第8章:絶望の雨と、希望の網
刺客騒動からしばらく経った、ある夏の終わり。ロッカ村を、未曾有の豪雨が襲った。何日も何日も、空に穴が空いたかのように雨が降り続き、村を流れる川はみるみるうちに水位を増し、濁流と化していた。
そして、事件は起きた。
夜中、轟音と共に、村の裏山の一部が崩れ落ちたのだ。土石流だった。大量の土砂と流木が、川の流路を塞き止め、村の畑の半分近くを飲み込んでしまった。幸い、人的な被害は免れたが、村の被害は甚大だった。
収穫を間近に控えた作物は全滅。川が堰き止められたことで、村の低地は浸水し始め、いくつかの家は床下まで水に浸かってしまった。
村は、絶望に包まれた。
「ああ、なんてこった……」
「これじゃあ、冬を越せない……」
村人たちは、泥水に浸かった畑を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
こんな時こそ、便利屋の出番だ。
私は、村の広場に皆を集め、声を張り上げた。
「下を向いている時間はありません! 今、私たちがやるべきことは三つあります!」
皆の視線が、私に集まる。
「一つ、人命の確保! 浸水の危険がある家の住民を、高台の安全な場所へ避難させます!」
「二つ、被害の拡大防止! これ以上、川の水が溢れないよう、土嚢を積んで堤防を築きます!」
「三つ、救援の要請! この村だけでは限界があります。外部に助けを求めます!」
私の言葉に、村人たちの目に少しだけ光が戻った。何をすればいいのか、その道筋が見えたからだ。
「でも、どうやって……」
一人が不安そうに呟く。
「私に考えがあります。皆さん、どうか力を貸してください!」
私は、即席の災害対策本部を立ち上げた。司令塔は私。現場指揮はガイア。情報伝達と人員配置はサラが担当する。
まず、ガイアと村の若者たちで避難誘導班と土嚢作り班を結成。彼らは浸水地域の住民を村の集会所へと避難させ、同時に、ありったけの麻袋に土を詰めて、決壊しそうな川岸へと運んでいく。
サラは、村の子供たちを動員した。彼らに、各班の連絡役を任せたのだ。子供たちの俊敏さが、この状況では大きな力になった。
そして、私は「救援の要請」に取り掛かった。ロッカ村は孤立している。領主の館に助けを求めても、ルドルフのような役人がいれば、まともに取り合ってはくれないだろう。
だから、私は別の手段を取った。
「サラ、例の依頼帳を持ってきて!」
私が広げたのは、今までの依頼を記録してきた「クラリス式依頼帳」。そこには、依頼主の名前、依頼内容、そして築いてきた関係性が記されている。これこそが、私の「人脈」だった。
私は、数人の村人に手紙を託した。
一人は、隣村の腕利きの猟師へ。「以前、罠の修理を請け負った者です。どうか、あなたの仲間と共に、食料調達にご協力ください」と。
一人は、少し離れた町に住む、元騎士のガイアの旧友へ。「友、ガイアがあなたを必要としています。人手が足りません。屈強な男たちの助けを」と。
そして、最後の一通は、最も遠く、しかし最も確実な相手に送った。
『山の賢者様へ。あなたの守る森の子らが、今、危機に瀕しています。どうか、お力をお貸しください。便利屋クラリスより』
手紙を託した若者が、不安そうに尋ねる。
「クラリスさん、本当にこれで助けが来るんだろうか……」
「ええ、必ず。これは、ただの嘆願書じゃない。私たちが今まで築いてきた『信頼』を届けに行くのですから」
私は、確信を持って頷いた。
私の言葉通り、翌日の昼過ぎには、最初の救援が到着した。隣村の猟師たちが、獲物である鹿や猪を担いで駆けつけてくれたのだ。
「便利屋さんの頼みとあっちゃあ、断れねえからな!」
彼らはそう言って笑った。
夕方には、ガイアの旧友たちが、馬に乗って屈強な男たちを何人も連れてきてくれた。彼らは、土木作業の経験も豊富で、土嚢積みや土砂の撤去作業に、大きな戦力となった。
そして、三日目の朝。奇跡が起きた。
村の上空を、巨大な影が覆ったのだ。銀色に輝くドラゴン、リュミエールだった。
彼は、人々の頭上で一度大きく旋回すると、堰き止められた川の上流へと降り立った。そして、一声咆哮すると、その巨大な爪と力で、土砂や流木をいとも簡単に取り除いていく。
村人たちは、その神々しい光景を、呆然と見上げていた。
半日もかからずに、川の流れは元に戻り、村を脅かしていた浸水の危機は去った。
作業を終えたリュミエールは、再び人型になると、私の前に降り立った。
「クラリス。約束通り、借りを返しに来た」
「……最高のタイミングでしたわ。ありがとう、リュミエール」
私は、心からの感謝を伝えた。
土砂崩れの危機は、去った。畑は多くを失ったが、人命は一人も失われなかった。そして、ロッカ村には、近隣の村や町からの救援物資と、人の助けが集まっていた。それは、私が便利屋として築き上げてきた、ささやかだけれど確かな「救援網」だった。
村長が、泥だらけの私の前に来て、深く頭を下げた。
「クラリスさん……いや、クラリス様。あんたは、この村の救世主だ」
「やめてください、村長」
私は、苦笑しながら首を振った。
「私は王妃じゃない。ただの便利屋です。でも、やれることは全部やる。それだけですわ」
私の周りには、ガイアが、サラが、そして泥まみれで笑う村人たちがいた。
絶望の雨が降ったこの村に、私たちは、確かに希望の網を張り巡らせることができたのだ。
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