鬼退治編・痩せ我慢
「無駄だ。穢れは、完全に祓い清めねばな」
役禍角は、琴音の言葉を意に介さない。錫杖が小鬼に向け振り上げられる。
「くっ……!」
琴音は咄嗟に身を翻し、小鬼たちを抱えるように庇った。錫杖が、小鬼たちの寸前でホームのコンクリートを砕く。ガァン!と耳をつんざくような音が響き、破片が飛び散る。
スカートの小さなポケットに符は残り1枚。鬼に効果があった卦術を使用する。
「
琴音が叫び、手にした符が閃光を放つ。両手足に「噛み砕く」バフが付与される。
十秒の間、役禍角の眉間への一本拳、喉への手刀、胸部への正拳、頭部へのハイキックと位置を変えて打撃する。しかしすべて分厚いゴムに弾かれたかのように、手応えがない。
陽介はFUMのディスプレイに表示される役禍角の想子力場データを凝視していた。
「火雷噬盍」の放つ想子力場の波形パターンは役禍角の表面で威力を喪失していた。
絶対量ではなく、変動を統計処理し微分で可視化してみる。役禍角に到達する際に、体内で逆位相の波形パターンが発生し相殺されていることがわかる。
(なんてことだ、ノイズキャンセリングヘッドホンみたいに相殺してる。要するに、こいつには卦術による攻撃は無効だ。)
想子力場以外にも特定の箇所に脈動があることに気づく。気になったのは左ふくらはぎ、腓腹筋、腓骨周辺に血流の脈動がある。
(これって琴音の攻撃箇所か?)
変動のある箇所を赤でマークする。琴音のカーフキックを受けた箇所以外にも、役禍角の全身に脈動をみつける。おそらく腓骨にはヒビがはいり、腓腹筋は打撲を受けて腫れ上がっている。鬼の強烈な打撃を受け止めた箇所などにも、脈動のマークが入る。これは「破壊」を示す赤だ。
(ダメージを受けまくってる! こいつものすごいブラフかましてる。体力と根性で隠しているだけだ! 見かけほど無敵じゃない、むしろ限界に近い!)
陽介は瞬時に判断する。だが、できるなら無為な戦いは避けたい。琴音の感情的な行動を理性で止めようと、陽介は叫んだ。
「琴音! 小鬼たちはエネルギー順位が徐々に下がってる。喧嘩に勝とうが確実に滅する。抗えない!」
陽介の合理的で冷徹な声が届く。だが、琴音は首を横に振る。
「そんなの、知ってる、しってるよ! いろんなの、いっぱいみてきたもん、みんな消えちゃうの。でも嫌なの。」
琴音の目に、悔しさと悲しみが混じった涙がにじむ。
役禍角は、錫杖を振り上げ、琴音に襲いかかる。その一撃は、まるで巨大な柱が迫ってくるかのようだった。琴音は、かろうじて身を捻って錫杖の直撃を避けるが、横を薙ぎ払った風圧で体が浮き上がる。
「遅い、遅いぞ。モノノフ。その程度でわしに敵うと思うか?」
役禍角の嘲りが琴音の耳に響く。彼は琴音の動きを全て見切っているかのように、ゆったりとした動作で、しかし確実に追い詰めていく。
役禍角の拳による重い打撃が、身体の芯に響く。意識が途切れそうになる。鋼の念珠を使われていたらこの一撃で終わりだったろう。
錫杖が当たれば即死は免れない。
陽介はもう後戻りできないことを悟った。
「わかった。」
陽介は決断のままオペレーションする。役禍角に対し、想子力場での攻撃はほとんど無効になる。琴音を自身を強化して物理でいくしかない。
「FUM、卦術『
陽介の叫びと共に、FUMから微細な光の粒子が瞬き、琴音の身体を包み込んだ。それは肉体と精神の「最適化」に加えて、FUMからの映像情報を琴音の五感、特に視覚に直接シンクロさせる効果を持っていた。琴音の網膜には、役禍角の全身像がオーバーレイされ、その分厚い肉体の奥深くに、先刻見出した微分による赤い警告が幾つも示されている。
FUMによる「沢地萃」情報同期で、琴音の動きは研ぎ澄まされ、役禍角の挙動を事前察知、攻撃を受ける頻度が減った。
しかし、それでも役禍角との圧倒的な力量差は埋まらない。
その瞬間、琴音の脳裏に、懐かしくも力強い比丘尼師匠の声が響いた。
「迷うでない、琴音。汝の信じる道を往け。真の強さは、想いの中に宿る。」
それは幻聴にも似ていたが、琴音の心に確かな光を灯した。師匠の声が、自分を鼓舞しているように思えた。
琴音はFUMが視覚化する役禍角のデータに意識を向け、大声で聞く。
「赤はなに!?」
「ダメージ!」
役禍角が何の会話かと訝しがる。
先ほど琴音自身がカーフキックを打ち込んだ右のふくらはぎの赤。
(効いてたんだ!)
そして大鬼の打撃を受け止めていた腹部や腕の関節部。表面上は強固な役禍角の身体が、内部では激しく損壊しているのが「見える」
役禍角が脳筋美学で無理を重ねた、彼の「痩せ我慢」の痕跡。
(キッツいのは私だけじゃない。)
「そういうことーッ!?」
痛みに震える身体を叱咤し跳ね起きる。FUMから送られる情報が、彼女の次の行動を明確に示唆する。渾身の力を込めて駆け出した。今度はフェイントなし。右の足を軸に、体を回転させ、渾身の裏回し蹴りを繰り出す。狙うは、役禍角の右ふくらはぎ。
ゴリッ!
今度こそ、確かな手応えがあった。硬い岩のような感触は変わらないが、先ほどとは違う、「折れる」感覚が琴音の足の甲に伝わる。
「……ッ!」
役禍角の顔から、一瞬、余裕の笑みが消え、わずかに体勢を崩し、痛みに堪えるように眉根を寄せた。足元に、微かな土煙が上がる。
琴音は畳みかける。間髪入れずに、次の一点へ。鬼の打撃で酷く損傷している腹部目掛けて、床を蹴り、全身の筋肉を使用した渾身のボディブローを叩き込む。
「うぐっ……!」
役禍角は、琴音の攻撃で初めて明確な苦痛の表情を見せた。その苛立ちが、彼の顔をさらに歪ませる。「見せていない筈の傷」を突かれたことに、激しい怒りを覚えているようだった。
戦況が、わずかに、しかし確実に変わり始めた。
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