第2話 俺の名は……

1567年7月 筑紫地方 勝尾カツノオ


 北のカラめ手から逃げられるかもしれない。


 だけどね、逃げるのは何か違うんだよな。俺の性格じゃない。

 そもそもここで逃げるような性格だったら俺は前世で死んでなかった。


「敵はどのくらい残っているんだ? 味方の残りは?」


「我ら寄せ手を数百は打ち倒したものの、五千ほどの敵軍でございますれば、焼け石に水でござる。味方は元気に動けるものが八十、何とか戦えるものが九十残ってござる」


 赤目のおっさんが直ぐに答えてくれた。さっきの爺さんが大臣って感じなら、赤目のおっさんはザ・軍人って感じだな。すらすら答えてくれる。

 えーっと、つまり。


 170 VS 5000


 はは、ボコボコにされる未来が見えるな。腹を切るって痛いのかね。死ぬのはかまわんが理不尽に死ぬのは絶対に嫌だ。


 それでどうするか考えていると赤目のおっさんが俺を見つめているのに気づいた。


 俺の判断を待っている態度だが、それだけじゃない様子だ。戦う気があることをアピールしているのか。

 それとも俺を見定めようとしているのかもしれない。


 味方の状況は少しわかった。次は相手のことも知りたい。何しろ戦っている相手の名前も知らない。


 幽霊に取り憑かれたことを露呈するかもしれないが聞くしかないな。今のところ普通に話せている。俺は子供だ。ちょっとくらい変なことを言っても大丈夫だろう。


「改めて確認したい。降伏にあたって、相手の大将は、そのどういう人物だ? 信用に値する人物か?」

「斎藤殿のことでしょうか」

「そうだ」


 一瞬変な空気になったが何とか話が繋がりそうだ。


「であれば某がご説明いたします。お会いしたことがございますれば」


 今度は隣にいたシャキッとしている髪艶の良い爺が話し始めた。親父の首について説明してくれた爺だ。


「敵方の斎藤殿は重臣でありますれば、その裁定は信用できるのではないかと思われます。約束を反故にされる、という事は恐らくないでしょう。しかしながら一筋縄ではいかぬ人物でもあります。猛将でもありますので、ひたすらコウベを垂れるだけでは見くびられましょう」


 敵軍大将は斎藤ね。重臣ってことは大名ではないのか。どの大名に仕えているのか分かれば色々と分かるのだが、聞くのは藪蛇ヤブヘビかな。

 戦国時代で有名な斎藤といえばマムシと呼ばれるようになる道三ドウサンだ。大名でない時期もあったから条件には当てはまる。


「斎藤殿の家族構成は?」


「長女と次女、一番下に嫡男が居るようですが、それが何か?」


 三人か。道三は八男七女だ。それを思うと少ない様に思える。重臣というからには歳を重ねているだろうし、もっと子供がいなくてはおかしい。

 道三でないなら誰だ。よくある苗字だが五千も率いる事が出来る重臣はそうそういない。


「降伏が認められれば俺はたとえ親父の命を奪った人物でも誠心誠意仕えるつもりだ。だが言葉だけでは信用しまい。何か意見はあるか」


「さすれば人質を出すのがよろしいかと存じます。幼くありますが弟君を差し出さねばなりますまい」


 弟がいたのか、親族を差し出すのは王道だな。うん? 親族なら母親もいるはずだよな……。


「母上は?」

「……殿とご一緒に自害なさりました」


 マジか、息が詰まる。上手く呼吸ができない。これが戦国時代か。知らない母親のことなのに体が勝手にショックで強張コワバる。


「ハッ、ハーッ」

 短く息を吐くと空っぽになった肺が大きく膨らんだ。

 落ち着け、今は俺の体なんだ。


「若様?」

「大丈夫だ。他に何かないか」


 皆黙っている。なんか喋れよ。

「今、斎藤がされて一番いやなことはなんだ? 徹底的な籠城ロウジョウか?」


「籠城も嫌でしょうが、敵の五千という数はそれを想定した兵力でございます。むしろ逃げられ山に籠られる方がやっかいだと考えているのでは?」

「しかり、山に隠れられ、兵が去ってから町や村を襲われては難儀でござる。某は殿とそのように長年戦ってまいりました。民百姓相手に心苦しいでござるが、有効な手立てであることは間違いありませぬ」


 山賊になってゲリラ戦法か。ていうか降伏の条件について話していた時は黙っていたのに、急に嬉々として話し始めたな。

 母親の話題から変えたかったのか、降伏は嫌で本当は戦いたいのか。


「降伏に出立する使者を御停め致しますか? 今ならまだ間に合いまする」


 赤目が期待するような眼でこっちを見てくる。

 こいつ絶対に戦いたがってるだろ。

 170 VS 5000だぞ?

 亡き殿の主命を無視してでもやることか?

 戦闘狂バーサーカーかよ。


「……とりあえず止めてくれ」

「ははっ」


「それより北のカラめ手が空いていると言っていたな。そこから打って出ることはアタうか?」


「それは……能いまするが搦め手は人一列通れるだけの一本道でござる。多数で移動はできませぬ。そして少数では攻撃の手を緩めることさえ難しいと思われまする。打って出れば搦め手が見つかり、いざという時に逃げられなくなりますぞ」


 搦め手というより隠し脱出路だな。


「勝てなくとも良いのだ。敵将を、斎藤を驚かせることはできないだろうか。敵を打ち取れなくとも良いぞ」

「打ち取れなくとも良い……」

「そうだ」


「う~む、その程度で宜しければ1つ策がありまする」


 そろそろ誰か俺の名前くらい呼んでくれないかな。

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