こいぬ飼い

三門兵装 @WGS所属

飼い主

 白い壁、少しだけ濡れたゆがみのないシンク、コンセントの差されていない冷蔵庫。

 生活感の見当たらない、私を溶かしこんでしまいそうなほどに真っ白なこの部屋で、大学一年生となった私は明日から暮らしていくのだ。


 そんなこと、出来るのだろうか。


 明るさに満ちたこの部屋でふと、不安になる。いや、不安になっている。

 引っ越し業者が運び込んできた重たい段ボールにもたれかかりながら大きく息を吸い込んで、――そして、そのまま咳き込んだ。

 かつては憧れていた、私が、あるがままの私でいられる夢のような場所。

 ここは本当に、そんな夢にさえ見た場所だったのだろうか。


 手持無沙汰になって鞄の中に手を入れると、その中に撫で慣れた参考書の背表紙が見当たらないこと気が付く。

 周りを見渡しても、もちろんそこには家にあるような立派な本棚はない。そこまで考えて、今はここが私の家だということに思い至る。

 私はため息をつきながら立ち上がり、背もたれにしていた段ボールに向き直った。

 きっと、このどこかに慣れ親しんだ参考書たちはいるのだろうけれど。

 ならばと、一番近くにあった段ボールのガムテープの端に爪を立てかけたと同時、玄関のチャイムが軽やかに鳴った。


 玄関に向かいながら、私の不安がった心は静けさを取り戻していく。それは凪いでいくとも形容できるような。


「いらっしゃい、お母さん。」


 白いTシャツに、青いロングスカート。見慣れたままの完璧な母は、そっと笑って私が開いた扉を押さえてくれる。

 控えめに香る、私と同じ芳香剤の香りが私の鼻をくすぐった。


「ねぇ、私、さ」


 安心した心が、そのままに言葉を紡ぐ。

 ああ、解法に蓋をして、答えを覚えてしまったほうが点を取れる問いもある。これはそうだったか。 


「どうしたらいいかな?」


 私はそう言って目を逸らす。気づいたのに、……いや、気づいてしまった憎い心を投げ捨てるために。

 私には母と繋がった太い綱がある。それでいいじゃないか。ペットが今更何を望む?


「そうね、ひとまず……」


 母が私を押しのけて部屋に入り、ぐるりと部屋を見まわした。

 ほら、また道は示される。

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