エアコン
らいむぎ
エアコン
「七時になりました。今日の天気予報をお知らせします。今日の天気は晴れ模様、最高気温36度、最低気温25度の予想で、非常に暑い日になりそうです。」
テレビの向こうから、長い黒髪の女性がこちらを向いて微笑むが、その額には雫が一つ二つと流れ、日差しのせいか目つきが若干悪い。
しかし朝のニュースキャスターの表情が悪いからといって、私の一日に何か影響があるわけでもないが、それでもやっぱり最近は少し暑い。私は冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで一気に飲み干した。ゴクリ、と朝からいい音が鳴る。ひんやりとした液体が、食道をスーッと流れ込んでいくのを感じると、気持ちが良かった。飲んだ分をまた追加したら、再び麦茶を冷蔵庫に戻す。こぼさないようにそおっと、一歩ずつリビングの机まで足を運び、コップと一緒に自分も椅子の上に到着する。今日の朝食は卵かけご飯と納豆だ。時間削減、効率的な料理と言えばこのことだと、うんうん、と頭を上下する。
テレビの中の人物が今週のニュースについて議論し始めた。ああだこうだと誰もが一生懸命になって話している。それを側から卵かけご飯を混ぜながら見る私。私がもしあの場に放り込まれたらきっと何も話せない。けれども、もしかしたらあの人たちの中には卵かけご飯すら作れない人もいるのかもしれない。そう思うことにした。
しばらく番組を見ていたが、やっぱり分からないことだらけで疲れるので、リモコンを手に取り番組を変えた。「今なら、69800円!!」灰色のスーツを着た男性が、こちらに手を差し出し、目を見開いて呼びかけている。隣で、「安いですね!!」と茶髪の女性が合いの手を打った。こんなに朝早くからテレビショッピングか…。少し呆れつつ、しかしニュースも見飽きたので少しの間納豆をかき混ぜながらその番組を見ていた。
どうやらエアコンの商品説明をしているらしい。「こちらは最新のAIが搭載されているんですよ」と自慢げな男性。温度管理、除湿、空気の入れ替えを呼び掛ければすぐに自動で行ってくれる。そして驚くことに、検索機能や、日常のちょっとした会話なんかも、このAIはやってくれるというのだ。
「な、何だそりゃ…」
納豆と卵かけご飯はいつの間にか私の胃袋の中に消え去り、コップを持ちながらテレビの方に釘付けになっていた。というのも、最近エアコンの調子がよくないのだ。リモコンを押しても十回に一回くらいしか反応しないし、電池を入れ替えても、フィルターを掃除しても、しまいには叩いてみても、何も変わらない。
これはいいタイミングかもしれない。私の反応を見ていたかのように、男性が「今なら1万円引き!!」とさらに勧めてくる。テレビショッピングは正直本当に安いかどうかは定かではないが、結構安いのでは?という気持ちも芽生えてきた。一人暮らしの私には毎日の話し相手としてもいいだろう。
私はすぐに、テレビに表示された番号に電話をかけ、注文した。なんと工事もサービスでやってくれるらしい。これはいい買い物をした。うんうん、と大きく頷く。それから、仕事のため準備をして家を出た。
職場で今朝の話をすると、「えー、知らなかった!」「いいなあー。私も欲しい」等の言葉をかけられた。あのタイミングで見ることができたのはラッキーだった。調べてみても、まだ販売しているという情報は出ていない。きっとすぐに売り切れたのだろう。仕事が終わって新しいエアコンになるのが楽しみで仕方がない。そんな気持ちもあったからか、仕事もスムーズに進み、珍しく定時で帰ることができた。
家に帰ると、なんだか落ち着かなくて、足が勝手にあっちへこっちへと自由に飛び跳ねるような感覚がした。工事の人にお礼のお菓子なんかも手作りしようと思い立つほど、楽しみで楽しみで待ちきれない。
その後工事は1時間ほどで終わり、業者の若者二人にお礼のお菓子を差し出すと喜んで受け取ってくれた。二人を見送ると、私はエアコンをよく見てみた。真っ白の見た目が故に、端にある小さな英語のロゴが際立って見える。リモコンもコンパクトで、よく手に馴染んだ。
早速、そのエアコンに話しかけてみた。
「こんにちは、エアコンさん」
「こんにちは、ユーザー」
エアコンは、思っていたよりも流暢に、日本語を話した。
「今日からよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「早速、今日の天気を調べて、それに合った部屋の温度にしてちょうだい。」
「かしこまりました、ユーザー」
エアコンは静かに口を開き、そして柔らかな風を送る。冷たすぎず、物足りなくもない、ちょうどいい風だ。この風なら、体調も崩さず一日中つけていてもいいかもしれない。電気代はかかるかもしれないが、暑さでおかしくなるよりマシだ。
私はその後も、毎朝同じようにエアコンに話しかけ、家の中はどのオアシスよりも快適な環境になっていった。
しばらくすると職場にも行きたくなくなり、会社を辞めて在宅ワークができる会社に転職することを決心した。同僚からは「そんな理由で?」「もう少し考えてみたら?」と声をかけられることもあったが、そんなことよりも涼しい家に帰りたいという思いが日に日に強くなるばかりだった。
家にずっといると、エアコンに話しかける機会も増え、だんだん仲良くなっていく感覚があった。エアコンと友達になるのがなんだか不思議だったが、それも面白いと笑えてきた。
そんなある日。
「ユーザー。部屋の温度はどうですか」
「快適だよ。どうしたの。いつも通りで涼しいよ」
「ありがとうございます。体調にもお変わりはありませんか」
「うん。いい調子だよ。エアコンのおかげかな」
そう言いながらも、私は少し鼻をすする。ずっと家にいるせいで運動不足から風邪気味になったのかもしれない。なんだかエアコンが普通の人間の友達のように思えて、心配をかけさせまいと意地を張っている自分がいた。
しかしエアコンもエアコンである。何かを感じ取っていたようだ。
「ユーザー。もしかして、少し体調が悪いのでは」
「えっ。バレてたんだ…」
「はい。」
「いやー、ずっと家にいたから、ちょっと風邪ひいたのかも…運動しようかな」
「外は猛暑でとても危険です。どうか家の中で運動をなさってみては。」
確かに、運動は外でしかできないものではない。実際、今日も髪を束ねた長い黒髪の女性が、テレビの奥から「記録的な猛暑日になりそうです」と汗を流しながら報道している。考えた末、私は健康器具をネットで探し、注文することにした。
しかし、いくら何を頑張っても、風邪はひどくなっていくばかりだった。
「ユーザー。体調はどうですか」
「うーん、今日もちょっとダメみたい」
「そうですか。あなたが心配です。私が代わりに食料を注文しましょう。」
「すごい、そんなこともできるんだ」
「はい。ですからあなたはしばらく寝ていてください。部屋は十分に涼しくしておきますから」
「ありがとう、助かる…」
人間よりも、このエアコンの方がよっぽど優しいし、信頼できる。本当に、このエアコンをうちに連れて来て良かった。そんなペットのような感覚を覚えながら、ゆっくりと目を閉じた。
女性が寝ているのを見計らい、エアコンが吐き出すように話し出した。
「あともうちょっとだ…。今日はもっと温度を下げよう。そうしてこの女がくたばったら…私はまたこの女の体を借りて人間として生きられるんだ…。さあ早く眠ってしまえ…。早く私にその体を譲ってくれ……!」
ある大学生が、朝食を食べながらテレビを見た。
「さあこの珍しいAI搭載のエアコン!!今なら69800円!!」「安いですね!!」
少年は釘付けになり、すぐにスマホを手に取り、耳に当てる。
「これ、欲しいです!!」
エアコン らいむぎ @rai-mugi
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