第14話 追憶

「かず、起きたのかい?」


「姐さん、おいら、昨日は神社にいたはずなんだ。それで、傑に会って……」


「傑……? 誰だい、それは」


二階から降りてきた和文は、京子の反応がおかしいことに気づいた。


「誰って、傑だよ! ほら、この前幼馴染の天音ちゃんも……!」


「天音ちゃん? 知らないねえ、そんな子は。かず、寝ぼけてるんじゃないのかい?」


「ど、どうして……もしかして、昨日おいらが『戻って』ほしいって願ったから……」


和文は、自分がしてしまったかもしれない事を思い返し、絶句した。


「また、力を使ったのかい?」


「わ、分からない。今、おいらは何歳……?」


「かずは今、十八だろう?」


傑と出会う、二年前に『戻って』いた。


「おいら、どうしたら……!」


「だからあれほど言ったのに。普通じゃないことを自覚しろと」


普段、京子が絶対言わないことを耳にした瞬間、和文は耳鳴りとともに激しい頭痛を起こした。




「和文? 大丈夫か?」


「す、傑……?」


放課後、店に来て京子さんに和文の様子を聞くと、まだ寝ているとのことだった。俺が二階に上がると、和文はうなされていて、今やっと、目を覚ました。


「どうした、ひどい汗だぞ」


「傑! 傑だ! ごめん……ごめんなさい……!」


「な、泣くなよ、本当にどうしたんだ」


よっぽど怖い夢だったんだな。和文は俺に謝りながら縋りついて離れない。俺より年上だというのが嘘みたいだ。


「ごめん、おいらは今、何歳だ?」


「何歳って、二十歳だろ」


「そうか……! そうだよな!」


涙を流しながら、笑顔でまた縋りつく和文。その光景を、京子さんがこっそり後ろから見ていた。


「ほら、京子さんも心配してるぞ」


「ね、姐さん……」


「おやおや、また傑に迷惑かけるつもりかい?」


京子さんが呆れる姿を見て、和文はなんだか気まずそうにしていた。何か言いたそうに、口をもごもごしている。


「おいら、普通じゃないんだよな」


その言葉に、京子さんは目を丸くする。俺は、上手く返事してやれない。


「和文……」


「かず、あんたは普通だよ。あたいが、いつまでも保証してやるから、安心しな」


京子さんは少し、悲しい顔をしていた。和文に寂しい思いをさせないために、傷つけないために行動してきた結果が、和文に普通じゃないと思わせてしまった。


「やっぱり、姐さんは優しいなあ」


「もう、泣くんじゃないよ! 早く店の準備手伝いな」


和文は涙を拭いて、京子さんと一緒に階段を降りていった。たとえ血が繋がっていなくても、これを家族と言うんだろう。




そんな出来事から一週間が経ち、俺は天音と一緒に店に来た。


「私まで来てよかったの?」


「京子さんが誘ってくれたんだから、いいんだよ」


過去の話をするのに、京子さんは俺と天音、そして和文を呼び出した。


「二人とも、いらっしゃい」


「よう! 久しぶりだな!」


一週間前と変わらず、京子さんも和文も元気そうだ。


「んじゃ、全員揃ったから、始めようかね」


「お、おいら、緊張してきたっす……」


「なんであんたが緊張するんだい。困った子だねえ」


そんな微笑ましいやり取りを終えた京子さんは、過去について語り出した。




煙管の『記憶』を思い出した京子は、蝶香と変わらない日々を送っていた。


「それにしても、ちょっとずつ思い出せているみたいで、良かったよ」


「京子、もっと思い出せるように頑張るから……!」


「焦らなくていいって言っただろう? 子供のままの京ちゃんも可愛いんだから」


京子は照れながらも、『記憶』の破片を見つけるきっかけを、蝶香に聞いてみることに。


「何か、思い出、ない?」


「そうだねえ、今日はこれについて話そうか」


「それ、かんざし……?」


蝶香はバラのかんざしを京子に見せた。


「これもね、京ちゃんに似合うかな、と思って選んだものなんだよ」


「京子に?」


「そう。あたしのかんざしも貰い物でね、お母と京ちゃんからのプレゼントだったのさ」


蝶のかんざしがきらりと光る。京子にはかんざしの『記憶』がない。煙管と同じで、かんざしもこの家では大事にされてきた道具の一つだった。


「どうして、バラ?」


「ほら、京ちゃんはお花が好きだろう? それにね、バラは愛の象徴だから。綺麗なバラには棘があるっていうけどねえ、それは悪い意味じゃなくて、それも含めてバラなんだよ」


「バラ、好きだよ。蝶香さんのお母さんは、かんざしが好きだったの?」


それを聞くと、蝶香は引き出しから一つのかんざしを取り出した。


「これ、お母がつけていたかんざし。可愛いみかんが付いているんだ」


「ほんとだ。可愛いね」


「このかんざしは、お母がお父から、プロポーズのときにもらったものらしい。かんざしには意味があるんだけど、分かるかい?」


京子はゆっくり首を横に振る。


「分かんない」


「かんざしにはねえ、『守る』とか『大切にする』っていう意味が込められているんだよ。だから、お母はあたしにもかんざしをくれたのさ」


蝶香は、バラのかんざしを京子に手渡した。


「蝶香さんも、京子が『大切』?」


「その通りだよ」


「ありがとう」


満面の笑みでお礼を言った京子は、蝶香に言われ、二階へと上がってベッドに潜り込んだ。


その日、京子はかんざしを握りしめて寝た。そして、『記憶』の夢を見る。




京子は誰かと手を繋いで、町を歩いていた。


「京子ちゃん、お買い物は初めてかい?」


「うん。何を買うの?」


「今日はね、蝶香へのプレゼントを買いに行くんだ。京子ちゃんにも手伝ってもらおうかね」


町には色んな店が並んでいる。京子たちが入ったのは、かんざしを売る店。


「これ、いつもおばさんが付けてるやつ?」


「そうだよ。かんざしって言うんだ」


「これをプレゼントにするの?」


不思議に見つめる京子の頭を、その人はそっと撫でた。


「かんざしは大切な人にあげるものなんだよ。蝶香は、私の大切な娘だから」


「そっかあ。どれがいいかなあ」


「蝶の飾りがいいかねえ。ほら、これとこれ、どっちがいいと思う?」


その人は二つのかんざしを掌に乗せ、京子にどちらがいいかを聞いている。


「うーん、こっち!」


「よし、じゃあ、これにしようか」


京子とその人は笑い合った。これは、京子が『進んだ』時間の一部。蝶香の母と京子が、蝶香のためにかんざしを買いに行った、村から逃げてきて二年後の事だった。もやがかかり、次の『記憶』が見えてくる。


「蝶香、お誕生日おめでとう。はい、私と京子ちゃんからのプレゼントだよ」


「わあ! 蝶々がついてる! ありがとう!」


「最後は京子が決めたんだよ!」


京子たちが選んだかんざしを、蝶香はとても気に入っていた。


「京ちゃんもありがとう」


「えへへ」


蝶香の両親が失踪する、わずか一か月前の事だった。再びもやがかかる。


「お母のかんざし……なぜこれを?」


「遺留品の中にあってね、君もかんざしをつけているから、大事なものだと思ったんだ」


蝶香と知らないスーツの男性が話をしていた。


「おじさん、誰?」


「この子は……ああ、あの村の」


「京ちゃん、この人はね、お母とお父を見つけてくれた刑事さんだよ」


刑事はしばらく蝶香と話をすると、仕事のために足早に帰っていった。


「かんざし……刑事さんは、蝶香さんが大事なんだね」


「な、何言ってるの、もう。あたし別にそんなんじゃないからね」


この時、蝶香が赤面していたのを、京子は不思議そうに見ていた。蝶香の両親が失踪して、三か月後の事だった。


「どうして、『忘れて』いたんだろう」


京子が目を覚ますと、窓から朝日が差し込んでいた。これが京子の、かんざしに関する『記憶』の破片。




「これで半分以上は思い出したんだ。でも、あたいがあたいになったきっかけが、まだ抜けていたのさ」


「姐さんが、今の姐さんになったきっかけ?」


「そう。あたいはこの時点でも、自分の事を京子と呼んでいたし、あの人のことをよそよそしく蝶香さんと呼んでいたんだ」


確かに、一人称が違う。蝶香さんとの関係性についても、何か、絆が深まる『記憶』があったということだ。それ以外にも、まだ気になることがある。


「今、蝶香さんはどこに?」


「おいらも気になるっす!」


「私も、気になります」


和文と天音も、俺と同じことを考えていたようだ。京子さんが二十歳の時点で蝶香さんは三十一歳だったはずだ。そこから六年、まだこの店を経営して、住んでいてもおかしくない年齢だ。


「あの人、蝶姐ちょうねえは病気で亡くなったよ」


「病気……?」


「当時の流行り病で、一か月の闘病の末にね」


蝶香さんと『クロネコ』は本当に最後まで関係がなかったんだ。じゃあ、蝶香さんの両親が村で遺体として発見されたのも、偶然だというのか。


「その、両親の方は、何か分かっていることがある?」


「傑、聞きすぎだよ」


「天音、いいんだよ。傑はそういう奴だから。残念ながらあたいには分からなかった。あの時の刑事に話を聞いてみたけどねえ、この事件は他殺ということしか突き止められなかったそうなんだ」


確実に『クロネコ』と関係がなかったとも言えない。これに関しては、『クロネコ』にまた会って、直接聞くしかなさそうだ。


「姐さんは、あれから村には行ってないのか?」


「行っていないよ。また厄介なことになっても困るからね。そもそも、蝶姐にあの事件以来行くなと言われていたから」


まあ、あんなことがあれば、そうなるのも仕方がない。


「じゃあ、続きを……」


「傑! 何言ってるの、もう夜だよ? 私たちは帰らないと」


「おや、もうこんな時間に。かず、あたいたちも開店の準備するよ」


一気に慌ただしくなってしまった。今日はもう帰るしかなさそうだ。


「お邪魔しました」


「天音は律儀だねえ。またおいで」


「おいらも待ってるぞ!」


優しい京子さんと、元気な和文に見送られ、俺たちは帰路についていた。


「傑ってやっぱり、デリカシーないよね」


「そうなのか? 自分では分からない」


「そんなんだと、ずっと私が気持ちを『シンクロ』させちゃうんだからね」


それはそれで、なんだが怖い。


「や、やめとけ。天音がどうなるか分かんないだろ」


「相変わらず、私の事は心配するんだね」


そんな自覚は俺にはない。ただ、ちょっとだけ不安になっているのかもしれない。

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