第29話 世界一誇り高き花嫁へ

 それから――数年が経った。

 春の光が差し込む卒業式の講堂。


 壇上に立った悠は、目の前に広がる満席の生徒たちをゆっくりと見渡した。


 胸の奥で、かつてシズルがくれた言葉が響いている。

―――「心で笑い、心で恋をし、心で傷つき、そして心で赦す。それこそが“乙女たりえる”のですわ」


「わたしの“正体”は、もう嘘じゃありません」


 凛とした声が、静寂の会場に届く。


「わたしは――この学園で“乙女”として生きてきました」

「笑ったことも、泣いたことも、恋をしたことも……すべて、この心で感じた“本物”です」


 あの日は震えていた声も、今はもう揺れていなかった。

 そして――ほんの一瞬、視線が客席の最前列で待つシズルへと吸い寄せられる。


「わたしは、“鳳院 静流”さんに恋をしています」

「彼女がいてくれたから、わたしは“乙女”として誇りを持てました」


 その言葉に、講堂の空気がふわりと変わった。

 真っ先に拍手を送ったのは、やはりシズルだった。


「わたくしも、あなたに恋をしております」

「あなたの“花嫁の座”を狙う者が何人現れようとも――わたくしは負けませんわ」


 軽やかにステージに上がってくるシズルの姿は、あの日と同じく真っ直ぐで、そして誇らしげ。


 二人は向かい合い、そっと手を取り合った。

 額が触れ合う距離で、シズルが低く囁く。


「……愛しています、ユウさん」

「わたしも……シズル」


 その瞬間、講堂は割れるような歓声と拍手に包まれた。

 世界一誇り高き、お嬢様との“婚約宣言”――それは、二人だけの未来への約束だった。


 ◆


 式の喧騒が遠ざかり、人気のなくなった中庭。

 藤棚の下、春風がふわりと二人のスカートを揺らす。


「……改めて、おめでとうございます、ユウさん」


 シズルの声は、舞台のときよりもずっとやわらかく、近い。


「シズル……あんな大勢の前で言うなんて、ずるいです」

「ふふ……舞台の上でも、藤の下でも、わたくしは変わりませんの」


 そう言って、シズルはそっと片手を伸ばし、悠の頬をなぞる。

 その指先は、花びらが触れるみたいに軽くて――くすぐったい。


「……ねえ、シズル」

「なんでしょう、ユウさん」


 呼びかけただけなのに、胸が温かく満たされる。

 “さん”をつけるのも好きだけれど、この距離で呼ぶ名前は、やっぱり特別だ。


「これからも……そのままで呼んでいいですか?」

「ええ。わたくしだけの“ユウさん”ですもの」


 春風が花びらを運び、二人の間に舞い落ちる。

 その柔らかな空気の中――悠はもう一度、シズルの名を呼んだ。


「……シズル」


 その微笑みは、花がひらく瞬間よりも綺麗だった。


 ――【完?】――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る