第2章 小さな背中

11、ごはんを食べよう・上

「ミカンさんにはこのまま、同い年の、同じクラスの子として、ナツメくんと接してほしいんだ」


 校長先生の言葉が、頭の中で何度も繰り返されている。

 ナツメくんと、仲良くする。校長先生と約束して校長室を出てきたはいいもけれど、具体的にどうすればいいのか、まったくわからなかった。当のナツメくん自体が、仲良くしたそうじゃないし。彼は校長室を出た後、わたしを待つことなくさっさと教室に戻っていってしまった。

 少し前までのわたしは、遠くからナツメくんのことを見ているだけだった。話しかけるのだって、すごく勇気がいることだったのに。彼が自分の住むまちを失ってしまった過去や、たったひとりで「しらさぎのまち」の「守り手」をしているっていうことを知ってしまった今、前みたいに軽い気持ちで関わろうとはできない。仲良くしたいのは本当だけど、もし変なことを言って、ナツメくんを怒らせてしまったら? 「おれに関わるなよ」って、また言われてしまったら? そもそも、ナツメくんは校長先生の話に納得しているのかな。


 ぐるぐる、ぐるぐる。色々なことを考えているうちに、お昼休みを知らせるチャイムが鳴り響いて飛びあがりそうになる。昨日の校長先生のお話のことで頭がいっぱいで、午前中の授業がなんだったのか、ぜんぜん思い出せなかった。


「ねえミカン、お昼にしようよ」


 セトカが、水色のお弁当袋を手に、わたしの席までやってきた。わたしも慌てて机の上を片付けて、自分のお弁当袋を出す。ほかのみんなも、机をくっつけたり、仲の良いグループで集まったりして、教室は一気ににぎやかになった。

 そんな中、ナツメくんだけがぽつんとひとりで席に座っている。彼がお弁当を広げる気配はない。いつもそうだ。彼がお昼にごはんを食べているところを、見たことがない。そこまで思い返したとたん、わたしは考えるより先に、口を開いていた。


「ね、ナツメくん! よかったら、いっしょにごはんを食べない?」


 しん、と一瞬、教室の空気が固まった気がした。クラスのみんなの視線が、わたしとナツメくんに交互に向けられる。どの人も戸惑っているふうに感じられる。ナツメくん自身も、驚いたように少しだけ目を見開いて、わたしを見ていた。


「……なんで、おれが」

「えっと……ひとりより、みんなで食べたほうが、おいしいかなって!」


 クラスのみんなの視線がいっせいにわたしに向いたことなんて、いままでなかった。だから自分でも、落ち着かない気持ちのままよくわからない理由を言っている自覚はある。でも、口にしてしまったらもう止まれない。わたしは隣にいたセトカの腕をぐいっと引っぱった。


「ね、セトカもそう思うよね?」

「えっ!? わ、私は……その……」


 セトカは、ナツメくんの鋭い視線におびえるように、わたしの後ろに隠れてしまった。ごめん、セトカ。いきなり巻き込んじゃって。セトカがナツメくんを怖がっているのは知っていたのに。


「……ウチが行くよ。セトカは教室に残っときな」


 助け舟を出してくれたのは、意外な人物だった。いつの間にか近くに来ていたアマナが、腕を組んでわたしとナツメくんを交互に見ている。指先には、黒くてシンプルな弁当袋をぶら下げていた。わたしの後ろでセトカが、明らかにほっとしたみたいに大きく息を吐きだしたから、強引すぎたわたしの提案をもういちど反省する。セトカには、あとで謝らなくちゃ。


「アマナ! うん、ありがとう!」

「じゃあ、決まり。ナツメ、行くよ」


 アマナはナツメくんの席に近づき机をとんとん、と叩く。ナツメくんは「おい、勝手に決めるな」と低い声で抵抗しているけれど、アマナはまったく気にしていなさそう。しばらくふたりはにらみ合っていたものの、一度ちらりとわたしのほうをみたナツメくんが観念したのか、わざとらしくため息をついて席から立ち上がった。アマナはわたしに目配せをする。ついてきてという意味だろう。わたしは二人の後を追い、教室の外に出た。


 わたしたちの学校は、ぐるりと円形に教室が並んでいて、真ん中にはちょっとした公園みたいなところがある。そこにいくつか並べられている、机がついたベンチにわたしとアマナが向かい合って座り、アマナの隣に、ナツメくんが不承不承といった様子で腰を下ろした。


 ものすごく無理やり連れだしてきちゃった感があるけど、大丈夫だろうか。すでに不安でいっぱいだけれど、ここまで来たらごはんを食べるしかない。おなかに力を入れて、いつも通りお弁当袋の中身を広げることにつとめる。

 わたしのお弁当は、お母さんが作ってくれた卵焼きと、タコさんのかたちをしたウインナー。それにいくつかの野菜の煮物にごはん。アマナのお弁当も、色とりどりのお野菜が入っていて、すっごくおいしそうだ。

 そういえば、ナツメくんを手ぶらのまま連れてきてしまったことを思い出し、彼の手元を見る。彼が机の上に出したのは、お弁当箱じゃなかった。銀色のパウチに入った、ゼリー飲料がひとつだけ。


「ナツメくん、お昼ごはん、それだけなの?」

「ああ」


 彼は短く答えると、パウチの口をひねり、中身を直接吸い始める。


「ずっとこれだけで生きてきたから。お前らみたいなもんを食べたら、たぶん腹が壊れる」


 淡々とした話しかただった。でも彼の言葉は、わたしの胸にちくりと刺さった。「お前らみたいなもん」という言い方からして、わたしとナツメくんの間には、分厚い壁があるんだとはっきり感じてしまったから。


「あんた、いい加減にしなよ」


 何も言えないわたしと、何も言う気がないナツメくんの間の沈黙を破ったのは、アマナの怒りを帯びた声だった。


「ウチの父さんや母さんが作ったものも、一口も食べやしないんだから。みんなが一生懸命に作ってくれた食べ物が、もったいないと思わないわけ?」


 アマナの言葉に、わたしは目を丸くしてしまう。ウチの、父さんや母さん? それって、どういうこと?


「え……? アマナとナツメくんって、もしかして……」

「ああ、そうだよ。ウチの伯父さん……校長先生の家に、こいつ、居候してんの」


アマナは、忌々しげに吐き捨てた。びっくりしたけど、納得もいく。アマナは、家でのナツメくんのようすを知っていたから、「ああいうやつ」って、突き放すような言い方をしていたんだ。でも一緒に住んでいるのに、仲が悪いなんて悲しい。少なくともナツメくんは、言葉こそきついけどあんまり悪い人には思えなかったから。

 わたしは卵焼きを口に運びながら、なんとかしてふたりのとげとげした空気を変えられないかと考えるけれどなかなか思いつかない。そんなとき、じっとわたしを見ていたアマナが、探るように口を開いた。


「で、ミカンはどこまで知ってるわけ?」


 アマナはクールだけど、いも以上に冷たい視線がわたしに向かっている。わたしはごくりとつばを飲み込んだ。校長先生には、ナツメくんの過去の話は、本人の許可があるときだけ、と言われている。でも、守り手の話は、クラスのみんなにしてもいいって言われた。そもそもいっしょに住んでいるアマナは、ナツメくんの過去を知っているかもしれないけれど、「クラスメイトのアマナ」として話をすることにした。


「ナツメくんが、『からすのまち』っていうところから来たこと。それで、わたしたちの『しらさぎのまち』の、守り手をたったひとりでしてくれてるってこと」


 わたしが正直に――言っていないことはあるけど、ウソは話してない――答えると、アマナの視線が、もっとするどくなってナツメくんに突き刺さった。


「……あんた、ミカンに話したわけ」

「言ってねえよ」


 ナツメくんは、ゼリー飲料から口を離して、低く答えた。


「話したのは、お前のおじさんだ」

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