【短編】尾花と風ききぐさ
北畠 逢希
第1話
「──うわ、またいるんだ」
その声に、閉じていた瞼を持ち上げれば、目の前には珍しいものを見つけたような顔をしているクラスメイトの顔があった。
壁に預けるようにしてうたた寝をしていた私は、ゆっくりと身体を起こす。
「…伊角くん」
──
「
彼は借りていた本を戻しに来たのか、手に持っている本のタイトルに目をやっては本棚に戻すという作業をし始めた。それは図書委員がやることではないかとツッコミたくなったが、彼が図書委員だったのを思い出したので飲み込んだ。
「カヤ。茅だよ、私」
「そうなんだ」
カコでもカヤでもどうでもいいのか、彼は適当な返事をすると、話題作と大きく書かれている棚から一冊を手に取り、椅子に座って本を読み始めた。サイズからして小説のようだ。
そのタイトルに興味を持った私は、よっこらしょと立ち上がって彼に近づく。
「何読んでるの?」
「読書中に話しかけないでほしい。邪魔しないで」
「ウマヨイキ…?」
馬に酔う木と書いて何と読むのやら。首を傾げる私に呆れたのか、ただただ邪魔だと感じているからなのかはわからないが、やれやれと言ったふうに本を閉じると、私へと視線を移した。
「アセビ。馬酔木って読む」
そんなことも知らないのかと馬鹿にするような目で見られたが、私はへらりと笑った。
「…何が面白くて笑ってるのか知らないけど、変な人だね」
「興味が出た? 私に」
「ある意味ね」
それは光栄なことだ。他人に一切興味を示さないどころか、自分さえよければあとはどうでもいいとよく口にしていた伊角くんの気を一瞬でも引けるとは、胸を張っていいだろう。
彼はしばらくの間無言で私を見つめていたが、ふと何かを思い立ったのか、そっと口を開く。
「…文月さんは、いつまで此処にいるの?」
何を訊かれるのかと思ったら、そんなことか。図書室は自分のテリトリーだから出て行けということなのか、それとも早く家に帰れということだろうか。
おそらく前者だと思うが、答えてしまったらせっかくのお喋りが終わってしまう気がした私は、ふふっと笑い返した。
「いつまでだと思う?」
「質問に質問で返さないでよ」
予想通りの返答に思わず吹き出しそうになったが、伊角くんが運んできたあるものに気づいた私は、そちらに話題を移すことにする。
「…金木犀の香りがするね、伊角くん」
年頃の男の子から花の匂いがするのは何だか不思議だ。
彼は私の言葉に驚いたのか、制服の袖口を鼻に近づけると、うんうんと頷いた。
「金木犀の世話をしてるから、匂いが移ったかもしれない」
ああ、そうだった。伊角くんは校舎の一角にある花壇で、年中何かしらを植えていた。春に何を植えていたのかは忘れたが、夏は向日葵をたくさん植えていた。イメージとはかけ離れるその姿を時折見かけていたから覚えている。
「秋の匂いだ」
「…その点だけは同意するよ」
その点だけ、とはどういう意味だろう。まるでそれ以外は全て私と異なる考えを持っているみたいだ。もしかしたら伊角くんは、春といったら桜ではなく梅派の人間かもしれない。
トン、と伊角くんの手にあった本が、机の上に置かれる。そうして彼は長い脚を組むと、観察するような目で私を見た。
「そろそろやめた方がいいと思うんだけどな」
やめた方がいいって、何のことだろう。
「何の話?」
「こっちの話。ちょっと質問していい?」
質問したいのは私の方だが、伊角くんがそう言うのは珍しいことなので、質問ってなあにと首を傾げる。ミステリアスな人だとは思っていたが、こうして話してみても分からないことが増えるばかりだ。
「文月さんはどうして此処にいるの?」
何故そんなことを訊くのだろう。ここは特別な場所ではない。誰もが利用する図書室だというのに、その質問はなんだか変だ。
どうしてここにいるのか改めて考えてみたら──自分でもよく分からない。けれど、ここに来たら伊角くんに会えるような気がしていた。それが理由なのかは分からないけれど。
「伊角くんに会えると思った、から?」
伊角くんは一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに小さな笑いを洩らした。あまりにも綺麗に微笑むから、つられるどころか肺のあたりがぎゅうっと苦しくなった。
「…伊角くん、そんな風に笑う人だったんだ」
「なんかごめん」
ううん、と首を横に振って、私は窓の外へと視線を投げる。
あの日も、こんな風に夕日が綺麗な日だった。
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