第19話 別れ道再び
「仕事が決まりました」
摩衣李たち家族の訪問から一週間ほどして、菊菜が神妙な面持ちで俺に言った。
「それはよかった」
「うん」
喜ばしい話しをしているのだが、どことなくぎこちない雰囲気だ。
もう少し明るく盛り上がってもいいものだとは思うのだが。
「部屋は、会社が近くのアパートを借り上げてくれるらしいの」
「それはありがたいね」
「うん、だから引っ越しもすぐにできると思う」
「そっか」
それ以上話が続かなかった。
そして数日後、菊菜は少ない荷物と共に俺の部屋を出ていった。
「携帯が繋がったら連絡するね」
という言葉を残して。
(また一人か……)
摩衣李がここを出ていった時は、その日の夜に菊菜がきた。
まさか今日は誰も来ないだろう。そもそも誰かがくるあてもない。
(とりあえず牛丼食いに行くか……)
案の定、その日は誰も来なかった。
翌日から俺は本来の生活に戻った。
そう、契約結婚まえの独身一人暮らしの生活に。
元々が独り者だったから平気だろうと思ったが、そうでもなかった。
契約結婚当初は夫婦らしいことはほとんど無かったとはいえ菊菜がいてくれた。
やがて摩衣李がやって来て、忙しくも楽しい日々が続いた。
そして、摩衣李がユウノと鞍人の夫婦に引き取られて行ったその日に菊菜が来た。
(何気にここ数年、俺の人生って波乱に満ちてたなぁ……)
などと他人事のように思ったりもした。
寂しさは癒えないものの、
『携帯つながりました』
と菊菜からショートメールが来た時は嬉しくなってしまった。
『開通おめでとう』
と返信したが、果たしてそれがこの場合に相応しい言葉の選択だっただろうか?などと送った後で思い悩んだりした。
そして、菊菜から俺の口座に振り込みがあった。どうやら最初の給料が支給されたようだ。
次の日も菊菜からショートメールが来るかと期待していたが、来なかった。
それならこっちから送ろうかと思ったが、
(やっぱ俺から送ったらダメだよな、絶対にキモがられる)
と、思いなんとか踏みとどまった。
一ヶ月が過ぎたが菊菜からのショートメールは無かった。
振込はあったので忘れられてはいないようだ。
次の月も同様だった。
そしてその次の月、菊菜からショートメールが来た。
(おお!)
喜び勇んでメールを開くと、
『摩衣李ちゃんと』
という短いメッセージと共に、菊菜と摩衣李が一緒に写っている写真が送られてきた。
(うおーー可愛いーーーー!)
場所はどこかのカフェのようだ。
(それにしてもいつの間に摩衣李と……)
それからは月に二、三度くらい菊菜からショートメールが届くようになった。
全て摩衣李と二人で写っている写真だ。
どの写真も、二人とも満面の笑みで楽しそうだ。
(もし最初から菊菜の仕事がうまくいっていれば……)
という思いが頭をよぎる
もっと早くこんな光景が見られたのかもしれない。
菊菜と摩衣李が仲良く写っている写真を見るのは、俺に大きな癒しを与えてくれた。
そしてしばらく
『摩衣李ちゃんが之々良さんと一緒にモフモフランドに行きたがっているのですのがお願いできますか?』
『もちろんです!!』
俺は速攻で返信した。
次の休みの日、俺は意気揚々とモフモフランドへと向かった。
まるでデートに行く気分だ。
あの日摩衣李は泣き叫び絶叫して俺と離れるのを嫌がった。
俺はそれくらい悲しい思いを摩衣李にさせてしまった。
勿論、俺も悲しみのどん底に
だが、子供というのは新しい環境への適応が早い。
摩衣李も今ではすっかり新しい環境での暮らしに馴染んでいるようだ。
それが成長というものなのだろう。
ゲートの前に着くと、そこには摩衣李と、驚いたことに菊菜が一緒にいた。
「うみちゃーーん!」
摩衣李が叫びながら俺に向かって走ってきた。
前に会った時に、そう呼ぶようにと俺が言ったのだ。
「俺はもう摩衣李のお父さんじゃないんだよ。
「くらちゃん」
「なら、俺のことは海ちゃんと呼ぶんだよ」
「わかったーーうみちゃん!」
ということで摩衣李は俺を海ちゃんと呼ぶことになった。
「たくさんあそぼうね、うみちゃん!」
俺に抱きつきながら嬉しそうに摩衣李が言った。
「そうだな。ユウノさんと鞍人さんはどうしたんだ?」
「いないよーー」
「え?」
「きくなちゃんがつれてきてくれたのーー」
菊菜を見ると、ややバツが悪そうに微笑んでいる。
「璃々奈ちゃんに頼まれて……」
「そ、そう……」
俺の答えも釣られてバツが悪いトーンになってしまった。
「はやくいこーー」
既に気持ちはランド内の摩衣李が俺と菊菜をゲートへと引っ張って行った。
「それじゃ」
「うん」
(なんだか起こらなかった過去をやり直してる感じだな)
摩衣李に引っ張られながら俺は思った。
摩衣李を引き取った後、菊菜が家にいてくれたら……
菊菜と俺が離婚しなければ……
考えても仕方ないことだと分かってはいても、タラレバが中々頭から消えなかった。
俺と菊菜に挟まれて歩く摩衣李は既にエネルギーMAXの状態だ。
以前モフモフランドに来た時は摩衣李は四歳だった。今ではもうすぐ六歳になるはずだ。
身体も大きくなり動きも俊敏で、気をつけていないとあっという間に遠くに行ってしまう。
「そんなに走っちゃ危ないぞーー俺達から離れるなーー」
と言いながら小走りで摩衣李を追いかける俺。
振り返って見ると菊菜もその後から急ぎ足で着いてくる。
俺は自然と笑顔になった。
菊菜も笑顔を返してくれた。
摩衣李は今も着ぐるみキャラが大好きだ。
だが、それと同じかそれ以上に乗り物にも興味が出てきたようだ。
摩衣李曰く、
「あたしおねえさんになったから!」
だそうだ。
最初はゆっくり動くキャラ電車に乗った。
だが、摩衣李的には物足りなかったようで、
「あれにのる!」
と言って指差したのは、キャラの顔付きのカートだった。
しかもそれは、お互いにカート同士をぶつけ合うことができるタイプのものだ。
「あれは危ないからやめないか?」
俺は摩衣李が怪我でもしたらと思うと恐ろしくて仕方ない。
「やる!」
摩衣李の決意は固い。こうなってしまうと無理やり止めさせるしかない。
受付に行くと、
「身長制限があります」
と、係の人に言われた。
「おっ、摩衣李、小さい子は乗れないらしいぞ」
俺はホッとしてそう言った。
そばのボードには「身長120Cm以上」と書いてあり計測用のバーが置いてあった。
摩衣李は素早くそこに立ち、係員の人をじっと見た。
「ちょうど120Cmですね」
係員の人が目盛りを見て笑顔で言った。
「え!?」
俺は目盛りを食い入るように見た。確かに髪の毛が120Cmの目盛りを超えている。
「でも、靴底の分とか……」
「その分も調整してあります」
見ると、目盛りは地面から少し上から始まっている。
俺は小さくため息をついた。
「ふふん!」
摩衣李は得意満面である。
俺の肩に手が載せられた。
「大丈夫だと思うわ、摩衣李ちゃん運動神経がいいから」
と菊菜が慰めるように言ってくれた。
「そっか……」
俺は摩衣李を見て言った。
「でもな摩衣李、危ないことはしちゃダメだぞ?怖くなったら怖いって言うんだぞ?」
「うん!」
俺の不安などどこ吹く風、摩衣李は嬉しそうに答えて足取りも勇ましくカートに乗り込んだ。
「つぎはもふもふぱれーどみる!」
午前と午後に一回ずつ着ぐるみキャラのパレードがあるらしい。
パレード会場に行くと既に待っている人がかなりいた。
「かたぐるまして!」
摩衣李にせがまれて、
「これ持ってて」
と言って、さっき摩衣李に買ったチュロスとジュースを菊菜に預けた。
「きたよきたよ!」
俺の肩の上でぴょんぴょんしながら摩衣李が叫んだ。
(もうちょっと静かにしてくれーー)
と思ったが、せっかく摩衣李が楽しんでるのだと思って我慢した。
「大丈夫?」
菊菜が心配そうに聞いてくれた。
「うん、大丈夫」
摩衣李の手前、俺は弱音を吐くわけにはいかないのだ。
そして昼食である。
「あたしおひめさまらんちにする!」
店の行列に並んでやっと席に着くと摩衣李が宣言した。
摩衣李曰く、
「おひめさまらんちはね、ちょっとおねえさんになったこがたべるんだよ」
とのことだった。
「この前俺はミートソースの大盛りにしたけど……緋之原さんは何にする?」
「パスタがあるなら……」
ということで菊菜はトマトカルボナーラ、俺はナポリタン大盛りにした。
「おいしいね!」
お姫様ランチを美味そうに食べる摩衣李は「お姉さんになった子が食べる」と言いながら、相変わらず口の周りにケチャップを付けている。
それを菊菜がナフキンで拭いてあげる。
(なんか、いいな……)
そんな、家族であればごく普通の光景に俺は見惚れてしまった。
午後も摩衣李の元気は衰えず、
「みんなでのれるのがいい!」
と言って、コーヒーカップや観覧車に乗り、三人で写真を撮った。
「おみやげは三つまで」という前回の約束を覚えていた摩衣李は、売店でしっかりと三つ選んだ。
「三つ以内には違いないが……」
俺は高さが1メートルもあるでっかいぬいぐるみを抱えて帰るはめになった。
「たのしかったね!うみちゃん、きくなちゃん!」
「そうだな」
「そうね」
夕焼けに照らされる通りを俺たち三人は家族のように家路へと向かった。
ユウノと鞍人が暮らすマンションまで行くと、入り口のところで二人が待っていた。
「ゆうのん!くらちゃん!」
二人の姿を見て摩衣李が駆け寄っていく。
「お世話になりました」
「ありがとうございました」
ユウノと鞍人が丁寧に挨拶してくれた。
「いえ、こちらこそ楽しく過ごさせていただきました」
俺はどでかいぬいぐるみを鞍人に渡しながら答えた。
「菊菜ちゃんもありがとう」
「いいえ」
夕食をとユウノが言ってくれたが、俺はなんだかんだと理由をつけて断った。
摩衣李と別れるのは寂しかったが、彼女はもうユウノと鞍人の娘だ。
俺がいたら邪魔になるだろうと思ったのだ。
「それじゃ、またな摩衣李」
「うん、またねうみちゃん!」
あまり長引かせると帰りづらくなってしまうので、摩衣李とハイタッチをして別れた。
菊菜も俺と一緒に歩き始めた。
「緋之原さんの家はこの近くなの?」
「うん、すぐ近くのアパート。私、璃々奈ちゃん達と同じ会社に勤めてるの」
「そうなんだ!」
これには俺も驚いた。
「うん、有機アンドロイド専用の化粧品もあった方がいいだろうってことになって」
「なるほど」
菊菜の知識やスキルが活かせる仕事が見つかってよかった。
菊菜のアパートにはすぐに着いた。
「私のアパート、ここだから……」
「そう……」
俺は立ち止まった。
(ここは、普通に別れていいんだよな?)
なぜそんな事を自問自答したのか自分でも分からなかった。
菊菜はアパートの階段の登り口に立っている。
もっと菊菜と話がしたい、と俺は思った。
たが何を話すというのだ。
俺達は既に夫婦でもなんでもない関係だ。しかも俺は菊菜に捨てられた男だ。
「それじゃ……」
「あの……!」
別れを告げようとした俺の言葉に菊菜の言葉が被った。
「えっと……なに?」
俺は聞き返した。
「あの……もしよかったら、部屋で、お話しできない、かな……」
菊菜が途切れ途切れに言った。
にわかに俺の鼓動が速くなった。
もしかしたらそれは、俺が待っていた言葉なのかもしれない。
なのに、その言葉を聞いて俺は嬉しさよりも恐怖を感じてしまった。
俺が言葉を発せずにいると、菊菜は俺の方に歩み寄って来た。
「あの、私たちのことを……今までのことや、これからのことを……話したいの」
「……」
「私、勝手なことを言ってるのは分かります、けど……」
「これからのこと……?」
俺は菊菜の言葉を遮って言った。
「うん……これから、もう一度やり直しができたら……やり直しさせてもらえたらって……」
そう言う菊菜の声は、後の方は先細りになって小さくなっていった。
俺は考えた。
いや、考えようとした。
だが、考えられるような状態ではなかった。
様々な感情が混ざりすぎて自分で自分の気持ちが分からなくなっている。
俺は大きく深呼吸して、やっと言葉を出した。
「少し……」
「うん……」
「少し、時間が欲しい」
「…………うん」
それ以上は何も言えなかった。
俺は菊菜に背を向けて歩き出した。
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