17話 高貴なる悪意、ロベリア

 ローズの拳が刻んだ地面の亀裂を、ユリはまっすぐに見つめていた。


 どこか現実味がない。それなのに、心の奥で、何かがざわついている。

 彼女の中の“なにか”が――目を覚まそうとしていた。


「その目……思ったより、曇ってないのね」


 ローズが口元を歪めた。赤い髪が夜風に揺れ、憎しみの花のように広がる。


「いいわ。今はまだ、壊すには早すぎる。あなたがどこまで抗えるか、見せて?」


 その言葉と同時に、彼女の足元から濃密な黒い感情があふれ出す。

 怒り、悲しみ、絶望――それらが混ざり合い、花弁のように空に舞った。


 ローズの姿は、闇に溶けるようにして消える。

 ユリが一歩前に出たときには、すでに彼女の気配はなかった。


 残されたのは、ひとひらの赤い薔薇の花びらと、微かに残る硫黄の匂い。


「……これは、夢じゃない」


 ユリは静かにしゃがみこみ、花びらを拾い上げた。


 そのとき、再び祖母のお守りが震える。――いいえ、今度は違う。


 手の中で、まるで“熱”を持っているかのように、光が脈打っていた。


 そして、ユリの脳裏に焼きつくような声が響いた。


「――忘れるな、お前の中には“封印”されたものがいる」

「目覚めを拒むな。抗うほどに、お前自身が壊れていくだけだ」


「……誰?」


 思わず問い返したが、返事はない。声は静かに、ユリの意識の奥へと沈んでいった。


 その夜、ユリは初めて“夢”を見る。


 ――黒百合の庭。

 血に濡れたような花々の中、誰かが立っている。

 白い服を着た自分。そして、その背後に咲く、巨大な“花”。


 その花は、まるで咆哮のような音を立てて、空を食らっていた。


 エンド・フラワー。


 まだ名前さえ知らぬその存在が、彼女の中でゆっくりと目覚めようとしていた。

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