名残の空に、君を呼ぶ

零、追憶

 山あいにひっそりと佇む小さな神社は、冬の名残りを抱えた風が通り抜けるたび、舞い上がる落ち葉の音がやさしく境内を満たしていた。


 白髪を後ろでひとつに束ねた宮司は、ゆっくりと竹ぼうきを動かして、石畳に積もった葉を静かに寄せていく。

 そのすぐそばを、子供達が駆け抜けた。笑い声が澄みわたり、せっかく集めた落ち葉はあっという間に散り散りだ。

 老人は箒を止め、「まったく……」と小さく笑った。叱るでもなく、ただ肩を落としながらもどこか楽しげに、散らかった葉を見つめる。

 ふいに、小さな手がその袖を引いた。


「ねえ、宮司さま!今日もお話、聞かせてよ!」


 見ると、期待に目を輝かせた子供達が数人、いつの間にか取り囲んでいた。

足元には、どこからともなく集まってきた猫たちが、気ままに腰をおろしている。


「……お話、ねぇ。」


 宮司は、そっと目を細めた。

 子供達は徳川が幕府を開いた後の生まれで、平穏というものが空気のように当たり前の世代だ。

 だが、有名な武将の話や、戦の世を駆けた者の逸話には強い憧れを抱いている。

 村の大人達の中でも、この宮司だけは若い頃に実際の戦場へ赴いたと噂され、それを知る子供達は、彼の昔語りを宝物のようにせがむのだった。


 宮司は竹ぼうきを壁に立てかけ、集まった子らをゆっくりと見渡した。

 吹きつける風に揺れた落ち葉が、ふっと彼の足元をかすめる。その一瞬、遥か昔の景色が微かに胸裏をよぎる。


(……今でも触れれば痛むものもある。)


 胸の奥で、ひとつの重みが静かに疼く。

 それは戦の傷だけではない。失ったもの、救えなかったもの、言えずに呑み込んだ思い……。

 年月はその痛みを薄れさせてはくれなかった。それでも彼は、逃げずに抱いたまま、ここまで生きてきた。

 痛みごと大切に抱きしめてきた、遠い日の思い出だ。


 宮司は、そっと息を吐き、縁側の方へ歩いていく。


「ほら、そこに座りなさい。風が強いから、身を寄せ合うのだよ。」


 子供達は嬉しそうに駆け寄り、猫たちも我が物顔で並んで座り込む。

 宮司は腰を下ろし、手を膝に置いて、緩やかに視線を落とした。目の奥に、静かな決意のような光が宿る。


「昔の話だ。……わしが、まだ若かった頃のこと。」


 年老いた宮司はゆっくりと語り始めた。

 命を懸けて生き抜いた、忘れようとしても忘れられるはずのない、あまりにも鮮烈で、あまりにも愛しい、若き日の物語を。

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