くて、音源があれば、それを覚えて弾くことも出来るる、

母はそれに気付いて、小さい頃は音源はあっても、弾けるようになるまでは、聴かせてくれなくなった。

僕が楽譜を、キチンと読まなくなるから。

いい加減に、楽譜を読む僕を気遣って、当時のピアノの先生は、楽譜をちゃんと見るだめに、倍のサイズの大きな音符の楽譜を、拡大コピーして作って、何とか楽譜を見るようにさせようとしたこともある。


先生には、多分絶対音感は無くて、暗譜も緊張すると真っ白になって、飛んでしまう話を聞いた。

僕にはそんな心配は無かった。記憶間違いをすると、なかなか直らないのは、ちょっと厄介だけど、楽譜を見ると頭の中で音は鳴るし、楽譜は弾いて場所が、頭の中で浮かんでくるから、次の段やページも、写真のように頭の中に浮かぶから、譜面はわからなくならない。


絶対音感があっても、ピアノが上手くなるとは限らない。

音楽とは違う世界で生きる人もいるし、邪魔になる人もいる。

救急車のサイレンも、コップにスプーンが当たった音も、全部ドレミで音が鳴るし、わかる。

それが気になり過ぎる人もいるし、意識をオフにすると気にならない人もいる。僕は後者に近いし、妹もそう。

たまに、冷蔵庫が静かに唸る音が、気になったりはする。


僕が生まれたころは、絶対音感があるだけで、稼げる仕事はあった。

着メロや、カラオケの音源を、CDとかから聞き取り作る仕事。

今や、AIが勝手に曲を作ってくれる時代になったから、絶対音感のアドバンテージは、ほぼ無くなったのかもしれない。


音の高さは、聴けばわかるから、そこには集中せずに、今鳴ってる音が好きか嫌いか?

音色や響きに意識がいくようになったことは、良かった点なのかもしれない。

もちろん、親が訓練を始めた理由、「バンドやりたくなった時に、耳コピー出来たら便利だよね」は、かなり大きい。

音楽教室に通わせてみた理由「バンドがやりたくなった時に、楽譜が読めて基本がわかっていると、便利かも?」も、その通り役に立った。


旗上げから始まって、幼稚園に行く前と、帰ってすぐ、三十分ずつ練習するが当たり前になり、毎日やることも当たり前に。

やらないと、何だか落ち着かなくなるまでは、自分からやるようになるまでは、親は声かけをしてくれた。

毎日地道に練習しないと、上手くならない。楽器やスポーツとは、そう言う物だと身体で感じるようになった。


水泳やサッカーは、毎日練習する気になれなかった。

だから、上手くはなれなかった。

ピアノは、毎日が当たり前になり、ギターやベースを始めたら、それも当たり前になった。

僕は、響きが好きな楽器しか、続かなかった。管楽器は向いてなかったのか、吹けなくても、毎日やろうとはならなかった。

吹いてはみたかったけど、集中しようとか、毎日練習したくは、ならなかったから。

ドラムは、叩きたかったけど、これも練習は続けられなかった。

向いてなかったと言うと、そうなのかもしれないし、練習を始めた中高時代には、楽器は吹けなくても、音源が使えたことは大きかったのかも。

鍵盤を押すと、ドラムも金管楽器も鳴るから?やっぱり、響きが好きで、どうしてもやりたいの、優先順位が低かったから?

突き詰めるとそんな感じではある。

良い音、理想の音を出すためには、かなり時間がかかりそうだと、直感したからかもしれない。

中途半端な音では納得出来ない。音源より良い音が出せないなら、他の楽器を練習したい気持ちもあった。


今なら、楽器が弾けなくても、ボカロPが出来るし、誰かを探さなくても、音源を使ってバンドに近い音も出せる。

もしかしたら、バンドをやりたかっ人が多かった、最後の世代が、僕らなのかもしれない。

「バンドやりたい!」は、ポップスを好きになったら、皆んな考える。

でも、一番難しいのが、バンドかもしれない。

オーケストラまで人数が多いと、音楽性が合わないとか、人として合わないのは、当たり前で、全員が他と合わせようとするから、上手くいくのか?

バンドは最小の三人でも、上手くいかない見本のようで。

三人の力量のレベルや、好みすら合わない。


そんな僕が、初めてバンドを組みたくなったのは、仲間を誘ったのは、中学二年の終わりぐらい。

最初に、そんな話になった奴は、音楽好きなのは、ずっと昔から知っていた。


小学生時代、近くにピアノを真面目に弾く、男子の同級生が、他に三人いた。

彼らは何故か家が近くて、全員同じ学校だったことを後に知ることに。


出会った順だと、小学二年で出会った、大和が一番先に話した。

大和は見た感じは、一般的に誰もが想像する、ピアノが上手いお坊ちゃん像を、ビジュアル化した感じ。

サラサラヘアをお坊ちゃんカットにして、半ズボンに蝶ネクタイをして、サスペンダーまでセット。

裏でコンクールの出番を待っていた僕に、向こうから話かけてきた。

「他にもコンクール受けるの」

僕には、最初のコンクール。

他に受ける?って、何の話?な感じ。

彼は「予選にたくさん通ったら、本選も弾くチャンスが増えるから、来週とひと月後には、アソコまで行く」とか、自分の話をし出した。

正直、コンクール初心者の僕には、全くちんぷんかんぷんな話で。


僕はピアノはやってたけど、見た目は背も高いし、落ち着きも無い。

そこらのサッカーチームの子のような僕とは、まるで違う世界の子だと感じた。

何故そんな話をするのかも、僕には謎。

出番待ちの間、僕が考えてたのは、新しいベイブレードはカッコ良い、アレが欲しいってことだった。

その後、彼とあちこちで会ったり、仲良くなるとは微塵も感じてもいなかった。


次に出会ったのは、優。これも多分二年生ぐらいの時期。

同じ音楽教室の、違うクラス。

彼のレッスン日が変わって、教室の待ち時間が同じになり、話すように。

彼も真面目なお坊ちゃんタイプ。

この後、大和と同じ学校で、二人は一緒に連弾をするペアになり、日本一頭の良い大学へ進学することになる。

当時から、真面目で、口数は少ない奴だったけど。


最後に話すようになったのが、一平だ。

見た目は、前の二人に似てる。

彼らと同じ小学校で、眼鏡をかけてた。

多分、話した最初は、四年生ぐらい。


が、三人とは、しょっちゅう会う訳では無いし、優とは毎週会うけど、毎週一緒に遊ぶ訳ではなく。

彼らは待ち時間に、真面目に宿題をするような奴だったから。

僕みたいに、待ち時間にゲームボーイで遊んだりしない。


そして、中学になり、四人のウチの優以外の三人は同じ学校に入った。

優等だけは、より難しい高校のために、中学を選び、僕ら3人は中高一貫の学校に入った。


中高一貫になった。

学校は古くから高校としてあるから、部活もたくさんある。

音楽系も、吹奏楽と、オーケストラ部に、それぞれかなり人数がいた。

大和と一平オケ部に入り、ヴァイオリンとかを弾いた。

軽音部な無いし、今さら、軽音部を作るのは無理なのは、先輩たちから話を聞いていた。

まだ、ポップスには興味はなかったけど。

入った部活は、科学部。

ロボコンが好きで、高校に入ったら、ロボットコンテストに出てみたかった。


中学入学時期には、まだ誰もロックやポップスにも、ほぼ興味はなかったんだけど、厨二病なのか、それからしばらくして。僕らはクラッシック以外が大好きになった。
























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