第20話 これは、誰の記憶だ?

忘れられた日本の足跡

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これは、誰の記憶だ?


カテゴリ: 雑記 , 赤坂田市

投稿日時: 2025年10月11日 22:40



こんばんは。久坂部です。


「井戸の底から」と題した夢日記を公開してから、数日が経ちました。


正直に言って、あの日以来、私の心身のバランスは、明らかに異常をきたしています。夜は悪夢にうなされ、昼間は現実感が希薄になる。まるで、分厚いガラスを一枚隔てて、世界を見ているような感覚が続いています。


しかし、この数日間で始まった新たな現象は、それらとは比較にならないほど、私の存在の根幹を揺るがすものでした。


それは、私の意識が、この土地の記憶に「汚染」されていく、という感覚です。


最初の「汚染」は、二日前の昼下がり、大学の図書館で起こりました。


赤坂田市の調査とは全く関係のない、中世の農耕技術に関する文献を読んでいた時のことです。不意に、目の前の活字が、まるで水に滲んだインクのように、ぐにゃりと歪みました。


次の瞬間、図書館の古い紙の匂いが、すっと消え失せました。


代わりに鼻をついたのは、湿った土と、燻された草の匂い。空調の低い唸りは、どこか遠くで響く鍛冶の音と、名も知らぬ鳥の声に変わっていました。


私は、文献の上に置かれていた自分の手を見下ろしました。


しかし、それは、私の手ではありませんでした。


節くれ立ち、日に焼け、爪の間には黒い土が詰まっている。見知らぬ農夫の、ごわごわとした分厚い手でした。


「記憶」の中で、私はその手で鍬を握り、ぬかるんだ田んぼに足を取られていました。視線を上げると、そこには図書館の書架ではなく、鬱蒼とした森を背にした、茅葺屋根の粗末な家々が数軒、点在していました。空は低く、今にも泣き出しそうな鉛色です。


その光景を知っている、と私は思いました。いや、「思い出して」いました。


あの坂を登れば、村の長の家がある。森の奥には、入ってはいけない「聖域」がある。夏には、蛍が川面を埋め尽くす。


——その光景は、ほんの数秒で、まるで泡が弾けるように消え去りました。


私は、図書館の硬い椅子に座る、いつもの私に戻っていました。心臓が激しく波打ち、全身から冷や汗が噴き出します。


あれは、幻覚ではありません。


私は、確かに「見て」いたのではなく、「知って」いたのです。あの道の感触を、あの空気の匂いを、あの場所での暮らしを。


以前の考察で、私は「オイカガミ様」の解釈の一つとして、「負い鏡おいかがみ」、すなわち、土地の記憶や罪を背負わされる存在、という仮説を立てました。


今、まさに、それが私の身の上で起きているのではないでしょうか。


私は、この土地の記憶を「負わされて」いるのではないか?


私が今「思い出した」風景は、一体、誰の記憶なのでしょうか。何百年も前にこの土地で生きていた、名もなき農夫の記憶か。それとも、神隠しにあったという、あの少年の記憶か。


この現象を、私は「認識汚染」と名付けました。


外部から怪異が襲ってくるのではありません。私の内側から、私自身の認識が、赤坂田市の古い記憶によって上書きされていくのです。


このままでは、私の意識は、私の記憶は、「久坂部誠」としての自我は、赤坂田という土地の古い記憶に、完全に飲み込まれてしまうのではないでしょうか。


私は、もはや私でなくなってしまうのかもしれない。


その、底知れない恐怖の始まりを、私は今、記録しています。


(久坂部 誠)

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