伊勢崎町編・2・プロトデバイス

 夕刻、陽介のアパート。鍵を開けて陽介と琴音が帰ってくる。

 宅急便で届いた荷物が置き配になっていた。


「おっ、届いてた」


 カッターを使って丁寧に梱包を剥がす。


「何を買ったの?」

「じゃーん、これこれ」


 中から出てきたのは、見覚えのある型遅れのスマートフォンだった。充電端子はUSB-Cではなく、マイクロUSB。

 荒蜘蛛との戦闘で使った、あの最初のスマホだ。陽介は『プロトデバイス』と呼んでいる。


「プロトデバイス材料、今やレアなんだけど、ヤフオクで見つけてさ」


 陽介はそう言いながら、おもむろにシリコンシートを敷いた工作テーブルで、スマホを分解しはじめた。


 バックパネルの隙間にカミソリの刃を入れ、徐々に広げたらギターピックを差し込む。ギターピックが4枚刺さったところで、筐体の粘着剤が剥がれ、裏蓋が外れ、マザーボードが見える。丁寧に精密ドライバでフロントのカメラユニットのコネクタを外し取り出す。カメラを手慣れた手つきで分解していく。


「そういえばこないだ、卦符が作れなくなったって言ってたね」

「うん、後悔があってスランプだった。精神が乱れているとだめ。符を刻むのはものすごく集中力がいるの。」

「そうか、俺は分かんないけど、そうだよな、あんな超常現象を起こすモノだもんな。」

「だから、陽介くんの作るシステムは、私たちモノノフの目から見ても驚異的よ。」


 カメラの可視光線フィルタが剥がせた。一度やったことのある作業だから迷いはない。

 ここから新しい作業。スマホの青色発光ダイオードのハンダを丁寧に外し、2本の配線を引っ張り出す。裏蓋にマイクロバイスで小さな穴を二箇所あけ、配線を通し、外に出した状態で、裏蓋と筐体の接合部に粘着剤を塗布し蓋を閉める。


 組み上がったところで、OSのセットアップに入った。クリップを使って今のスマホに入っているSIMを抜き、プロトデバイスに差し替える。一通り、OSセットアップが終わったら、rootをとる。

 そして、以前開発した自作アプリの改良版を、PCから開発者モードでインストールした。


 二本出した配線にコネクタをはんだ付けし、指を切った手袋の配線を接続する。手袋の中央には、UVレジン加工用の紫外線LEDがついている。


「よっしゃできた……琴音、ちょっとスマホで『離為火』試してみて。」

「え?壊れない?」

「多分大丈夫。」


 言われるまま、琴音は左手に手袋をはめ、プロトデバイスにインストールされた改良アプリの画面のGUIを見る。


「じゃあ、やってみます。壊れませんように。」


 スマホの画面を見ながら、親指でスワイプしつつ唱える。


「……離為火!」


 バシッと音が出て、左手の手袋のブラックライト塗料が光る。

 琴音の掌の中心からバーナーのような小さな青い炎が現出した。


「おおぉ」

「大きくなれとか小さくなれって念じてみて。」


 琴音が念じるサイズで炎のサイズが変わった。大きくと念じれば火力があがり、小さくと念じればトロ火になる。


「なにこれすごい、見たことない!」


 炎は1分ほどで潰えた。


「よっしゃ、実験成功!」

「すごーい。符なしで『離為火』もすごいけど、調整ができるなんて。」

「ふふふふ。」

「ねえ、変なこと言うけどさ……」

「なに?」

「それ、ガスコンロで良くない?」


 陽介はすごい変顔でコケた。


               ・


 プロトデバイスで改善されたのは、卦術の発行時にスマホの画面が割れなくなったことであった。

 しかし二度目の『離為火』発光で発火しなくなる。


「あー紫外線LEDが逝ってるみたい。」


 やはり発光ダイオードのPN接合が想思力場の影響を受けて脆い。


「やっぱりこわれちゃうの?」

「この先んとこだけ交換すればいいんだけどね」


 陽介は新たなLEDを接続する回路を組み始め、焦ったように呟いた。


「あっ、やっべ!抵抗も焼き切れてる、コネクタもない……まだ時間あるから買いに行くか」

「えー、秋葉原?今からじゃお店閉まっちゃうんじゃない?」


 琴音が心配そうに尋ねる。たしかに、秋葉原の電子部品店はたいてい十八時には閉まってしまう。


「いや、ううん、石川町の方。中華街の近くのさ」

「あんなところに、部品屋さんなんてあるの?」


 琴音がきょとんとした顔で首を傾げる。


「うん、『エジソンプラザ』ってビルがあって、そこに昔っから、おばちゃんがやってる『シンコー電機』※っていう部品屋さんがあるんだ。ちょっとレトロな感じだけど、意外と品揃えが良くてさ。」


 陽介は、まるで秘密基地の場所を教えるかのように、少し得意げに説明した。


「ふーん、面白そう!私も一緒に行こうかな。ちょうどお腹も空いてきたし、中華街に美味しいお店があるんだ!友達のお家が経営してるお店なんだけど、絶品だよ!」


 琴音がパッと顔を輝かせ、楽しそうに誘う。


「へー!マジで!?それ聞いたら、もう行きたくなってきたな!ちょうどお腹も減ってきたし!」


 陽介も嬉しそうに頷いた。


「やったあ!」


 陽介は、ちょっと照れくさそうに、棚の奥から真新しい段ボール箱を下ろした。


「あのさ、これ……被って。」


 差し出されたのは、ピカピカのジェットタイプヘルメット。琴音は目を丸くする。


「これ、なあに?」


 そのヘルメットは、先日、陽介がこっそり購入したものだった。

 先日、夜織とバイクでタンデムしたけれど、いつか琴音ともバイクで出かけられたら……という、少し不器用な陽介なりの期待が込められていた。


「えっと、その、電車じゃなくて、バイクで行こうかなって……」


 陽介は顔を赤らめながら、窓の下にある自分の愛車、ヤマハRZ-250Rを指差す。ツースト特有の排気音が聞こえてきそうな気がした。


「陽介くん……」


 琴音は、陽介が自分と二人乗りするためだけに、わざわざ自分のサイズのヘルメットを買ってくれたことに気づき、胸の奥がキュンと鳴った。陽介の不器用だけど、まっすぐな優しさが、じんわりと心に染み渡る。


               ・


 陽介のバイクの後ろに乗り込み、琴音はしっかりと彼の腰にしがみついた。六角橋を抜け、国道1号線へ。そのまま、みなとみらいの煌めく景色を抜け、馬車道のレトロな街並みを走り抜ける。潮風が頬を撫で、バイクのエンジン音が心地よく響く。


 JR石川町駅の程近く、パチンコ屋のビルの向かいの2階に「シンコー電機」はあった。まるで駄菓子屋で菓子を買うように、陽介は嬉しそうに電子部品を購入した。


 部品を買い終え、二人は中華街へ。賑やかな通りを抜け、目的の老舗中華食堂「翠林苑」に到着した。香ばしい香りが食欲をそそる。


「おじさん、ひさしぶりです!」


 琴音が明るい声で店に入ると、厨房から顔を出した店主が、彼女の顔を見て、少し微妙な表情を浮かべた。


「おお、琴音ちゃんか。元気だったか?」


 いつもなら満面の笑みで迎えてくれるはずの店主の顔に、いつもの活気がない。店内もどこか閑散としている。琴音は違和感を覚えた。


「どうしたんです? なんか元気ない。翠蓮ちゃんは?」


 琴音の問いに、店主は顔を伏せ、重い口を開いた。


「それが……翠蓮は、ひと月前から、家に帰ってきてないんだ…。」


 店主の言葉に、琴音の明るい表情が凍り付いた。まさか、自分のライバルであり、妹のように思っていた翠蓮が…。

 琴音は、翠蓮の身に何かあったことを直感的に悟った。


「翠蓮が…? そんな…どうして?」

「伊勢崎町で見かけた人はいるらしいけど、帰りたくない理由があるのかな」


 陽介は、ただならぬ雰囲気に言葉を失う。

 琴音は、かつてのライバルの身に何が起こったのか、その真相を探ることを決意する。


「陽介くんごめんね、このあと、ちょっと伊勢崎町にいっていい?」


 琴音は、胸が締め付けられるようだった。翠蓮が、まさかこんな形で消息不明になるなんて。脳裏に、あの頃の翠蓮の姿が鮮やかに蘇る。


               ・


 広々とした道場に、気合の入った声が響く。中学時代の琴音と翠蓮が、互いに向かい合っていた。琴音はムエタイで培った重い一撃を放ち、翠蓮はそれを受け流すように、しなやかな中国拳法の型で応じる。二人は、この道場で出会い、互いの腕を磨き合う、かけがえのないスパーリングパートナーだった。

 翠蓮は、琴音の天性の強さと、あらゆる格闘技の技を驚くべき速さで吸収していく才能に、畏敬の念を抱いていた。


「琴音、今の、もう一度! どうやったらそんな風に体重を乗せられるの?」


 翠蓮は、目を輝かせながら琴音に問いかけた。琴音は照れくさそうに笑い「うーん、なんかこう、グンと…!」と擬音語で答えるばかりだったが、翠蓮はそれでも熱心に琴音の動きを観察し、自身の拳法に取り入れようと努力を惜しまなかった。

 しかし、翠蓮には一つ、琴音への不満があった。


「ねえ、琴音。なんで、あなたは大会に出ないの? 道場の演武にも、全然出ようとしないし。そんなに強いのに、もったいないよ!」


 琴音は、翠蓮の問いに、いつも曖昧な笑みを返すだけだった。


「うん説明が難しいけど、まあ、色々あるの。」


 琴音にとって、格闘技は妖怪と戦うための「手段」であり、公の場で己の強さを誇示することには興味がなかった。だが、その琴音の態度が、武の道をひたすら求めてきた翠蓮には、「本気で向き合っていない」ように映った。琴音はムエタイや空手の技も惜しみなく使い、翠蓮は中国拳法のみではどうしても琴音に勝てないことがあった。それも、翠蓮のいらだちを募らせる要因の一つだった。

 そして、ある日。


「道場、辞めるの。」


 琴音がそう告げた時、翠蓮は言葉を失った。


「なんで……なんで辞めるの!? まだ、私、あなたに勝ってないのに! 勝ち逃げなんて……ずるいよ、琴音!」


 翠蓮は、目に涙を浮かべ、拳を握りしめながら琴音に詰め寄った。その声には、怒り、悲しみ、そして琴音に置いていかれる寂しさが入り混じっていた。


 琴音は、翠蓮の言葉に胸を締め付けられた。モノノフとしての自分の道は、翠蓮の知る「武の道」とは違う。彼女がやらなければならないのは、対人に特化した戦闘ではないのだ。ここから先は、自分一人で進まねばならないと、琴音は理解していた。


「ごめん、翠蓮……。」


 琴音は、ただそう呟くことしかできなかった。心の中で深く謝罪しながら、琴音は振り返ることなく道場を後にした。翠蓮の悲痛な叫びを背中に受けながら。



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※ シンコー電機

https://www.cqpub.co.jp/cqham/Vacuumtube/shopdata/07.htm

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