『私が消える世界で、君だけが私を観測(み)ている。』

@ruka-yoiyami

第1話『私が存在していない間の世界について。』

まずは私が消えていたらしい時間の話をしようと思う。


それは、今朝、いつもの通学路で信号に引っかかった五分と十三秒の間。

たしかに私はそこに立っていたはずだ。赤から青に変わるのを待って、スマホをいじっていた。でも、その時、私を「見ている」人は誰もいなかった。


それとも、昼休み、購買でサンドイッチを選んでいたあの瞬間。

パンの棚の前で、ツナマヨにしようか、それともたまごにしようか、真剣に悩んでいた。周りにはクラスメイトもいたけれど、彼らはみんな自分の友達と話していて、私の方なんて見ていなかった。


あるいは、放課後に読んでいたページを、たしかにめくったはずの時。

図書館の隅で、私は夢中になって小説を読んでいた。ページをめくる音だけが響く静かな空間で、私は完全に物語の中に入り込んでいた。


そのどれも、私の**“存在”を誰も“見ていなかった”。

そして、誰も見ていなかったから、私がそこにいたという証拠は、どこにもない**。

まるで、最初からいなかったかのように。


それが、私の**“不在”**の証明になっているらしい。この世界の、なんとも変なルールについて。


「観波みなも。君の存在は、観測者がいない限り**“ないもの”**とされている」


そう言ったのは、学外観測部なる、いかにも怪しい部活動の部長を名乗る少年、是枝司だった。


清潔な制服をきちんと着こなしているのに、なぜかいつも眠そうな瞳をしている。誰にもべったり懐くわけでもなく、ただそこに“いる”だけ、そんな不思議な存在感のある人。


「君は、“主観的非存在者”。このままでは世界に残らない」


そんな、まるで死亡宣告のようなことを、彼はまるで今日の天気の話題でも話すかのように、あっさりと口にしたのだ。心臓がドクンと嫌な音を立てた。


「あの……私って、存在していないってこと、ですか?」

恐る恐る尋ねる私に、是枝先輩は少しだけ目を細めた。


「いや。君は**“存在してしまっている”**。世界がまだ、君をどう処理していいか迷ってる、って感じかな」

その曖昧な言葉の隙間には、量子論だの観測だの、多分高校生には早すぎるような、難しい概念がぎゅっと詰まっているのがわかった。でも、彼が言っていることの意味は、なんとなく理解できてしまう自分が怖かった。


「誰かに**“見られてる”ってことが、君という情報の“保存”**なんだ」


その日、私は自分が**“記録されない存在”**であることに気づいた。

私が誰かの視界から外れた瞬間、私はこの世界のどこからも、消えてしまうのだと。


それは、透明になることとは違う。透明なら、そこに“いる”ことは確かだ。でも、私の場合、“いなかったこと”になる。まるで、私の人生の一部が、まるで最初からなかったかのように、切り取られて消えてしまうような感覚。


今、こうして私がこのことを話している間は、きっとあなたは私を**“見ている”のだろう。だから、私は今、たしかに“ここにいる”**。


でも、この文章を読むのをあなたがやめた瞬間、私が“今、ここにいる”という事実は、どうなってしまうのだろう?


私という存在は、一体、どこまでが本当で、どこからが消えてしまう“空白”なんだろう。


私は、自分の存在が、こんなにも不安定なものだとは知らなかった。

もし、このまま私を“見てくれる”人が誰もいなくなったら、私は、私自身も知らない間に、本当に消えてしまうのだろうか?


私の体は、たしかにここにある。手のひらを広げれば、ちゃんと五本の指がある。心臓は規則正しく脈打っている。息をすれば、空気が肺を満たす。

それなのに、誰にも見られていない間は、私は“存在しない”?


この奇妙な事実に気づいてから、私の日常は一変した。

私は、常に誰かの視線を探すようになった。

廊下を歩く時、すれ違う生徒の目。

教室で、先生が黒板を向いている間に、私を見ているクラスメイトがいるか。

道を歩いている時、後ろから来る車のライト。


それが私を“観測”し、“存在”させてくれる唯一の証拠だから。


そして、私の心の中には、ずっと拭いきれない疑問が残った。

もし、誰も見ていない間に私が“存在しない”のなら、

その“存在しない”間に、世界は、一体どうなっているのだろう?

誰も見ていない、私という存在がいない世界。

そこには、一体何が起きているのだろうか?


この疑問が、私の日常を、そして私自身の存在を、根底から揺さぶり始めた。

私は、私が存在しない間の世界について、知りたくなった。

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