蜘蛛の意図
亞里亞
第1章
日本が大統領制になって1ヶ月半が過ぎた。
大統領の大神はかつてない斬新な法律を山程提出し、大臣達を困惑させていた。
大神豪、56歳。
金髪のパーマに立派に蓄えた髭、指にはゴツゴツとした派手な指輪を何個もまとい、どんな時もノーネクタイ、柄シャツでメディアの前に立つ。
その整ったルックスと破天荒なスタイルは、女性層から熱烈な支持を集めている。
「愛国神」というファンクラブ調の支持団体まで立ち上がる程の人気ぶりだ。
大神は東京大学を中退後、複数の企業を立ち上げ、巨万の富と名声を手に入れた。
今、その男が、日本の「大統領」として、前代未聞の政権を動かしている。
「佐伯ちゃーん、来れる?」
大神は法務大臣の佐伯を呼び出した。
「は、はい、すぐ行きます。」
全身に立ち上る緊張と困惑を肩に乗せて佐伯は震える足を大統領執務室に向かわせた。
コンコン
「し、失礼します...。」
蚊の鳴くような声で佐伯は扉からひょっこり顔を覗かせた。
大神はデスクに靴のまま足を乗せ、革張りのデカイ椅子をギコギコ左右に揺らしていた。
「あ、あのお呼びでしょうか...。」
佐伯はいつも大神に呼び出されるとまとわり付くオーラに捉えられ震えが止まらない。
「佐伯ちゃんさー、家族いたよね?」
唐突にそう言うと大神は佐伯をじっと見つめ、目をギラつかせた。
「は、はぁ、家内と、娘が二人...。」
「だよねぇ、てか今の死刑制度ってどう思う?」
「え?」
「例えばだよ?今日帰って嫁ちゃんと娘ちゃん強盗とかに殺されてたらどう思う?しかも騒がれたからみたいなクソみたいな理由で。」
「...え?それはどういう...。」
「いや、純粋にどう思う?」
大神は足を机から降ろして佐伯を下から見上げた。
「純粋に...ですか...。それは。」
「ぶっ殺してやりたくない?」
「え!?」
「そいつさぁ吊し上げてボコボコにしてゆっくり殺してやりたくない?」
「......まぁ...。」
「で?死刑判決になったとして、その後どうなんの?」
「今は...その、判決の後は拘置所で執行を待つ...感じです...。」
「佐伯ちゃんさぁ、それどうなの?」
「どう...と言われますと...。」
「だからぁ、それで溜飲下がる?執行までどんくらいかかんの?」
「はぁ...。今ですと平均で8年~10年て所ですが...。」
「あっ、そう。その間なーんの罪もない国民が、血のにじむ思いで税金払って、“人殺しの生活”を支えてんだよ?働かねぇ、三食昼寝付き。しかも病気になったら無料で治療だよ?どうなのそれ?」
「......。」
「だから俺が言いたいのはさ、何年も執行待つとかそういう回りくどいのやめてさぁ、裁判もやめちゃお!殺人犯捕まえたら即国民投票で死刑かどうか決めてさ、投票集まったらすぐに被害者家族に渡して心行くまでやってもらうってのどうよ佐伯ちゃん!」
「それはどういう...。」
「だからさーこういうのやろうよ。」
大神はバサっとデスクに書類を投げた。
「名付けて『遺族死刑執行法案』
殺されたらそいつを遺族が殺し返す!単純明快でみんな納得するでしょ。」
「......あ、あの。」
「それ読んだらすぐハンコ押して来て。俺もハンコ押すから。」
佐伯はブルブル震える手で書類を受け取り大統領執務室を後にした。
相変わらず無茶苦茶でぶっ飛んだ大統領だ。
しかし今日帰って嫁と娘が行きずりの強盗に殺されてたら...。
血まみれの息絶えた家族が目に浮かぶ。
そう考えると至極真っ当な法案だと佐伯は思わざるを得なかった。
2年後のある日。ミーンミーンと耳をつんざくセミの音が一瞬無音になった。
美緒はそのハガキを見つめながら急激に込み上げて来る何かが足の裏から頭に登って行くのを感じた。
来た!この通知!ずっと待ちわびていた!!
美緒は郵便受けをガチャンと乱暴に閉めるとアパートの部屋へ駆け込み、蒸し暑い部屋でハガキをじっくり読み始めた。
何度も読み返し深い深い息を一つ付くと、リビングにある小さな仏壇の前に正座した。
そこには当時10歳でこの世を去った娘の日向(ひなた)の写真がにっこりと笑っていた。
あの日から3年、ついにこのハガキを受け取る日が来たのだ。
日向が発見されたあの夏の日以来、母親の美緒の時間はずっと止まったままだった。
今でも日向の最後の姿はフラッシュバックの様に瞼の裏に現れ消えることは無い。
あの日以来美緒は笑う事も無くなった。
しかし、ハガキを握りしめる手の中からモワモワと嬉しさのような、何か不安のような言い知れぬ感情が立ち上ってくる。
「日向の無念、ママが必ず晴らしてくるからね。天国から見ててね。」
美緒はハガキに書いてある日にちまで待ちきれず、気を紛らわせようと家の大掃除等を始めた。
やがてそれも終わり、描き古したノートを開け、1ページずつ丁寧に読み返した。
その日はかなり暑く、35度に迫る勢いだった。相変わらずアパートの外に出ると大きな桜の木にセミが連なり、大きな音を奏でている。
美緒は意を決し、アパートのドアを開け鍵を丁寧に閉めた。まとわりつく暑さに一気に頭がふらついてくる。
日向の事を思い出してしまうので、この季節は大嫌いになってしまった。
家から1時間近く電車に揺られ、駅から10分程歩くと、東京拘置所に着いた。かなり大きな施設だ。
拘置所前には今や名物となった変な宗教団体が炎天下の中、今日も元気に拡声器を握って叫んでいる。
法案が決まった頃には大神の顔写真にバツを赤くつけたプラカードを掲げる者や、
「殺人者を殺すのは同じ人殺し」等、法案に反対するデモで溢れていたが、ある配信を境にパッタリと来なくなった。
『遺族死刑執行法案』が承認され、初めての執行実行に選ばれたのが、白昼堂々、人混みの街中で無差別に刺し殺された4名の遺族だった。
初めての試みである犯罪国民投票では98.9パーセントの支持を得、瞬時に死刑が決まった。
犯人のEは
「何かに呼ばれたから現場に行った、悪魔が乗り移った」
等と支離滅裂な供述をしていたが、刑事責任能力有りと判断され、遺族に引き渡される事になった。
執行の様子は政府が運営する公式チャンネルの有料サブスク会員になると自由に閲覧出来る様になっていた。
執行の日が決まると会員数が爆上がりし、初めての遺族死刑執行ライブビデオに皆が釘付けになった。
4人の遺族達は犯人を椅子に縛り座らせ、Eの目の前でどう殺すかを会議していた。
そこには医学的知識を持った有識者もおり、色々なアドバイスもくれる。
やがて話がまとまり、十字架に磔にし、
『火あぶりの刑』に決まった。
「人間の体は水分が多いですからね、実はなかなか燃えにくく、いつまでも意識がある中で激痛が走るんですよ。特に足の下の方からチョロチョロ火を当てがえば下から衣服に火が移り、徐々に死んで行きます。その苦しさと恐怖は想像を絶すると思いますよ。」
「じゃ、じゃあそれでお願いします…。」
遺族達は満場一致でそれに決めた。
Eは別室に移され十字架に磔にされた。
磔にされている間Eは不気味に空を見つめながら何かをブツブツと呟いていた。
遺族達は集まると青ざめながら無言でお互いを見つめ合い、一斉に頷くと、Eの足元に小さな火をくべて安全の為別室に移るとその様子を見守った。
やがて火はEの足首のズボンに引火し、徐々に膝、腿と立ち上っていった。
Eは火が広がると明らかに様子が変わり、
「ぎゃああああああああ!!!」
と割れんばかりの断末魔を上げた。
遺族達は
「ざまぁみろーー!!!」
「死ね死ね死ねー!!!」
と全身の力で地獄行きへのエールを送った。
磔台はガタンガタンと揺れ、頭をぐわんぐわんと左右に振り、叫び続けるEを見ながら
「あははは...。」
泣きながら笑う、まさに般若の顔になる遺族もいた。
配信のコメント欄は大騒ぎになり
「うわ、えっぐ!!けど爽快!!!」
「これ正義?」
「怖い怖い怖い」
「次はもっとグロくしてくれ!!!」
「この制度マジ最高!!」
わずか数分の配信に何万件ものコメントが投稿された。
この恐怖が功を奏したのか、この後くらいから明らかに殺人事件が減って行ったのは確かだ。
あまりにも過激な法律に批判もあったが、一般庶民からの大統領人気は衰えず、支持率は上がっていく一方だった。
美緒は今一度カバンの中にハガキがあるのを確認すると拘置所の敷地に足を踏み入れた。
もう後戻りは出来ない。
「神はあなたを赦される!赦すのです!そうすれば神はあなたを光へ導くでしょう!」
宗教団体のデモの声が間延びするように美緒の耳に入ってくる。
美緒はそっちを見ない様に小走りで入口へ向かった。
ハガキに書いてあった場所の地図は拘置所の相向かいにある施設『遺族執行棟』だった。
見た目はグレーの小綺麗な大学のキャンパスビルの様だった。この中でおぞましい処刑行為が連日行われているとは到底想像出来ない。
高さは6階建てで幅は10個ほど気持ち程度の小窓が付いていた。
美緒は建物をじっくり外から観察すると、意を決して入口の自動ドアの前に立ち、ハガキに記載されているQRコードを入口の端末にかざし、堂々とその中へ入って行った。
入口は病院の受付のようになっており、番号札を取って座った。
椅子には老若男女が20人程座っており、皆一言も発さず、沈痛な面持ちだった。
美緒は心拍数が上がり、そのせいで椅子がガタガタ鳴っているかの様だった。
美緒は自分の番号の『17』が呼び出されると、深く息を吐きながら、立ち上がり受付カウンターに向かった。
「あ、あのこのハガキ来ました…。」
「はい、確認しますね。」
受け付けの女性係員は若干シワシワになったハガキを手に取ると手馴れた手つきでパソコンに番号を打ち込んだ。
「確認出来ました。小牧美緒さまですね。細かい説明がありますので、あちらの『遺族説明室』でお待ちください。」
「は、はぁ。」
美緒は薄いパンフレットの様な物を受け取ると廊下の突き当たりに見える木の扉の『遺族説明室』に向かった。
両開きのドアを引き、恐る恐る中を除くと、既に10人前後の遺族が座っていた。皆スマホを見たり、薄いパンフレットに目を通している。美緒は前列の端っこに座った。
薄いパンフレットを広げると、猫かうさぎか分からない感じのマスコットキャラクター『ヤロットちゃん』が執行施設の全体図を人参を持って説明してくれていた。
各階様々な執行部屋があり、
●火あぶりの部屋
(人気ナンバーワン 満足度★★★★★)
●水責めの部屋
(満足度★★★☆☆)
●皮剥ぎの部屋
(満足度★★★★☆)
●オリジナル拷問部屋
※爪剥ぎや四肢切断等
(満足度★★☆☆☆)
※執行側の精神的ダメージを負います
「やっぱり火あぶりかな。」
「水も苦しそうじゃない?」
部屋の中でヒソヒソそんな会話をしている遺族の声が聞こえた。
美緒は仏壇に飾ってあった日向の写真を持って来ていた。
カバンに手を差し込むと、その写真立てをぎゅっと握った。
日向は3年前突如行方不明になった。
美緒は複雑な家庭環境から少女時代から家出を繰り返していた。やがて未婚の母で20歳を迎える年に日向を出産。父親はよく分からなかった。
援助施設に支えられながら子供を産むと、美緒は工場に就職し、毎日血のにじむ様な労働に耐え1人で日向を必死に育ててきた。
ボロアパートでギリギリの生活だったが、そんな中でも娘の成長が唯一の美緒の喜びだった。
その日も工場勤務を終え、19時くらいに家へ帰ると留守番をしているはずの日向がいなかった。
「え?日向……。何で?」
すぐにスマホのGPSを確認した、近くの公園付近でGPS信号が発信していた。
美緒は全速力でその公園に向かった。
公園は真っ暗で人の気配はない。
GPSを辿ると公園の植え込みに差し当たった。
恐る恐る植え込みを確認すると、水色の日向のスマホが捨てられていた。
美緒は全身に寒気が走った。
美緒は誰に相談していいのか分からず、とりあえず工場の仲のいいパートさんにLINEをした。
「今帰ってきたら娘いないくて、GPS追って来たら公園の植え込みにスマホ落ちてたんですけど!どうすればいいですか?!怖いです!!」
「ちょっと落ち着いて!心当たりないならとりあえず警察に電話してみよ!」
「は、はい。」
美緒は震えながら警察に電話をかけた。
美緒は指示された通り警察署に着くとすぐにトイレに駆け込み嘔吐した。
その後は所定の手続きを終えて夜中にフラフラとした足取りで帰宅した。
その日は一睡も出来ず、次の日青白い顔で何とか工場に出勤したが、職場の人も心配してくれて、「娘さん見つかるまで出勤しなくていいよ」と図らわれ、美緒は「すいません」と泣きながら言うと、その日から公園付近はもちろん、当てもなく様々な所を毎日探しまくった。もちろん警察も動いてはくれていたが、その甲斐もなくただ残酷に日にちだけが過ぎていった。
3ヶ月後のある日、警察から電話が来た。
自首して来た男からの証言でその場所に行ってみると、日向の名前が入ったランドセルと本人とおぼしき遺体があったと言う事だ。
本人かどうか確認してくれとの事だった。
美緒は足から崩れ落ちしばらくそのままの体勢から動く事が出来なかった。
絶対に違う、何かの間違いだ。日向の遺体ではない。きっと別の場所に居るのだ。何度も何度も頭の中で繰り返し、ようやく自転車でどこをどう走ったか記憶のないまま警察署に到着した。
「小牧美緒さんですね。こちらです。」
入口のソファーで待たされ、やがて遺体安置室に通された。白い布を掛けられた台が、静けさの中にあった。
美緒は震える手で布をめくった。
「ああああ……。」
美緒は叫びとも泣き声ともならない苦しい声を部屋中に響かせた。
そこにいたのは間違いなく日向だった。
顔はこけ、土色をしており顔の所々が腐敗していた。顔は穏やかな死に顔という訳ではなく、苦悶の表情を浮かべていた。
「今男の取り調べで状況を確認しています。」
「そいつ、誰なんですか?!殺してやる……。殺してやるーー!!!!」
美緒は正常心を、保てずドアに向かった。
外にいた何人かの女の警官達が、中に入ってきて取り押させられ
「お母さん、落ち着いて下さい!!」
と、なだめられた。美緒はその日声が出なくなるまで叫び続けた。
『遺族説明室』にはその後続々と人が集まり、やがて30人程が着席すると、制服を着た男性職員が入って来て14時きっかりに説明会が始まった。
「えー、本日はお集まり頂きましてありがとうございます。これからこの施設の案内と簡単な執行の手順についての説明ビデオを見て頂きます。その後口頭での説明に入りますので、まずはこちらをご覧下さい。」
男性職員はリモコンのボタンを押すと、部屋が暗くなり前部にあったスクリーンに映像が映った。
チャラララーンと古めかしい感じの音楽が鳴りタイトルに「遺族執行の手引き」と赤い文字が大きく画面に映し出された。
「隼人~隼人~!!!」
「何でだよー!!」
役者っぽい家族が「隼人」の遺体の前で泣き崩れていた。
丸いワイプに手話の女性が映し出された。
「皆様は凶悪な犯人に突然、大切な家族を奪われました。
これまでこの国では司法により判決が出た死刑囚に対し一定の手順に沿った死刑を行っていました。
終わらない裁判、なかなか行われない死刑、悶々とする日々、満たされない遺族の感情。
そんな理不尽な制度を払拭したのがこの
『遺族死刑執行法案』なのです。
この制度は裁判による時間の消費を簡素化し、国民投票による量刑決定により、スピード感のある判決が出せる様になりました。
また、死刑量刑の犯人に対しては、理不尽に命を奪われた被害者遺族の皆様が直接執行を下せるという画期的な制度なのです。」
役者家族がフェードアウトされ別の画面が映し出された。
『執行の手順』
次のパートに移るようだ。
「皆様はこれからどの様に犯人を罰するかを選ぶ事が出来ます。
皆様には最大で30日間の時間が与えられています。期間は1日でも30日目いっぱい使って頂いても構いません。執行中、精神的なショック等で中断せざるを得ない場合は途中で国が行う司法死刑に切り替える事も可能です。
『火あぶりの刑』は最も犯人を苦しめられる執行方法となっています。」
CGの炎で焼かれる犯人の映像が映り
犯人役の男優が「ぎゃああああああ」と叫び声を上げている。
『水責めの刑』では1日に上げる水位を選ぶことが出来ます。徐々に迫り来る死の恐怖は
まさに地獄の苦しみと言えます。」
透明な容器の中で首まで水に浸かり震えている男優が映し出された。
その後も様々な刑が、紹介されたが美緒は左手で頬ずえをつき、ムスッとした表情のまま反応しなかった。
ビデオが終わると、重苦しい空気が部屋中を漂っていた。
憎き犯人とは言え、これから人を殺すのかと思うとやり切れない思いになる……と思っているのは美緒以外の遺族だった。
美緒だけは全然違っていた。
早く犯人に対峙したい!早くこの手で苦しみを与え、朽ちていく憎き人間を拝みたい!そう思うと武者震いすらしてくる。
男性職員はリモコンで部屋を明るくすると、前方のドアから、スーツを来た男女がゾロゾロと入ってきて前にズラっと並んだ。
「えー、ご視聴お疲れ様でした。まぁこれだけ見てもよく分からなかったと思いますので、こちらの職員達を紹介致します。
彼らは『執行コンシェルジュ』でして、これから皆様の執行に関する説明と執行終了までのお手伝いをさせて頂きます。これから一家族様ずつ番号をお呼びするので前までお願いします。では1番の方。」
ガタっと椅子を鳴らして1番目の家族が立ち上がった。母親、幼い娘、息子の3人家族の様だ。
家族がコンシェルジュの前まで来ると1番左にいた男性コンシェルジュが軽く自己紹介をして一緒に部屋の外へ出て行く。
「えー、では次に2番の方!」
次々に番号が呼ばれ家族達が部屋を後にする。
「えー17番の方。」
美緒は緊張しながら立ち上がり、コンシェルジュの前に立った。30歳前後のホストの様に整った顔立ちのスラっとした男性コンシェルジュだった。
「どうも、担当の森下です。」
「は、はぁ。」
美緒は森下のその真っ直ぐなその目に吸い込まれそうになった。
森下はスマートに木の扉をサッと開けて美緒を部屋の外へ出した。
美緒は森下とエレベーターを2階ほど上がり、長い廊下に出ると何を話していいか分からず、とりあえずただ並んで歩いた。
「緊張してますか?」
ふいに森下が声を掛けてきた。
「え?ま、まぁ。」
「ですよね、実は自分もまだ新人なんです。小牧様で4例目ですね。」
「4例…。」
「この部屋です。お入りください。」
森下は“7”とシンプルに書かれた白いドアを開けると、ガランとした何も無い小さな窓のない部屋の中央に白いテーブルと、椅子が二脚向かい合わせに設置されていた。
美緒は奥側に、森下は入口側に座った。
森下は持っていた書類をバサッと机に置いた。
「改めまして、自分は死刑執行コンシェルジュの森下直輝と申します。執行開始から約1ヶ月間、小牧様を担当致します。今日は具体的な執行の計画を小牧様と立てていきたいと思います。」
「うん、分かった。よろしく。森下君て呼んでいい?てか今いくつ?」
「自分今年27です。」
「そっか、私は今年34。タメ語でいいかな?」
「はい、もちろん。」
「最初に1個聞いていい?」
「はい。」
「何でそんなに若くてイケメンでこんな仕事してるの?」
「………。」
「別にただ興味本位で聞いただけだから、嫌なら答えなくていいし。」
「い、いや、実は執行コンシェルジュは研修医の研修項目に今年から入るようになりました。」
「研修医ってお医者さんの卵って事?」
「は、はい。」
「うっそ!命を救うお医者さんが死刑執行コンシェルジュの研修やるの?!地獄だね!」
「でも、法が決めた事なので。救う命と救わない命の線引きを見極める修行と言うか。
とにかく人の命を奪った人間には同等の裁きを受けさせるというのが大統領の考えみたいです。」
「ふーん。」
美緒は首をコキコキ鳴らして森下を見つめた。
「で、では本題に入りましょうか。小牧様は…。」
「美緒でいいよ。」
「え?あ、は、はい、では美緒さん。先程のビデオで、気になった執行方法は有りましたか?」
「ない。あんな甘っちょろいの全部だめ。あんなのしか無いの?私の怒りはあんなんじゃ収まらないんだよ。」
美緒は絶望した様に頭を抱えた。
「もっとさ、やった事を後悔して後悔して、自分が生まれてきた事を心底呪って、自分を呪いながら悶え苦しみながら死んで欲しいんだ。」
「あ……そうです……か。そしたら、遺族執行制度の新しい試みなんですが、特別執行プランという物がございまして、よろしければ説明させてもらってもよろしいですか?」
美緒は驚いた様に目をぱちくりして見上げる様に森下を見た。
『特別執行プラン』
遺族が希望するオリジナルの執行部屋を一級建築士と共に建築する執行プラン。料金は遺族負担だが、執行配信の投げ銭が集まればそれに充当出来るというものだ。
「それってプロに相談できるの?」
「はい、専属の一級建築士がつきます。その為の空きスペースもこの建物の中に4~5部屋用意されています。自由に設計して頂いて構いません。更に追加料金のお支払いで30日を超えて執行を続けて頂いても構いません。まだ誰も利用者された事がないんで、美緒さんが良ければ是非、オリジナル執行部屋利用されてみませんか?」
「そんなのあるんだね!確かにすごいね。てか投げ銭が集まればそれで払っていいんだよね。」
「はい、それで足りない場合等はローンも無金利で組めます。」
「…そっか。それはかなり魅力的だな。ちょっと考えさせて。どんな部屋にするか、考えてくる。」
「ゆっくりで大丈夫です。ここからは僕とはこの専用アプリでやり取りできますから。またいつでも連絡する下さい。」
「わ、分かった。あとこれ。」
美緒は古いノートを森下に渡した。
「これ日向の事件について私が記録したノート。コンシェルジュがつくなんて知らなかったから、最後まで付き合ってくれるならこれ、次会う時までによく読んでおいて。」
「かしこまりました。大切に読ませて頂きます。」
美緒はうなずくとここに来た時とは裏腹に颯爽と踵を返し部屋を後にした。
森下は家に帰ると早速ノートを読み始めた。
ノートには事件が起きてから日向が発見されるまでの経緯が事細かに書かれていた。森下が事前に聞いていた内容では分からなかった部分がかなり細かく記録されていた。
突然「死にたい死にたい」といっぱいに書かれているページもあった。
恨み辛みを込めた筆圧で殴り書きされた様なページも見受けられ、美緒の苦しみがノートから立ち昇って来るようだった。森下は苦しくなりながらそれを読んでいた。
日向の事件の経緯はこんな感じだった。
ある半グレ組織の3人組が人身売買に関与していた。家出少女や若い女性を中心に道端等でさらっては海外に売り飛ばしていたそうだ。
ある時、若い少女のオーダーが入り、3人は道を歩く小学生達を物色。
人気のない公園のそばを歩いていた日向に目をつけ、監視カメラ等に映らない場所で日向を無理矢理車に連れ込んだ。
そこでランドセルに入っていたキッズスマホを捨て、人気のない山奥にある廃ホテルに監禁、その後バイヤーに連絡したがバイヤーが別件で逮捕されており現れず。
結局面倒くさくなった3人は日向を部屋に放置。
そのしばらく後1人が自首して来て日向の話をし、警察がその場所に踏み込んだところ、日向を発見したという経緯だ。
日向の死因は極度の栄養失調により多臓器不全での死亡だった。
傍に落ちて居た日向のピンクの水筒は空になっていた。ドアには爪で引っ掻いた様な後が複数付いていたという事だ。
読みながら森下も言いしれない怒りが湧き上がって来るのが分かった。
なんともおぞましい事件だ。
突然さらわれて閉じ込められ、一人暗くて暑い部屋でお腹を空かせながら死んで行ったなんて。どんなに悲しくて心細かっただろう。
母親の怒りは到底計り知れるものではないだろう。
それから数日して森下のスマホが鳴った。
「森下君!やっとやりたい計画が決まった。次の段取りに進みたい!」
美緒からのメッセージだった。森下は慌ただしく動き始めた。
後日担当の一級建築士と森下と美緒が対面し、話し合いが始まった。
一級建築士の斎藤もノリノリで美緒の計画に真剣に向き合い、何度も話し合いが行われた。
その間、実に3ヶ月にも及んだ。
かなり高額な建築費にはなってしまったが、
美緒には投げ銭で払える自信があった。
建築に着手してからは順調に工事が進み、およそ2ヶ月でオリジナル執行部屋が完成した。
引渡しの日、美緒は嬉しさに耐えきれず2時間も早く現れた。
美緒は黄色いヘルメットを被り、直径8m、深さ4mのコンクリートの円形の穴に縄ばしごで降りると上を見上げ満足そうにため息をついた。
「タイマーお願いします!」
そう言うと頭の方の壁からウイーンと人が寝られるくらいの大きさの台が横にせり出して来た。
「しまってくださーい!」
そう言うと、台はウイーンと壁の中に収まって壁は何事も無かった様にフラットになった。
「OK!森下君、ばっちり!」
美緒は両手で丸を作った。
「はい!じゃ戻って来てください!」
森下が穴の上から叫んだ。
美緒は縄ばしごを軽快に登って行った。
美緒は斎藤と固い握手を交わし、建築フェーズは全て終了した。
美緒と森下は部屋に戻り最終チェックを交わした。
「美緒さん、これって本当にやるんですよね……。」
「やるに決まってんじゃん。今更何言ってんの?」
「は、はい、ではタイから正式な納期の連絡来たら始められます。」
「そうだね。よろしく!」
決行は1ヶ月後に決まった。
第2章
バチンと異常な音が響き、突然目の前に真っ白な蛍光灯の光が瞼に突き刺さり思わず腕で目を覆う。
拘置所のいつもの薄暗い部屋にいない事に最初頭が追いつかなかった。これは夢か。
着ているものがいつもの囚人服では無いことに気づく。
白い作業着の様なつなぎに、左胸に『A』と書かれたワッペンが付いている。
「Aだと?」
Aは眉をひそめて眩しい部屋の中を見まわした。
真四角の部屋には他にも2人いた。
簡易ベッドが壁沿いに配置されており、2人ともまだ寝ている。
眩しさのせいで顔はよく分からなかったが 胸には同じ様に『B』と『C』と書かれていた。
Aはベッドからゆっくり立ち上がると部屋を更に観察した。正方形の部屋で、広さは13畳あるかないかの狭い部屋だ。
唯一ベッドがない壁にはドアがあり、Aは迷わずそこを開けた。
中はシンプルなトイレだった。
部屋の天井を見上げると四角くくり抜かれた奥まったスペースに短いロープが垂れ下がっている。到底手は届かない。
「何だよこれ?!」
Aはまじまじと天井の窪みを睨みつけた。
「あっ。」
「あれ?」
その時BとCが目を覚ました。
BとCはキョロキョロとベッドの上で自分を状況を把握しようとしていた。
「あ、お前ら!?」
AはBのただならぬ声にバッとそちらを振り向いた。見た顔だった。『仕事』をしていたあの時と、最後に3人が揃ったのは2年前最高裁判所で死刑宣告を受けた時だった。
Cは膝を立てて座りそこに顔を埋めて笑いを堪えていた。
「思い出したぞ、確かてめぇがチクったんだよなぁ!」
BがCに掴みかかった。
「……。」
Cは何も言わず、されるがままに胸ぐらを掴まれた。
「ふざけんなてめぇ、てめぇだけ量刑軽くしようと思って俺ら売ったんだろうがよ!マジでぶっ殺すぞ!クズ!!」
「クズに言われたくない…。」
Cは吐き捨てる様にBに呟いた。
Bはカッとなり、Cに馬乗りになり顔を殴り始めた。Aは壁にもたれたままポケットに手を突っ込み
「おーい、看守~喧嘩~」
とニヤニヤしながら声を張り上げた。
一通り殴り終わるとBは怒りに震えながらハァハァと肩で息をしていた。
Cは血だらけの顔で「ヒッヒッヒ」と不気味な笑い声を上げていた。
Aは長い髪をかき上げ、じっと争う2人を見ていた。
美緒は森下にイライラしていた。
一昨日着で届いているはずの衣装の配達が送れているのだ。
「ちょっと森下君!本当に早くして!!」
「すいません、もう間もなくかと……。海外発送なので何か遅れちゃってて…。」
「もーー幸先悪いじゃん!!!電気ついちゃったよ!遅らせられなかったのこれ?」
「本当にすいません!執行プログラムは決められた時間から始まるようになってまして、本当にすいません!」
「早速殴っちゃってるしあのバカ。」
美緒は腕組みをしたままマジックミラーの向こうを顎で指した。
「ありゃすごい血ですね。」
「ありゃじゃないよ!!ほんと早くして!」
「あっ、届きました?すぐ行きます!美緒さん、今来たみたいなんで自分すぐ取ってきます!」
森下はかけていたスマホを落としそうになりながら急いで部屋を出ていった。
「早くしろーー森下ーー!!」
美緒は、イライラがマックスに達した。
森下がゼーハーしながら宅配便の箱を持ってくると美緒は乱雑にビリビリとビニールテープを剥がした。
「うわーすごい!イメージにピッタリだ!」
美緒はガサガサと箱を漁るとワンピースの様な長い衣装がズルズルと出て来た。それを裾からすっぽり被り、ニョキっと顔を出した。
色は薄いベージュの分厚い生地で、金の刺繍が入ったドレープが肩から胸に広がり、腰には金の縄ベルトが付いている。美緒はどこから出したのか手のひらサイズの大きな鍵を1本、縄ベルトにぶら下げた。
美緒は最後に箱に入っていた白いマスクを取り出した。
面長な白いお面で、吊り上がった真っ黒い目だけがあしらわれた不気味なお面だった。
美緒はおもむろにマスクを顔にはめるとフードを被った。
「どう?怖い?」
美緒はマスクの顔をぬぅっと森下に見せ意見を求めた。
「しょ、正直言ってめちゃくちゃ怖いッス。」
「だよね!それでOK!私の名前は今から『ノア』ね。」
「あ、ノ、ノア?は、はい、OKです……。」
「配信始めるよ!はい、早く準備して!」
森下はテーブルの上にパソコンを置き、その後ろ側に立った。
美緒は用意しておいた黒いカーテンの前に置かれた白いソファにどかっと腰掛け足を組むと、肘掛けに肘を置き、ボイスチェンジャーを口元にあてがい、配信ボタンを押した。
パソコン画面にはシュールな装いの美緒と、画面半分にはマジックミラーの向こうの3人の死刑囚が映りこんだ。
政府公認チャンネルでは好きな執行部屋をライブ配信で見られる様になっている。
コメント機能はもちろん、気に入った執行があれば投げ銭で応援する事もできる。
投げ銭の収益は基本最後に遺族に渡される事になっている。
第1回の火あぶりの処刑では驚愕の500万円が投げ銭された。
これを見られるのは月々3000円という高額なサブスクリプションサービス会員の、もちろん18歳以上限定である。高額な月額にも関わらず、今や会員数は2000万人を超え連日大きな反響を見せていた。
美緒は堂々とした態度で配信を始めた。
「視聴者の皆さん、こんにちは。私の名前はノアです。」
ボイスチェンジャーは男とも女ともつかない不気味な声と、座っているのでその出で立ちも男とも女とも分からない。
いつもとは違う落ち着いた口調で淡々と美緒が話し始める。
視聴者がちらほらとノアの配信部屋に“入室”し、様子を見に来た。
「ここ何?新しい執行部屋?」
「ノア??救世主か!?」
「お面怖っ!!」
「ノア様降臨!てか男?女?」
「 まとめてやっちゃってください!」
「この3人の男たちは3年前、私の大事な娘を、ひたすら身勝手な理由で奪った。到底許される訳ない。
私はこの日を待ちわびわた。ただひたすらこの日だけを待ちわびていた。
今日からじっくりと時間をかけ、この3人の男達にその報いを受けさせる。
視聴者の皆さん、これから始まる執行の、その一部始終を是非私と一緒に見届けて欲しい。
それから、いいねと、投げ銭もよろしく。」
「なになに?何が始まるの!?」
「血祭りじゃー!」
「こいつらのやった事件思い出した!!誘拐のやつ!!」
「投げ銭享受(笑)」
ノアこと美緒の映像は画面から消え、3人の男たちが全画面表示になった。
「あっつ!てか、このマスクくっさ!!」
美緒はマスクを外すと「嗅いでみ?」
と森下にマスクを嗅がせた。
「うわ、何すかこれ?!薬品ぽい匂い。」
「海外物だからかな?臭すぎてずっと付けるの無理!」
美緒は酸っぱい顔をしながらマスクをテーブルに置いた。
「はぁ緊張した~。ちょっとずつ慣れてかなきゃね。」
美緒はペットボトルの水をゴクリと飲んだ。
「あの、美緒さん。」
「はい?」
「これからの予定…なんですけど。」
「それはこれからのあいつらの動きによって変わってくるから。まぁ森下君は私が頼んだやつを頼んだタイミングで持って来てくれればいいから!」
「は、はぁ…。」
「今からしばらく暇だけどどうする?森下君抱えてる仕事とかないの?」
「まぁ、無くは無いですけど。」
「じゃあここの部屋にいなくても仕事して来ていいよ。また用事ある時呼ぶから。」
「はぁ、分かりました。何かあれば携帯に連絡下さい。」
「はーい♪じゃまた後で。」
森下は追い出される様に部屋を出た。聞きたいことはいっぱいあったのに。
Bは落ち着きを取り戻し、ベッドの上でうなだれていた。
Cは顔を腫らしヒューヒューと苦しそうな息をしていた。
「なぁ、お前らここに来る前の最後の記憶は?」
Aがベッドの上であぐらをかきながら聞いてきた。
「俺はいつも通り拘置所の部屋で夜飯食って横になってたら、もうここだった。」
Bが答えた。
「お前もか?」
Cも頷いた。
「はっ、何なんだろうなこれ。いよいよ死刑執行ってやつか?」
「いや、それよりヤバい噂知らないか?」
「何だよそれ。」
「遺族が死刑執行するってやつ。俺らぶち込まれた後国民投票があって死刑決まっただろ?あれと同時期に決まった法律とかなんとか。」
「は?知らねぇよ。死刑なんか拘置所のどっかの部屋で首吊りでビヨーンて死ねるんじゃねぇの?」
「……。」
Bはにわかに顔が曇り始めた。
「この部屋、おかしくないか…。俺ら3人ともあの事件に関与してるんだぜ?3人相部屋って……。もしかしてあの子の……。」
シーンとする部屋の静寂が不気味に3人の身を包み込んだ。
「ビンゴ!!」
美緒は人差し指をピストルの形にしてマジックミラーに向けた。
「もーしもーし、森下君?ちょっとお願いがあるの!」
美緒はおもむろにスマホで森下を呼び出した。
程なくして森下が現れると
「お弁当お願い!」
「あ、食事されます?」
「違う違う、私のじゃなくてあの3人の。出来るだけ高級なうんまそうなお弁当用意してあげて!」
「え?高級……。」
「そ!お願いね!あと水も3つ。」
美緒が何を考えているか全く分からなかったが森下は周辺の店で用意出来る高級弁当を手配した。
コンコン
「美緒さん、入ります。お弁当3つ持ってきましたけど……。」
「おーサンキュサンキュ!さて初めての滑り台の出番だ!」
美緒は立ち上がると床近くにあった30cm四方の小さい蓋をパカッと手前に開けた。そこは斜めの滑り台になっていて、1段下がった執行部屋に、繋がっている。
美緒はお弁当と水を1つずつ滑らせた。
ガコンという物音でABCが一斉に床の方へ視線を投げた。
「おい、ここ開くぞ。引っ張れ。」
3人は小さな鉄格子をガチャンと外すとお弁当が3つ滑り降りて来ていた。
「お?飯か?腹減った~てかすげぇ高そうな弁当じゃね?」
3人は一つずつ弁当を手に取るとベッドや床の上で蓋を開けた。
「すげー高級焼肉弁当じゃん!うまそー!」
3人は目をキラキラさせて弁当をがっついた。
美緒はその様子をソファに腰掛けながら満足気に眺めている。
「良かったよ~喜んでくれて!」
クククと笑う美緒の不気味な嘲笑に森下はゾッとした。
ネットのコメント欄も意外な展開に盛り上がっていた。
「ノア様のお恵みじゃ~」
「最後の晩餐」
「丸々太ったら喰ってやる」
「ノア様思考回路不明…」
「執行せんの?何かつまらん」
森下はやる事もなく、美緒のソファの近くにある1人がけの椅子とテーブルに腰掛けた。
この部屋も美緒が一級建築士に作られたものだ。
マジックミラー越しにいつでも3人を観察できるようになっている。
美緒がいるスペースも簡易ベッドや配信専用のスペース、食事も取れるように森下が今座っているテーブルと椅子が用意されてる。
部屋は10畳程でほとんどが配信スペースとベッドに阻まれ、かなり狭く感じる。
こちらの会話は聞こえないようになっているが向こうの声は上部のスピーカーから聞こえるように設計されていた。
「私もお腹空いたな。森下君何か食べに行こう。」
「は、はぁ。執行中ご遺族様は執行棟から出られない規則なので、ここの食堂になっちゃいますけど。」
「いいじゃん!行こう!」
「はい……。」
美緒はパソコンで3人の配信を映した状態で森下と部屋を出た。
執行棟の最上階には食堂や売店、シャワー室や個別の就寝室があり、遺族達が自由に利用できる様になっている。
時刻は夜19時半、まばらに人が座っていて、美緒と森下も腰を下ろした。
すると遠くの方で
「本当にありがとうございました!これであの子も浮かばれます!」
と泣きながらコンシェルジュの女性と握手を交わす高齢の女性がいた。
「執行終わったんだね、あの人…。」
美緒は興味深そうにその様子を見つめた。
「あ、あの美緒さん、この執行期間はどのくらいを考えてますか?」
「何が?」
「その、執行に使う期間です。」
「もちろん30日全部使う予定だけど。でもあの3人の行動によるかな。何で?」
「いえいえ、ただ、どういう計画なのかやはり少しでも把握しておきたくて。コンシェルジュとして。」
「うーん、まぁそうだよね。じゃあ少しだけ話すけど、私はあの3人の中で特に1人探してる奴がいるの。」
「え?」
「もちろん3人とも極悪人だから全員執行するつもりなんだけど、群を抜いて極悪なやつが1人いるの。」
「はぁ…ではそいつを…。」
「あ、番号ついた!取ってくるね!森下君のも取ってくるよ!」
美緒はバッジを握ってご飯を取りに行った。
「おまたせー!」
美緒は定食とミートソースパスタを運んできた。
「とりあえず食べよ!配信でも内容話すから聞いてて。さ、食べて早く戻ろ!」
「は、はい…。」
森下と美緒はせわしなく箸とフォークを動かし夕飯を胃に押し込んだ。
部屋に戻るとABCも弁当を食べ終わり寛いでいた。
「まったりしてんじゃねぇよ。」
美緒は舌打ちをしミラー越しに毒づいた。
「でも優しいですね、あんな高級弁当をあげるなんて。」
「優しい?そう思う?」
「は、はい。」
「ふふ、まぁ見てなよ。」
美緒は衣装に再び体を通しソファに腰掛けると美緒は配信ボタンを押した。
「視聴者諸君、こんばんは。今回はこの3人の悪行について触れていきたいと思う。」
「ノア様再登場!!」
「高級弁当の次何!?」
「まとめてやっちゃってください。」
「視聴者諸君にこの映像を見て欲しい。
これは私の娘が拉致監禁されていた部屋だ。」
急に画面が切り替わり、汚いホテルの一室で、しょんぼりとベッドに座る日向が映し出された。顔はモザイクで隠されている。
「これはあの3人が設置していた人身売買オーダー用の記録ビデオだ。ここに犯行の一部始終が映っている。」
美緒は仮面の奥で怒りが立ち上って居るのが分かった。
「3人は私の娘をここに放置して立ち去った。
娘は蒸し暑い部屋で食べ物も与えられず水もなく、何度もドアを叩き、泣きながら助けを求めたのだ。」
「は?ひっど!!」
「鬼畜かよ」
「詳しく知らなかった…。酷すぎる!!」
「まとめてやっちゃってください」
コメント欄もどんどんと更新され始めた。
やがて画面が変わると日向はベッドに横たわっていた。
そこにフードを被り大きい黒いマスクの男が部屋にそっと入って来た。
マスクの男はカメラに近づきカメラを外そうとしていた。
不意に、ベッドに目をやった。
日向が話しかけてきたのだ。
日向は起き上がれるないまま弱々しく腕を上げ何かを訴えている。
しかし男はすぐにカメラに向き直り電源を切ったところで映像は終わっていた。
「視聴者諸君、お分かり頂けただろうか。この男は証拠隠滅の為にカメラを回収しに来たのだ。そして、私の娘が生きていたのにも関わらず無視して置き去りにし、この後娘は死んでしまった。あの時、少しでも人の心があったのなら、娘は助かったのだ!
あのフードの男はこの3人の中にいる。必ず見つけ出し悪の鉄槌を下す。
地獄はこれから始まるのだ。
それでは引き続き、いいね、と投げ銭よろしく。」
美緒は震える手で配信を切った。コメント欄は大いに盛り上がっている。
「今の映像…マジで無理…涙止まらん…」
「うわ、これ助けられたやつじゃん!!!」
「誰だよフードの男…!!絶対許さん!」
「ちょっとBっぽい?」
「視聴者にも推理させるスタイル…ノア様、策士」
「今鳥肌ヤバい…配信で初めて泣いた」
「あの手……助けてって言ってたよね…」
ただならぬ怒りの雰囲気を感じ取り、森下は何も声を掛けられなかった。
美緒はそっとマスクを外すと鋭いで目付きで3人のいる部屋を睨んだ。
「今日はもう寝る!初日お疲れ様!」
「は、はい、上にご遺族様用の就寝部屋用意してありますので。」
「ここで寝てもいんでしょ?」
「別に問題ないですけど。あの3人が見える所で寝られますか?」
「むしろあの3人を感じながら寝るわ!」
「は、はぁ、では明日また来ます。」
「あいつらの朝ごはんは、どうしようかな。サンドイッチ3つと水用意しといて欲しい。」
「分かりました。」
「じゃお休み~。」
美緒は手をひらひらとさせ森下を見送った。
それにしてもひどい映像だった。胸くそが悪くなる。フードの男は誰なのか。最後に日向がそいつに話しかけていた言葉も気になる。
「あーたーらしーーい 朝が来たー希望のーーあーーさーーーだー よろこーびに胸をひーらけ 青ぞーら あーおーげーー」
急に大音量で流れてきた『ラジオ体操の歌』に3人は飛び起きた。
「何だよこれうるせぇな…。」
「てか明る過ぎて寝れなかったし。」
「腹減った~…。」
3人はモゾモゾと動き始めた。
美緒は無言で立ち上がると、滑り台からサンドイッチと水を人数分転がした。
「おっ、飯だ。サンドイッチとか久しぶりだな。」
3人は何も疑わずビリビリと包みを開けて食べ始めた。
森下はその様子を見守った。
「森下君、あいつらここにいる間暇だよね?トランプとか用意出来る?」
「ト、トランプ?…ま、まぁ買ってきますけど。」
「お願いね!」
やはり美緒が何を考えているか全く分からない。
昼ご飯の時に美緒は幕の内弁当3つとトランプを滑らせた。
「は?トランプ?何だよこれ?」
Aはトランプを拾いまじまじと見た。
「暇だからじゃね?後でやろうぜ。」
3人は昼ご飯を食べ終わると円になって大富豪を始めた。
3人はワイワイと盛り上がり、そのうち夕飯に来るであろうおかずを1つずつ賭け始めた。
「なるほどね。簡単に夕飯貰えると思ってるんだね。今日はお仕置だな。」
森下は美緒のその一言を聞き漏らさなかった。
「お、お仕置ですか?」
「そう!お仕置!今日の夕飯は抜き!」
「……。」
「食べ物で賭け事するなんて。許さないんだから!ちょっと出てくる!」
美緒はバタンと部屋を出ていった。森下はため息をついて3人を観察した。
こいつらは反省してるのか?
ハハハと大声で笑い、人を商品として売り捌いていた事、挙句の果てには幼い少女を置き去りにし、殺した事等まるで忘れているようだ。
森下は日向を置き去りにした1人が誰なのかどう確認するのか、これからの美緒の動向が気になった。
しばらくすると美緒が戻ってきた。
「今日は配信なくていいかな。もうやる事ないから寝る!お休み!」
「あ、お休みなさい…。明日は朝ごはんどうします?」
「朝ごはんも抜きだな。」
「え?水は?」
「んー、水だけやるか。死なれちゃ困るしな!」
「じゃ今日の夕飯と明日の朝は水だけで…。」
「そうね!じゃあよろしく!」
その日は前日の焼肉弁当から一転、水だけがコロコロと落ちて来て、3人は絶望した。
Aは滑り台の通路に顔を突っ込み
「おーい!!飯はぁ?看守!!」
と叫んでいたがいずれ状況を理解してベッドの上でうなだれた。
「腹減ったぁ、今日飯ねぇの?せっかく賭け勝ったのに。持ち越しな。」
Aは不機嫌そうに呟いた。
BとCは無言のままだった。
「マジでここ何なんだよ気味悪ぃよな。あの紐何なんだよ。あれに掴まれば出れんのか?」
Aは改めて天井の真下から上を見上げた。
「……。」
「無視かよ。クズ。」
Aはドカッとベッドに横になった。
「明るくて寝れねぇマジで。」
Aの不満だけがスピーカーから聞こえてくる。
美緒は満足そうにコメント欄に目を通していた。
「今日飯抜き?」
「ノア様始動」
「トランプ食え」
「緊急に執行望む執行望む」
「ふぁ、みんなお休み~投げ銭よろしく。」
美緒はコメントを一通り読むと独り言を呟き、スマホを枕の横に置いて安心した様に眠り始めた。
「あーたーらしーーい 朝が来たー希望のーーあーーさーーーだー よろこーびに胸をひーらけ 青ぞーら あーおーげーー」
「うるっせぇ」
Aがイラついた様に今日も目覚めた。前日昼以降何も食べず、空腹は限界に達していた。水も飲み干してしまった。
歌が鳴り終わると配給口から水がコロコロと3つ落ちてきた。
「うっわ、マジで今日も飯ねぇの?!」
「やばくねぇ?俺やっぱり分かってきたかも。」
「何がだよ。」
「これはやっぱり遺族死刑だよ。あの子の親が俺たちを同じ目に合わせようとしてるとしたら…。だとしたら…このまま餓死させられるんじゃないのか…?」
「何でだよ。初日の焼肉弁当は何なんだよ。」
「希望からの地獄……。」
Bは水を握りしめて青ざめた。
「トランプは?」
「遊ぶ楽しみを奪った俺達への復讐……。」
「ちょっとやめろよ……怖ぇよ。」
Bが震えながら言うと、Cは無言で腫れた顔で膝を抱えてうずくまった。
ノアが配信を始めた。
「視聴者諸君、おはよう。昨夜からあいつらには
食料を与えていない。今日からは食料を減らし続け、食べる事で頭をいっぱいにする。
飢えの限界に達する人間がどういう行動に出るのか見守って欲しい。視聴者諸君とその一部始終を見届けたい。そして、いいねと投げ銭よろしく。」
「うおーーー兵糧攻めフェーズ始動!!」
「初の餓死?見たい見たい見たい!!」
「ノア様残酷過ぎるーーー♪」
「じわじわ系いいね!」
ノアの部屋の視聴者は日に日に増え、今や500万人が視聴している。投げ銭も順調で既に80万円を超えていた。
「そういえば森下君!」
「は、はい。」
マスクを外した美緒が突然話し掛けてきた。
「森下君が以前担当してた4例ってどんなだった?」
「あ、あぁそれは個人情報で話せないんです。」
「えー個人情報言わなくてもいいし。どんな感じだったか教えてよ。」
森下は記憶を呼び起こした。
初めて担当したのは執拗なストーカーに刺殺されたOLの遺族による執行だった。
遺族は犯人に目隠しをし、腕を後ろに縛ると、遺族全員で殴る蹴るのリンチした。
その後は30日めいっぱいを使い、徐々に水位を上げる水責めの刑をお見舞いした。
初めて見る残酷な光景に、森下はしばらく眠れなくなるという軽いPTSDを患い、通院した。
その後は放火犯の火あぶりの刑、強盗殺人犯の皮剥ぎの刑、バラバラ殺人犯の体をバラバラに徐々に切り刻むオリジナル処刑にも立ち会った。
中には途中で苦しむ犯人を直視出来ず、すぐに司法死刑に切り替え、帰宅を懇願する遺族もいた。
「ふーん、それで?終わったあとどう思った?」
「そうですね…。最初は、それはショックでしたけど、何も悪くない人達が突然殺されたりしたら遺族の方はやり切れないですよね。
遺族の方が怒るのは当然だし、ましてや美緒さんの怒りはものすごく分かります。この制度、僕は間違ってないと思います。」
「そっかー、でもこの研修終わったら命に向き合うお医者さんになるんだよね。私みたいに人の命弄んでる人間てどう思う?」
「そんな風に思いません。美緒さんは法律に乗っ取った、正当な裁きを犯人に与えてるだけですから。」
「でもさ……。こんな事いくらしたって日向が戻ってくるわけじゃないんだけどね…。」
美緒は息を吐くとふと寂しげな顔に変わった。
「こんな事してないで、あの子に会いたい…。会いたくてしょうがない。あの子は本当に可愛かったんだよ。リボンが大好きでさ。ちょっと聞いてくれる?あの子との思い出話!」
「はい、聞きます。」
「それで、あの子が初めて喋った言葉はね…。」
森下は懐かしそうな顔で日向の話をする美緒を真剣に見つめながら話に聞き入った。
森下は自分に子供がいないから母親の気持ちにはなりきれないが、母親は子供の為になら火の中に飛び込む、そんな本能が備わっている事を聞いたことがある。母親の愛はどんな物よりも強いのだと、改めて感じた。
夜が近づくと3人はいよいよ空腹がきつくなり ベッドの上でぐったりしている。
その様子を美緒はただひたすら眺めていた。
コンコン
森下が白い箱を掲げて入って来た。
「美緒さん、一緒に食べませんか?
これこの近くの『ラ・メール』ってお店のチーズケーキなんですけど、めちゃくちゃ美味いんですよ!」
「おー!気が利くじゃん森下君!よくやった!」
美緒はソファから立ち上がると小さなテーブルに森下と向かい合わせで座った。
「あの3人どうですか?」
「え?今ね、かなりお腹空いてるね。しかも水ももうないから。」
「この後どうするんですか?」
「森下君、後でアンパン二つ買ってきて。」
「え?二つでいいんですか?」
「そ!二つ。どうすると思う?あの3人。全員悪党だから誰かが独り占めかな?」
「わ、分かりました。」
森下はケーキを急いで頬張ると足早に売店へ向かった。
美緒の行動は確かに常軌を逸しているが、森下は今やその行動を見守るのが楽しくなり過ぎている。あのカリスマ性は半端じゃないし、いつも冷静過ぎる。今までの遺族とは全く違うタイプだ。
配信を行うノアの姿を見ると手が震える。
美緒が心の底からこの復讐にかけて来たのが分かるからだ。
森下は部屋に戻り、美緒にアンパンを2つ手渡した。
「さ、イッツショーターイム♪」
美緒は真顔でそう言うとアンパンを二つまとめて勢い良く配給口から転がした。
コロコロと落ちてきたアンパンに3人の目線はギョッとなり釘付けになった。
「あ?何だよこれ?パン二つか?」
Aはパンを二つ手に取った。
「おい、それ、しょうがねぇから分けるぞ…。ここに置けよ。」
Bは震える様に言った。
「…。」
「おい、置けよ!」
Cもイラついた様に言った。
Aは2人を交互に眺めると一つを離れた壁側に投げつけた。それと同時にダッシュでトイレに駆け込み中から鍵をかけた。
「クソっ!開けろてめぇ!!」
Bは急いで追いかけたが間に合わず、閉められたトイレのドアをガンガン叩いた。
そのドアに背中をつけ座り込むとAはアンパンをガツガツと貪った。
「てめぇ出てきたら絶対ぶっ殺してやるからな!」
Bはドアをガンっと一蹴りして落ちたアンパンを拾いCの元へ戻った。
「何なんだよあいつ、マジでクソだな。」
Bは角刈りの後ろ髪をワシャワシャと逆撫でした。
「しょうがねぇ分けようぜ。」
「ああ…。」
「てか、初日悪かったよ殴って。」
「は?友達でもねーのに。」
「何だよそれ。本当クソ野郎だなどいつもこいつも。」
「ははは…。」
BとCは少し打ち解けたようだ。二人は仲良くアンパンを半分にちぎると惜しむ様にちびちびと食べ始めた。
「お?!まさかのBとCクソ同士友情勃発(笑)」
「Aトイレ籠城!!」
「まとめてやっちゃって下さい」
コメント欄もドラマを見ているかの様な展開に大いに盛り上がっている。
「あはは!こう来たか!!これは意外な展開来たね!Aのクソ野郎っぷりすごいね!」
美緒はお腹を抱えて笑い始めた。
美緒は日向が死んでから初めて笑った。
「ははは…。」
森下はひたすら苦笑いで応えた。
半分のパンを食べ終わるとBとCはヒソヒソと話し合いを始め、何かゴソゴソと動き始めていたが、しばらくすると少し落ち着いてトイレを睨んでいた。
「おーい、便所使いたいんだけど。とりあえず出てこいよ。」
Aは勢いでパンを食べてしまった事を後悔していた。密室でこんな事すれば、残りの2人に何されるか分からない。
「…。」
「おーい、あんなパンくらいで怒ってねぇから出て来いよ。ここで小便したくねぇよ。」
Bが優しく嗜めるように続けた。
Aはその言葉を信じて意を決して少しドアを開けた。
5cmくらい開けるが2人の姿は見えない。
おかしいと思いドアを全開にするとドアの後ろ側に、隠れていたBにガバッと羽交い締めにされた。
「クソッ放せ!!」
CはすかさずAの足を細くちぎったシーツでグルグル巻きに縛り付けた。巻き終わると後ろから突き飛ばし、顔から倒れたAの背中にBが跨り、残りのシーツで後ろ手にAの手を縛り付けた。
「……。」
Aは床に倒れたままBとCを睨みつけたが、かける言葉が見つからずただ眼球を見開くことしか出来なかった。
「お前は前からそういうやつだよなぁ。自分の事しか考えねぇ。俺はあんな小さい子売るなんて嫌だったんだよ。」
Bがそう言うと美緒は座っていたソファをガタッと鳴らし、スピーカーに耳を傾けた。
Cは無言で鼻を鳴らしAから目を背けた。
「森下君、あのフードの奴、今の所誰だと思う?Cじゃないよね。」
「うーん、自分はAだと思います…。」
「やっぱそうかなぁ…。森下君!追加でコロッケパン2個!」
「こ、コロッケ?は、はい。」
森下は閉まった売店の前で絶望しながら拘置所の外にあるコンビニに走った。
「お?何か来た!!」
追加で配給口から落ちて来た『大きなコロッケパン』二つとカフェオレにBとCが狂喜乱舞した。
ガツガツとそれを食べる2人を見ない様にAは床で体勢を変えた。
「A傑作過ぎ(笑)ワロタ」
「コロッケパンおめでとう。しかも大きいやつw」
「A拘束!二人で殺しちゃう感じ?」
「ノア様がマジで読めん!!」
コメント欄も意外な展開に沸き立っていた。
「さてさて、ここからが本番だ。てかさー森下君、AとBとCって何かキャラ掴めないんだよね。3人とも顔つき悪いし。目くそ鼻くそってやつかな。全員悪人て共通点しか見えない。」
「ですよね、自分もです。データによると3人とも何かしら殺人に関与してますし、他にも窃盗やら恐喝やら暴力沙汰起こして何度も警察行ったり来たりしてますね。本当に美緒さんの言う通りで、目くそ鼻くそです。」
「森下君、3人の細かい過去の犯罪歴とか欲しいな。後でまとめてメールくれる?とりあえず地獄は続くぞー!さてさて、投げ銭は……。おっ!すごい!200万超えて来てる!」
美緒がパソコンの覗きながら嬉しそうに声を上げた。
「さてさて、Aが拘束されちゃったからこの後の予定がちょっと狂ってきたなぁ…。ま、しばらく様子見かな。」
「は、はい。」
森下は黙って椅子に座ってガラスの向こうを見つめた。
「おい、悪かったよ、これ解いてくれよ。」
Aはしばらくすると体勢が辛くなりBとCに懇願したが、BとCは無視したままベッドの上でトランプを広げ『スピード』をしている。
「……。」
Aは膝を立て身体を起こし、お尻と足の動きで自分のベッドに移動した。床が固くて体が痛くなっていた。それをBとCは蔑んだ目で睨みつけた。
「こいつ殺す?」
Bが親指でAを指し笑いながら言った。
「そしたら食べ物分けなくて済むしな。」
Cはボソッと呟くと不気味に肩を上下させて笑っている。
Aはその会話を背中を向けてじっと聞いていた。
「ちょいちょい!それはいかんよ君たち!森下君、どうしよ。」
美緒は若干焦り始め、部屋をウロウロしながら
ガラスを向こうを観察し続けた。
「お、おい、お前ら、聞いてくれ。俺にアイデアがあるんだ。」
Aが振り向き急に発言し始めた。
「何だよ。」
Bが面倒臭そうに聞き返した。
「あれ、あそこ見ろよ!」
Aが顎でトイレの上にある天井付近の通気口かと思われる鉄格子がはめてある部分を指した。
BとCも一斉にそこを見た。
「もしかしたらよーあそこ外と繋がってるんじゃねぇか?映画とかでよくあるだろ?飯が降りてくる下の穴は人入れねぇけどよ、あの穴は人が1人入れるくらいの大きさなんだよ。」
「……。」
「なぁ試してみないか?あの高さなら3人で肩車すれば届くと思うんだ。」
「……。」
BとCは顔を見合わせて少し考えていた。
「鉄格子ハマってるじゃねぇかよ。外せるかよ。」
「いや、何かおかしいんだよあの枠。手前に引っ張れば取れるかもしれねぇ。」
「……。」
美緒は3人の会話を聞きながらジャンプして手を叩いた。
「そーだそーだ!よく気づいた!さすが強盗経験者!とうとう隠し通路発見しましたぁ!」
美緒の独り言が部屋中に響く。森下は初めて聞く設定に耳を疑った。
「み、美緒さん、あそこなんかあるんですか?ただの通気口かと思ってました。」
「んなわけないじゃん!ここの部屋の仕掛けはねぇ、人を狂わすんだよ。」
森下は美緒の発言に首を傾げながらガラスの向こうを食い入るように見つめた。
BとCは無言で立ち上がりAの拘束を解いた。
Aは手と足をブラブラさせてベッドの上に座り直した。
「食べ物は今後俺が受け取るからな。」
BがAの頭の上から呟いた。
「分かったよ、悪かったよ。」
Aは顔を背けながら言った。
「じゃあ、誰が行く?」
Cが3人の体型を見ながら言った。1番軽そうなのはBだ。
「俺が1番上だな。」
Bが名乗り出た。
「分かったよ。俺が1番下になる。」
Aが渋々立ち上がった。
Aはしゃがむとその上にCが跨った。その2人の背中をBが登り、3人のタワーが出来上がった。
「組体操みたいだね森下君。私の時はまだギリあったんだよね。でも考えたら危ないよね。素人があんなさぁ。」
「は、はぁ。」
森下はこの後の展開が気になり過ぎて美緒の話が入って来ない。
「せーのっ!」
Aは渾身の力を込めて膝を立てた。流石に成人男性二人の体重はなかなか堪える。
Bは顔の目の前に来た鉄格子に手を掛け、前後にガチャガチャと引っ張った。
ガチャン
鈍い金属音が響き渡り、鉄格子が外れた。
「おっ!取れた!!」
「っ……っ……」
Aは膝がプルプルしていた。
Bは床に鉄格子を放り投げ素早くその穴に体をねじ込んだ。
一気に軽くなり、AとCは1度床に戻った。
「おーい、なんか見えるか?」
息を切らしながらAが下から声を掛けた。
「よし、カメラ切り替えだ!!」
美緒はパソコンを操作すると、3人が映っていた部屋から暗い穴に視点が変わった。
「これは……。」
森下は目を細めて画面を睨んだ。
大人が1人入れるくらいの四角い穴が映し出され、ぼやっと1箇所が照らし出されている。そこには何かが置いてあった。
森下は更に画面に顔を近づけた。
そこには果物ナイフが1本置いてあった。
そのナイフに向かってBが匍匐前進でこちらに向かってくる。
「美緒さん、これは……。」
「見りゃ分かんじゃん。ナイフだよ。」
「……。」
「Bの奴、どうすると思う?」
「え?いや……。」
「どうだーなんかあったかー?出られそうか?」
穴の外からAが叫んでいる。
Bは必死に肘を前後させてこちら側に向かってくる。
「何これ?ナイフ?」
「ヤバっ!Bこれどうすんの?」
「殺人起きちゃう系?」
コメント欄が騒ぎ始めた。
Bはナイフに近づくと驚いた顔でそれを手に取った。
「おーい、なんかあったか?」
またAが声を張り上げた。
しばらくナイフを握りながらBはようやく声を出した。
「い、いや、何も無い。出口もない。出られねぇわ。」
「ちっ、マジかよ。」
絶望したようなAの舌打ちが下の方から聞こえた。Bはそっと胸ポケットにナイフをしまい、後ろの方へ後退し始めた。
「キターーナイフ持ち出し成功!!」
「Bが今後主導権握るね」
「寝込み襲うのか?!」
「ノア様最高!!」
コメント欄は急激に増えて投げ銭も勢いよく増え始めた。
Bは穴から飛び降りると何事も無かった様にベッドに横たわった。
「くっそ、そしたらあのロープは何なんだよ。」
Aは再度天井からぶら下がっている短いロープを睨みつけた。
「あれは流石に3人でも届かねぇよな。」
Aは立ち上がり部屋の中を観察し始めた。
「あのロープは何かすると降りてくんのか、もしかして。」
3人は一斉に天井を見上げた。
「脱出ゲーム的なやつじゃねぇのかこれ?鍵穴見つけるとか。」
「鍵穴……。」
Aは根拠もなく部屋中を探し回り、ベッドをひっくり返したりしていたが何も見つからなかった。
「ひひ、バーカ!」
美緒はニヤつきながら呟いた。
「森下君!ここからメインの食事が始まるよ!!」
「え?メインて……。何か買ってきます?」
「ううん、大丈夫。しばらく何も要らない。」
「え?何も?」
「うん、何も。」
「?」
森下は意味が分からないまま、その日は部屋を出た。
そこから美緒は2日間3人に全く食事を与えず、水すら与えなかった。
3人はベッドの上にいて無駄なカロリーを消費しないように過ごしたが、流石に喉が渇きに渇き、どうにか水を得ようとトイレに向かった。
しかしタンクは接着剤で固められており、飲める水と言えば便器に向かって流れていくその水だけだった。
「これ、飲むしかねぇのか……。」
「マジで飲まないと死ぬ……。」
「……。」
Aは目をつぶって水を流すとその水を空のペットボトルに入れると一気に飲み干した。
BもCももうしょうがなくなり同じように水を飲んだ。
「ノア様ご慈悲を!この水飲むのは流石にかわいそう」
「ざまぁみろ」
「人間の尊厳を奪っていくノア様最高」
美緒は満足そうにそれを見ながら分厚い牛肉のハンバーガーをむしゃむしゃ食べながらコーラで一気に流し込んだ。
「森下君、このハンバーガーめっちゃ美味しい!!この周り名店多いよね!」
「は、はぁ。」
「そうだ森下君!人間て水だけでどんくらい生きられる?」
「そうですね……。命繋ぐだけでしたら1、2ヶ月はいけるかと。」
「マジか。そんなに生きられるのか。すごいね人間て。」
「美緒さん、このままあの3人は餓死とかそういう感じですか?」
「そんなまっさかー、食べるものなら今すでにあるじゃん。」
「え?」
「あるじゃんて食べる物!!」
美緒は人差し指をガラスに突きつけて言った。
「……美緒さん、まさか……。」
「そのまさかなのよ。」
美緒は不敵な笑みを浮かべた。
3人が口に出来る物がトイレの水だけになってから、とうとう5日になろうとしていた。
皆フラフラと歩き、目がおかしくなっていた。
するとCがガラスの方に向き直り急に土下座を始めた。
「すいませんでした。すいませんでした。」
ゴツゴツと頭を床に打ち付け同じ動作を繰り返した。
「やばっ、C発狂!ノア様の勝利」
「とうとうおかしくなりました」
「兵糧攻め地味にキツイ」
「何がすいませんなんだよボケカスが!!」
それを聞いていた美緒が急に立ち上がりガラスに近づいた。
「……。」
「森下君。またアンパン買ってきて。1個でいいよ。」
「い、1個スか……。」
「うん。」
この後の地獄絵図が想像出来て森下はため息が出た。
アンパンが1つ転がると予想通り3人は取り合いになり、アンパンがあっちこっちに転がった。
素早くパンを掴み取るとBが隠し持っていたナイフを2人の前に突き出した。
AとCはギョッとして立ち止まった。
「は?てか何だよそのナイフ?」
Aが目を見開きひっくり返った声を出した。
「お前らこれ以上近づくなよ。おれがこれ食い終わるまで近づくなよ。ぶっ刺すからな。」
Bは右手でナイフ左右に振りながら血走った目でアンパンをがっついた。
AとCはそれを見つめる事しか出来なかった。
「お前あの通路にそれあったんだろ?」
「……。」
Bは何も答えずナイフを持ったままベッドの上であぐらをかいていた。
「お前寝ない方がいいぜ。」
Aはへらへらと笑いながらトイレの水を飲みに言った。
Cは鋭い目付きでBを睨みつけていた。
ナイフを取られたら終わりだ。食べ物は全て取られてしまう。Bはナイフを死守するしかなかった。しかし2対1では分が悪い。
Aがトイレに行っている間にBがCに持ちかけた。
「なぁ、俺たち組まねぇか?今度食糧来たらマジでやるよ。」
「……。」
CはただBを睨みつけていた。明らかにダメそうだった。
Bは寝ないようにベッドの上で気をつけていたが、アンパンで少し空腹が満たされ、同時に眠気が襲って来た。ここで寝ると駄目だと分かってはいたがBは眠りに誘われていった。
Bがガバッと目を覚ますと身体中を確認しナイフが無いのを確認した。やっぱり取られた。Aの方を見るとベッドの上でニヤつきながらナイフの柄を摘んでいた。
「お探しの物はこれですかぁ?」
「……。」
Bは絶望感に襲われてベッドの上で泣き始めた。
「パン食えんの次は俺だな。」
Aはナイフを回転させながら嬉しそうにしていた。
Aはナイフをベッドの中綿の中に隠し、縛り上げたりしない限りどうしても取れない様になってしまった。BとCは険悪な空気が続き、協力体制にはなれなかった。
その後は何も食糧が来ないまま1日、2日と時は残酷に過ぎて行き、3人は限界が近くなって来た。
中でもCの様子がおかしい。
ベッドに横たわったままピクリともしなくなってしまった。
「おい、死んだのか?」
Aが近づきCの顔に顔を近づけると、はぁはぁと細く息をしていたが、顔色は土色になり、冷や汗をかいている。
「こいつヤバいんじゃないのか……。」
AがBに言った。
「てか、マジでもう食糧来ないんじゃないのか。」
「だな……。餓死か……。首吊りが良かったな……。」
Aがガックリと肩を落とした。
「ん?待てよ……。」
「は?」
「ちょっと待て。これってこれって事か?」
Aはナイフをベッドから取り出して来ると顔の前に突き立てた。
「は?意味わかんね。」
「これで喰えって事じゃねえの?」
「はぁ?!何をだよ。……は?!マジかよ。やだよそんなん。」
「いや、絶対そうだ。これが狙いなんだ。」
「……。」
美緒は堂々とした態度で配信を始めた。
「私はこの日を待ちわびていた。
この男達が犯した罪を後悔しながらそのお互いの肉を喰らい、生き延びていく地獄を見たかった。生きる地獄だ。」
「ノア様の生き地獄最高!!!!」
「共食い司令発動中」
「いやー残酷過ぎー楽しー♪♪」
閲覧者はこの瞬間爆増し、街中でもあちこちで『ノア』がトレンド入りしていた。今や全国民が見届ける死刑執行になった。
それから数日が過ぎ、いよいよAとBの空腹は限界に達していた。
Cはピクリとも動かなくなったが、まだかろうじて虫の息だった。最後の命の灯火が必死に燃え尽きようとしている様だった。
「美緒さん……。」
「ん?何?」
その様子を黙って見続けていた美緒に森下がようやく声をかけた。
「もう、そろそろ限界じゃないですか?Cも死にそうですよ。」
「だからさ、早く食べればいいんだよ、肉。視聴者も喜ぶじゃん。」
「……あんまりにもかわいそうじゃないですか?」
「かわいそう?森下君何言ってんの?!」
「あっ……。」
美緒が突然高身長の森下の胸ぐらを掴んだ。
「かわいそうなのは日向だよ?普通に暮らしてたのに、学校帰りに突然あんな悪そうな奴らに拉致されてさ、汚くて暗い部屋に閉じ込められて、泣いても泣いても助けは来ない、お腹すいて食べ物もない、挙げ句の果てに戻って来た1人に見捨てられたんだよ?許せる?森下君なら許せるの?!」
そこまで言うと美緒の頬に涙が一筋流れた。美緒は乱暴に森下を突き飛ばした。
「……。」
森下は返す言葉が見つからずただ美緒を見つめていた。
「だから思いっきりやった事を後悔して、本当の地獄を見せてあげるの。そして生まれてきた事を心の底から後悔させてやる。あ、そうだ、暗闇地獄もあるんだった。」
「え?」
美緒は立ち上がり3人の部屋の電気をおもむろ消した。
バチン
急に暗くなりAとBはパニックになった。
「お、おい、次は何だよ。見えねぇ!」
Aが泣きそうに叫んでいる。
「暗くて怖かったよねぇ日向……。」
美緒が寂しげに呟いた。
「あっそうだ。モード変えないと。」
美緒はパソコンに近づき、3人のいる部屋のカメラを暗視モードに変えた。配信画面には緑色に浮かび上がる3人の姿が見えた。
「げっ、今度は何?暗闇地獄?」
「電気付いたらどうなってるか見物だね!」
「暗闇って怖いよなぁ」
コメント欄も急な展開に騒ぎ始めた。
Aはナイフを握ったまま怯えた様子でベッドの隅に寄った。
Bは完全に戦意喪失し同じくベッドに横たわった。
「見えねー!!見えねー!!来るな、来るなよー!!」
Aは相手の気配や息遣いに怯え、闇雲に立ち上がりナイフを左右に振りながら暴れている。
「ククク…。」
美緒は親指の爪をかじりながら小さく笑っている。その目はギラつき、口の端は不気味に上がっていた。森下はゴクリと喉を鳴らし、その不気味な様子に動けずにいた。
Aはひたすら暴れ終わると空腹のせいで力が出ず、糸を切られた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
「もう、やだよ……。助けてくれよ……。頼む……、頼む……。」
床にへたりこんだAはブツブツと呪文の様に唱え始めた。
それから暗い部屋は6時間続き、3人とも微動だにしなかった。
動きがあったのはその日の早朝だった。
Aは無言で立ち上ると手探りでふらふらとCのベッドに近づいた。Cは相変わらず動かずにベッドの上にいた。
Aは肩で大きく息をするとナイフを握りしめ、Cのベッドの脇に立ちはだかった。
「うわああああああ!!」
Cの断末魔が部屋中に響に渡り、Bはベッドから飛び起きた。
「な、何だ?!何なんだよ!!」
「うわあああああやめろーーーー!!」
Cの叫び声とグサッ、グサッと肉が破れる様な音が何も見えない暗闇の中で不気味に混じり合い、Bは込み上げるものに耐えられず口を抑えた。
「おい、何してんだよ!!」
Bは恐怖でベッドから降りられずただ問いを投げかけていた。
やがてCの声がしなくなり、はぁはぁという息遣いだけが部屋に響き渡った。
「美緒さん、AがC刺し殺しちゃいましたよ!いいんですか?!」
「見てたから分かってるよ。まぁこの流れは大体予想してたから。そもそもCは左利きみたいだからフードのやつじゃないって分かったし。自首したのは確かにこいつだし。まぁこのくらいの罰でいいかな。ご愁傷さまですっ。」
美緒はいたずらっぽくパンパンと軽く手を合わせ、短い合掌をした。
その時美緒の手によってバチンと部屋の電気がつけられた。
そこに居たのはナイフを握りしめ返り血をたっぷり浴びた虚ろな目のAだった。漫画に出てくる様なギョッとするくらい虚ろな目にBはたじろいだ。
CはAに腹辺りを滅多刺しにされドロンとした内蔵がベッドの上に飛び出ていた。ベッドはまさに血の海に覆われ、赤い台と化していた。
Bは胃の中に水しか無かったが思いっきり嘔吐した。
「お、お前、何してんだよマジで……。」
Bは涙目でAを見上げた。
「いや、腹減ったから…。」
「はぁ?もう意味わかんねぇよ。」
Aは虚ろな目をゆっくり開け閉めしてCの方に向き直るとためらいもなく息絶えたCの太もも辺りをサクッと刺した。
Bはその音に肩をビクッと持ち上げ全身に鳥肌が立っていくのを感じた。
AはそのままCの太ももを四角く切り取った。
Bは固く目を閉じ顔を背けた。
Aはふぅーと一息つくとその肉をゆっくりと口に運んだ。
もにゅもにゅと肉を噛む音が部屋中に響き、Bは思いっきり耳を塞いだ。
「もう無理だーやめてくれー!」
Bは耳を塞いだまま叫んだ。
「おっ、思ったよりうめぇよ。はぁ~やっと食いもん食えたわ。」
Aは血だらけの口を開け閉めしながら満足そうに天を仰いだ。
「うわー!マジで殺して喰ったwリアル喰いじゃん!!」
「グロいグロいグロい!!でも見ちゃう」
「A行け!食え!もっと食え!!!」
「Bの顔ww涙目で草」
「ノア様最高!!!もっと地獄見せて!!」
「こんなんトラウマ確定…でも目が離せん」
視聴者数は既に800万人を越え、投げ銭は1000万を超えてきた。
Bは布団を被りおいおいと泣き続けた。
AはむしゃむしゃとCの左の太ももを食べ続け、空腹が満たされるとトイレの水を空のペットボトルに満たしごくごくと飲み干すと満足そうにベッドに戻った。
「久しぶりに腹いっぱいだわ。おい、腐る前に食食っとけよ。そんなにまずくないぞ。」
Aが見違えるような明るい声でBに話しかけた。
「狂ってる……。」
Bは青ざめながら布団の中で泣きながら震えていた。
美緒はその一部始終を腕を組みながらじっと見ていた。隣で見ていた森下は我慢出来ずにトイレに吐きに行った。
森下が戻ると美緒が困った顔でソファに腰掛けていた。
「うーん、まだ今日で18日目か。意外と共食い早かったなぁ。根性ないよねぇ。共食い始まったらクライマックスって決めたてたからな。森下君、そろそろ私の執行も終わるわ。」
「え?」
「だってこのままCの野郎が腐ってったらあの二人も危ないでしょ?」
「確かに。遺体と同じ部屋にいると腐敗臭もひどくなるし、ましてやその肉とか食べたら感染症とかで死ぬかもしれないです。」
「だよねぇ。いよいよあいつらと話す時が来たわ。明日の朝一で配信開始!!とりあえず今日は終わり!」
「え?話すって……。」
森下は意外な展開に目が点になった。そして何も詳細を聞けないまま運命の朝を迎えた。
Aは腹が満たされ、久しぶりにグーグーといびきをかきながら寝ている。Bは見るに耐えずCの遺体にシーツを掛けると、布団を被ったまま震えながら朝を迎えた。
この日ノアはライブ配信で犯人と話す事を予告していたので、期待していた視聴者が画面を食い入る様に見つめていた。
「お、おはようございます…。」
森下は恐る恐る部屋をノックした。しばらくすると美緒の落ち着いた声が聞こえた。
「おはよー入っていいよー!」
美緒は既に仮面以外のノアの衣装を着込んでおり、気合いが見えた。
ライブ配信画面にはタイトルがつけられており、「今日は犯人と話します」と表示されていた。
美緒が配信を始めたてからサブスク会員は日に日に増え、4000万人にまで倍増した。今日の待機視聴者は2400万人に達していた。
大統領執務室では革張りのソファに座った大神と、法務大臣の佐伯、その他数々の大臣も集まり、設置されたモニター不安そうにを見つめていた。大神は顎の下で手を組み、じっと目の奥を光らせていた。
「森下君、今日はいよいよアイツらと話すから。配信の撮影よろしくね。それからこれ。」
美緒は首をコキコキ鳴らしながら森下に書類を渡した。
「あ、これでいいんですか?か、かしこまりました。そしたら後でお控え渡しますんで……。」
「よっしゃ!いよいよだ!」
美緒はガッチリと不気味な仮面をはめてソファーに座った。
久しぶりにガコンと配給口から音がした。
AとBはギョッとして音の方へ耳を向けた。温かいご飯の匂いが漂ってきた。2人はもつれ合うように配給口へ向かった。そこには温かい大盛りのカツ丼弁当と水が2つ届いていた。
これは夢か?!そうすら思った。
2人は破るように弁当を開けると口中にご飯とカツを頬張って必死に咀嚼した。
Bは食べながら感謝の余り涙がこぼれ、泣きながらカツ丼を喉に流し続けた。
その様子を美緒は静かに見守った。
「食ったー!」
Bは満足そうに叫ぶとベッドの上に大の字になった。
しかしシーツを被されたCの遺体が横目に入り、現実に引き戻された。
Bは遺体を見ないようにそっと壁側に体を向けた。
Aも食べ終わるとあぐらをかいたままじっと動かずにいた。あと一日だけ我慢すれば人間の肉なんて喰わずに済んだのに……。
いや、違う。喰うのを待ってからわざとカツ丼をよこしたんだ。だとしたらこの部屋を支配している奴は相当頭がおかしい奴だ。
あのガキの母親に違いない。
次はどんな地獄が用意されているのか。
Aに絶望感が押し寄せる。
その時キーンという甲高い音が部屋に埋め込まれたスピーカーから聞こえた。
AとBは部屋を見回した。
ガザガサ音がした後ボイスチェンジャーの気味の悪い声が部屋中に響き渡った。
「おい、お前ら。どうだここの生活は。お前らがここに来てからこの部屋の全てを全世界に配信させてもらってる。」
「はぁ?てめぇか俺達を閉じ込めやがって。こんな事して楽しいのかよ。てめぇ誰だよ。」
Aが横柄な歩き方でガラスに近づいてきた。
「誰かも分からないのか?しょーもねーな。お前らが死刑確定した殺人覚えてるか。あの少女の親だ。」
AとBはガラスの方を睨みつけている。
「これから何時間でも何日でも語り合おうじゃないか。まずここでお前らがここまでに犯してきた罪を振り返ろう。」
美緒はスマホにメモしてあった物を読み始めた。
「まず、Aだ。お前は何があったか知ったこっちゃないが13歳の時父親を刺殺、少年院に収監後も反省するどころか、所内での乱闘や暴行、殺人未遂を繰り返し、ようやく出てきたと思ったら暴力団関係者に拾われ、以後女性への拉致監禁、強姦、薬物などで入所を繰り返す。直近では人身売買に関与し、主に若い女性、最終的には小学生の少女にも目をつけ拉致した挙句放置して殺した。」
Aは口をムズムズしながらそれに聞き入っていた。
「おい、A、お前のやってきた人生を改めて振り返ってみてどうだ。すげぇよなぁ、なんの為に生きてんだ?お前が存在する事によって世の中に迷惑がかかってんだよ。分かってるか?いるだけで迷惑なの!!」
「……。」
「何とか言え。みじかーい言葉でお前に名前つけてやるよ。」
「……。」
「クズだ。お前を産んだ親もクズだ。生まれてきた事を心底後悔しろ。」
その言葉にカッとなったAがバーンとマジックミラーの強化ガラスを殴りつけた。
「くそがッ!!お前に何がわかるんだ!!元はと言えばあの親父のせいだ!!てかお前だろクズは!!お前が俺たちにしてる事は何なんだよ!!お前も俺らと同類だろ!!」
くそがっ、くそがっ、を叫びながらAは拳から血が出そうになる程殴り続けた。
美緒はノア側の配信を止めるように森下に手を振って指示した。
「ど、どうしました?」
「今の聞いた?あいつ私の事同類って言いやがったよ!!同類?はぁ?同類な訳ねぇだろ。あームカムカしてきた!はらわた煮えくり返るってこの事だね。あー落ち着こ落ち着こ……。」
美緒は胸に手を当てて深く深呼吸を繰り返した。
Aは手が痛くなったのかガラスを殴るのをやめて眉をしかめてブツブツ言っている。
「おい、A。お前は何も罪のない、ただただ一生懸命生きていた幼い少女をさらって殺したんだぞ 。お前の親父が何なんだか知らねぇけど、とりあえず分かってるのはクズの子はクズって事だろ。
私だって家庭に恵まれなかった。でも、悪事なんかしてない。あの子を産んで、必死に働いて、必死にただ二人で生きていたんだ。私にとってあの子が全てだった。そんな人の命を簡単に身捨てて奪っていい理由なんか無いだろ。頭の悪いお前に言っても分からないか。」
「うるせぇ!クズ!」
Aは駄々をこねた子供の様に息巻いている。
「よし、次はBだ。お前の過去も調べさせてもらった。お前はかなり特殊だな。金に困った親に人身売買で売られそうになった所を組織の幹部に拾われ、それ以来組織の犬として使われていた。」
「……。」
Bはうなだれたまま動かなかった。
「じゃあお前は人身売買のプロなのか。で、どうなんだ?人間の命ってのは商品なのか?そういう事なのか?」
「……。」
「おい、B、何とか言えよ。お前にとって人の命って何なんだよ。」
「……。分からない、深く考えたこともない。」
「あっそっか。そりゃもう完全に生まれながらのクズだな。」
「もう、何とでも言ってくれ。もうここから出たいんだ。」
「あ?何だって?」
「だ、出してくれ!!お願いだ!俺反省してるんだ!これまでの事もう全部後悔しまくってて。だからお願いします、もうこの部屋嫌なんだ!すぐに絞首刑にでも何でもしてくれ!」
Bは顔を真っ赤にして泣き始めた。
「反省すれば許されるのか?お前が考えてるのはそんな単純な世界なんだな。じゃあ娘を返せ。元通りに返してくれたら出してやる。」
「そんな…それは無茶だろ!申し訳ないけどあんたの娘は俺らのせいで死んだんだ。でも俺たちはこの部屋で十分に罰を受けたはずだ。俺たちにもう用は無いはずだ。一思いに殺してくれ!」
「うーん、確かにお前の言う事にも一理あるな……。ここでウダウダやってても死んだ者は生き返らないよなぁ。お前たまにはいいこと言うなぁ。
よし!良く分かったよ。出してやる。この部屋から。」
「え?」
AとBが同時にすっとんきょうな声を上げた。
「ただし、1人だけだ。条件は1つ。お前らが置き去りにした私の娘に心から謝罪しろ。膝をついて、そこに娘がいると思って謝るんだ。誠意のある方の謝罪を受け入れ、ここから出してやる。ただし、ありのままの真実を話すこと。一時間後に始める。準備しておけ。」
ブッと音がして音声が途切れた。
AとBはこの地獄のようなこの部屋から出られるという僅かな希望が見えてきて心が高揚していくのが分かった。
しかし出られるのは1人だけと言っていた。
残ったらどうなるんだ?引き続きこの部屋で餓死させられるのか。
不安と希望が波の様に交互に押し寄せる。
AとBは無言のまま部屋の中で謝罪する内容を必死に考えた。
Bは30分程経つと部屋の中をウロウロし、ブツブツと練習をしているようだった。
コメント欄も荒れていた。
「AもBもクズすぎる。謝って許されるわけないだろ。」
「ノア様よく耐えてるね…。私ならもうその場でボコボコにして殺してるわ。」
「娘さんのために徹底的に追い込んでやれ!」
「A、同類とかよく言えたな。吐き気する。」
「Bはまだ救いようあるんじゃないか?泣いてるし…。」
「Aの怒りは一瞬だけど、もしかしたら心の底では…って思いたい自分もいる。」
「人は変われるって信じたいけど、ここまでやってきたことが重すぎるよな。」
「謝罪対決最高!!」
「ノアの配信クオリティ高すぎて映画みたい。」
「あームカついた!!」
美緒がマスクを取ると顔が真っ赤になっていた。
「美緒さん、大丈夫ですか?一時間後なら食堂でも行きませんか?」
「……そうだね。食べて落ち着くわ。」
2人は並んで廊下を歩き出した。
「あれ?!美緒さん、あれ!」
森下は廊下の小さい窓から何かを見つけて指さした。
「え?!何?え?何?!すごっ!」
微かに見える拘置所の入口にノアと同じマスクと衣装を付けた団体がプラカードをもってワイワイと騒いでいた。
森下は急いでスマホをチェックすると、ニュース欄を美緒に見せた。
"拘置所前にて「ノア様を支持する会」と名乗る団体が大規模な集会を行っている。
参加者らは声を合わせて
「ノアは神の代弁者だ!」
「裁きの儀を世界に広めろ!」
と書かれたプラカードを掲げ、拘置所に向かって「ノーア!ノーア!」とコールを繰り返した。
彼らはSNS上でも活動を拡大しており、配信サイトでは「#ノア様に従え」のハッシュタグがトレンド入りしている"
「すっごーい!配信見てくれる人増えてるけど、こんな事になってたんだ。」
「すごいですね美緒さん、神様だって。」
「……私は神様なんかじゃないよ。ただ怒り狂ってる1人の母親ってだけ…。」
美緒は窓の外をじっと見つめながら切なそうに呟いた。
食堂で二人は無言で昼食を食べた。
珍しく美緒が緊張してる様子だった。
森下も何を話せばいいか分からず、ただただ味のしない昼食を、胃に押し込んだ。
部屋に戻ると美緒は何度も深呼吸をして落ち着こうとしていた。
間もなく1時間が経とうとしていた。
「では配信始めます。」
森下は準備の出来たノアに配信カメラを向けた。
全世界が一斉に画面に釘付けになった。
「二人とも、準備はいいか。」
スピーカーからノアの声が響き渡り、AとBはビクッとなった。
「どっちからでもいい。始めろ。」
AとBはガラスに背を向け小さくジャンケンすると先に謝罪する方を決めた。
まずはBがガラスに近寄れるだけ近づくと膝を折って頭を下げた。
「俺が指示を受けた実行犯でした。車を運転してたのも俺です。ただ、あの子にしようって言ったのは、そこで死んでるCです。でも…」
「でも何だ?だったらCが悪いのか?」
「違います、俺が…俺がやめようって言って車で走り去れば、こんな事にはならなかったんです。俺が悪いんです。」
「……。」
「あなたの娘さんをこんな目に遭わせた事、本当に後悔しています。罪を受け入れます。すぐに死なせて下さい。命で詫びることしか出来ないです。申し訳ありませんでした……。」
震える語尾を残しBは深く土下座し、額を床に押し付けた。Bはまた泣いている様だった。
美緒は微動だにせず、ただその言葉を聞いていた。
「次、Aだ。」
ノアの低い声が響き渡った。
AはBの隣に立つと、不貞腐れた様に膝を付いた。
「す、すいませんでした……。」
Aは形だけは土下座をしていたが誠意が伝わって来ない。
「おい、何が"すいません"なんだ。このままだとお前がこの部屋に残る事になるぞ。しっかりやれ。」
Aはその言葉を聞いてごクリと喉を鳴らした。
「……俺は、一度あの部屋に戻ってカメラを回収しました。
その時、生きてた様な気がする……。」
「!!」
美緒の肩が明らかに跳ね上がった。
「だからあの時、出してやればもしかして……また"ドーナツ"食べれたかもって。だから、すいませんでした……。」
美緒は仮面が細かく震え、肩が大きく上下していたが、しばらくすると落ち着き、ゆっくりと腰縄に付けていた手のひらサイズの大きな鍵を持ち上げ、縄ベルトから金具を外した。
すると腰掛けていたソファの肘置きをパカッと開くと、中にあった金属の蓋を開き、おもむろに鍵を鍵穴に差し込みグイッと右に回した。
どこからかウィーンという機械音がし、AとBは部屋をグルグル見回したが、やがて真上から聞こえているのが分かった。
あの、白いロープが降りて来ている。
救いだ!!ゆっくりとロープが二人の真上に降りてくる。
Aは咄嗟に持っていた果物ナイフをBの胸の前にかざし、近づかせない様に牽制した。
しかしBも必死だ。Aの周りをグルグル周り隙を見つけようとしていた。
手が届く所までロープが来ると一瞬の隙をつき、BがAの足を払い、Aのナイフは手を離れ、遠くに転がって行った。
Aは後頭部を思いっきり打ち、軽い脳震盪になって起き上がれずにいた。
Bはすかさずロープを登ると最後の力を振り絞りロープが出ている根元部分まで必死に登って行った。
「おいっ!開けろ!!開けろ!!」
ロープが出ている天井は硬い鉄板で閉ざされており、叩いても押しても開く気配がない。
「何だよこれ、開けろよ!!おい!!助けてくれよ!!」
無情にも時間だけが過ぎていく。Bは一瞬手がロープから緩み、ドシャーンと床に落ちてしまった。
Aは頭を振りながら意識を取り戻し、床に落ちてきたBを見ると立ち上がった。
「ふざけやがって!助かんのは俺だ!!」
Aは倒れているBの背中を何度も蹴った。
Bがほぼ動かなくなるのを確認してAは満足気にロープを掴んだ。
するとさっきとは違い、ロープが上に向かって動き始めた。
「お!!やったぜ!!やっぱり許されたのは俺だ!!ハハハ!!!出られるぞ!!ハハハ!!」
Bはすくっと立ち上がるとAの足首に飛びついた。
「何すんだよバカ!!離せよ!!」
Aは掴んでくるBの顔面を足の裏で蹴った。
「頼む、俺も助けてくれ!!頼むよ!!」
「ふざけんな、落ちるだろ!!!離せよ!!」
AはBの顔面を蹴り続け、粘っていたBはまた床に叩きつけられた。もうAは飛びつけない高さまで行ってしまった。
Bはチャンスが絶たれた絶望感に襲われぶわっと涙が溢れ、膝を抱えて絞るように泣き始めた。
Aは甲高く笑いながらぽっかりと開いた天井に吸い込まれて行った。
シーンとした部屋に泣きじゃくるBとCの遺体だけが残った。
すると壁だと思っていた真後ろからガラガラと音がして、Bはギョッとして振り返った。
壁は横に開く引き戸になっていた。
Bは頭が追いつかず涙も止まっていた。
そこに居たのは拘置所の職員二人だった。
「B出ろ。遺族執行放棄により、これから司法死刑に移る。執行は今夜19時だ。」
Bはその言葉を何度も頭で繰り返し、状況を理解しようとした。やがて立ち上がり、ヨロヨロと部屋を後にした。
Aは助かった安堵感でいっぱいだった。
日向のいるあの廃ホテルの部屋に戻った事、正直に話して良かった。心からそう思っていた。
足元の扉が閉ざされ真っ暗になった。
ロープの進むまましばらくすると部屋が回転しているような感覚に陥った。
「そう言えばこれ、どこに行くんだ?」
Aはふいに嫌な予感に襲われた。
シーンとした不気味な時間が過ぎていく。
やがて足元の扉がまた開き始めた。どこか別の部屋の真上の様だった。
なぜか聞いた事のない不気味な音がする。
すると鼻をつくアンモニア臭が下から突き上げてきた。
「おぇ、何だよこれ!?」
恐る恐る下を見ると、無数の何かが蠢いている。
「!?!!!」
そこにいたのは無数の蛇だった。
数十匹というレベルではない。
何千、何万もの蛇が蠢く穴だった。
「うおおおおお!!!何だよこれ!!!!ヤバいヤバい助けてくれぇえ!!」
Aは必死にロープにしがみつき目を固く閉じた。
ロープはゆっくり降下を始めた。穴の壁側に人が寝られるくらいの台がせり出しており、ロープはその台に向かって降下している。
Aは台に足が着いてもロープを離せずにいた。
2メートル下にはシャアシャアと不気味な音を立てながら蛇の大群が蠢いている。
Aは握っていたロープをクルッと輪っかにして結ぶの首を通したが、その瞬間垂れていたロープが切断されパサッとAの隣に落ちた。
首を吊る事も出来ない。
Aは絶望して台の上で泣き始めた。
すると不気味な仮面と衣装を纏った者と、スーツを着たスマートな男が穴の上から覗いて来た。
Aはそれに気づき立ち上がって手を振った。
「おーい!!おーい!!ちょっとヤバいんだ!!助けてくれ!!」
二人は黙ったままAを見下ろしている。
じれったくなったAはイライラした様に足を台に踏みつけた。
「おい、聞こえてんだろ!!無視すんなよ!!ぶっ殺すぞ!!」
美緒は覚悟した様にゆっくりと仮面を外した。
「私が用意したスペシャル執行部屋にようこそ!」
「はぁ?!」
「私決めてたの。正直に真実を話してくれた方は殺さないって。命を奪わないって。」
「お前か!散々人をいたぶっておいて、この蛇は何なんだよ!!」
「これね、説明してあげるよ。ここにいるのは2万匹の蛇達。日向があんた達に殺されなければあと生きられたであろう日数と同じ蛇の数なの!」
「はぁ?!」
「だから一日一匹を食べて命をつないで欲しいの。あの子が生きられなかった分だけ、あんたが噛み締めて生きて欲しいの。」
「お前……狂ってるとしか思えない……。」
Aは震える声を必死に絞り出した。
「狂うよ母親なんだから。母親は子供の為ならなんだってするんだから。あんたは全世界の母親を敵に回したんだよ。」
「……。」
「この部屋のシステムを説明してあげるね!今あんたが乗ってる台は一日6時間だけ出てくるから。後は蛇ちゃんの命を頂きながら感謝しながら生きてね!お前は生きる事に取り憑かれてる!
だから人間も簡単に食べたしな!
ちなみにタイ産の食用蛇ちゃんだから安心して食べてね!
お水は壁のあそこのボタン押すと壁からマーライオンみたいに出てくるからそれ飲んでね!それから……。」
「おい、なぁ助けてくれよ、悪かったよ、やだよやだよ!」
「日向が最後に言った言葉、"ドーナツ"。私も、それ聞いたよ。警察の人に頼んで音声解析してもらったから。あの子ドーナツ大好きだったもん。たまにしか買ってあげられなかったけど。」
「俺、本当は助けようとしたんだった、だけど…。」
「往生際悪いなお前!今更取り繕ったって信じるわけねーだろ!」
美緒の怒りが爆発した。
「あんたはこの先暖かい布団で寝る事も、暖かいご飯を食べる事も出来なくなったよ!」
美緒は穴に乗り出して大きく叫んだ。
「暖かい布団で寝る、暖かいご飯を食べる、綺麗な海で遊ぶ、ビールを飲む、好きな人が出来て、結婚して、子供産んで、そんな普通の幸せを手に入れさせてあげたかったのに、お前らが全部日向から奪ったんだからな!!」
「………。」
「さ、説明は以上!台が引っ込むから覚悟決めてね!次にその台が出てくるのは12時間後だから!」
「はぁ?!ちょっと待てよ、無理だよこんなん、頼むから死なせてくれよ!!」
美緒が手を上げるとブーとブザー音がし、Aの乗った台が壁の中に引っ込み始めた。
「ちょっと本当に、やめて、やめてくれーーー!!!やめてーーーーー!!!やだーーーー!!」
「アハハハハ!!」
美緒がお腹を抱えて笑い始めた。それと同時に大粒の涙が頬を伝った。
「やめろーーーーー!!!」
Aの足元の台が10cm程になり、Aは一度美緒を睨みつけた。
その瞬間目の前の景色が変わり、Aはストーンと落ちると一面蛇に飲み込まれた。
「やだ、やだ気持ち悪い蛇やだ蛇やだーーーー!!!」
Aは立ち上がると腰まで蛇に浸かり、必死に蛇の中を行ったり来たりした。噛まれる事は無かったが、蛇の排泄物の悪臭とヌルヌルとした物が絶えず体に絡みついてくる。
Aはその気持ち悪さに壊れた様に叫び続けた。
美緒は森下と無言で目を合わせると深く頷き、その部屋を後にした。
この日からAのいる部屋のリアルタイム配信が始まった。コメント欄は大荒れになり、収拾がつかなくなる勢いだった。
「蛇やばい蛇やばい蛇やばい」
「A完全に精神崩壊してて草」
「これ考えたノア様マジで神」
「蛇風呂とか発想が狂気の極み…でも見ちゃう」
「これ見ながらご飯食べれる?俺食べてるw」
「さすがに人権団体黙ってないだろw」
「人殺しに人権なし!!」
大統領の大神は深く息を吐くと
「これってやり過ぎ?ねえ、佐伯ちゃん、どう?やり過ぎ?」
と不安そうに佐伯に問いかけた。
「い、いえ。自分も家族殺されたらこれします。」
「だよねー、ノア様すげぇなぁ。本当に神の化身て感じだよね。」
大統領執務室内では拍手すら起こり、他の大臣も感心した様に画面に釘付けになっていた。
最終章
手錠をされたBは職員に連れられ小さな部屋で何時間も待たされた。小さなテーブルにはお饅頭やタバコが置いてある。
しばらくすると袈裟の様な物を着た十字架のネックレスをした金髪の若者が乱暴に入ってきた。何なんだこいつは。
「悪ぃおまたせ!ちょっと外でサボりすぎてた。」
若者はBの目の前にドカッと座るとおもむろに袈裟から出したタバコに火をつけた。
「あ、これ吸っていいからね。これも食っていいし。」
「……。」
「あ、俺?俺教誨師(きょうかいし)。
死刑執行の前の話すやつな。お前が死ぬ前に見るのは俺の顔だーってな!ハハハ、違うか。」
Bは呆れた様にふざけた教誨師を睨んだ。
「いーまーはー17時45分、執行まで1時間ちょっとあるじゃん。話そうよ!取っておきのスキャンダル教えてやるよ。俺、あの大神大統領の隠し子!まぁここもコネ入社だな!」
「は?」
「嘘だよ嘘!!てか、お前良かったなぁこっちで!」
「え?!」
「ノア様の配信初日からずっと見てたんだけどよー最高にエキサイティングだったぜ!お前人間喰わなくて偉かったよ。」
「……。」
「そんでよーAどうなってると思う?」
「え?助かったんじゃ……。」
「いやいや、助かってんのはお前だよ。A今これだよ?」
教誨師はスマホでリアルタイムで配信されている蛇穴に落とされ、狂ったように泣き叫ぶAの姿を見せた。
「ううっ……ヤバ……。」
「どうやら許されたのはお前だったみたいだな。良かったじゃん、こっちで。それともAと変わるか?」
Bは青ざめながらブンブンと首を振った。
「さて、何話す?俺執行の後はキャバクラ行くって決めてんだよね。なんかさーああいう所行くとさー生きてるーって感じするよなぁ。」
「……。」
「何だよ、無口だね。てかさーなぁんで人間てこんなんなっちゃうんだろうな。悪い奴といい奴って何が違うんだろうな。」
Bは俯いたまま拳を握った。
「お前さ、今まで生きてて楽しかった事あるか?楽しかったとか幸せとか感じた日、一日くらいあるか?もうすぐ死ぬんだから思い出せよ。」
Bは天井を見つめ走馬灯を頭の中に走らせた。
「あ、人生変えられるかもって思った日が一日だけありました……。」
「おーマジか!教えてよ。」
「組織の幹部の娘でした。俺と同い年で。」
「うん、そんで?」
「なるほどねぇ、じゃあ思い出して見ようぜその日を。ほら目つぶってみろ。」
Bは言われるがまま軽く目を閉じた。
「付き合ってた組織の娘の美月ちゃんと海に行ったわけだ。その日は夕暮れ時のキラキラした光が反射してそれはもう美しかったと。あ、ちなみに俺は小説家になろうとしてたから妄想激しいよ!」
「……。」
「じゃあ続きな。」
教誨師は腕を組みながら目を閉じて続けた。
「八重歯のかわいい美月ちゃんが振り返って言ったんだろ?足洗って二人で知らない土地でやり直そうって。」
「もしあの時、すぐに決断してたら、もしかしたら幸せになれたかもって……。でも美月はその後すぐ行方が分からなくなって……。」
Bは美月の最後の笑顔を思い出し、また泣き始めた。
「そっか。じゃ決断してたとしよう。お前は美月ちゃんを連れてヤバい組織をこっそり抜け出し、遠く離れた土地で偽名を使って働き始めるんだ。漁港の手伝いとかお約束だな。大した金は稼げないけど、美月ちゃんと二人で慎ましい穏やかな生活が始まるんだ。」
「……。」
「そこでだ、お前はある日美月ちゃんから子供が出来たと言われる。」
「!!」
「そしたらよー10ヶ月後にかわいい男の子が産まれるんだよ。美月ちゃんにそっくりの男の子だ。可愛いぞ〜。何年か経つとその子がパパとかママとか言うわけだ。可愛いだろ?とてつもなく愛おしいだろ?」
Bはそんな掴めたかもしれない夢の様な幸せを想像して泣きながら穏やかに笑った。
「ところがだ!!!」
教誨師はバチンと両手を叩き、Bはビクッとして目を開けた。
「ある日悪夢が訪れる。その子は連れ去られバラバラにされ森に捨てられた。犯人は誰でも良かったと言ってる近所に住むただの変態だった。」
Bは心臓がドキドキと波打って目を見開いた。
「おい、どうだ?許せるか?犯人が目の前にいたらどうするよ?これが遺族の感情だ。少し理解できたか?」
「俺、死ぬ目の前で、やっとあの子の母親の気待ちが分かった気がします。本当に取り返しのつかない事をしてしまった。そして本当に無駄な時間を過ごしてまった…。」
「人間なんてのはさぁいつか死んじまうんだ。だったら、死ぬ時にああ、やらかしたなぁって思って後悔しながら死ぬの嫌じゃん。楽しかったなぁ、幸せだったなぁって死ぬ方が良くないか?」
「……本当にその通りです。」
「あのAが掴んだ白いロープ、あれは芥川の蜘蛛の糸だったのかな。」
「蜘蛛の糸?」
「有名な小説だよ。お釈迦様が地獄から救おうと蜘蛛の糸垂らしてチャンスくれたのに、クズ行動起こして見放されるってやつ。
Aは命救われたって言ったってありゃないよなぁ。
いっそ殺してくれーって感じだよな。ありゃ本当の地獄だわ。
ノア様はお釈迦様じゃねぇな。
ありゃ怒りの化身ネメシスって感じだな。
とにかくお前らは取り返しのつかない事をしたんだよ。地獄の業火で焼かれる事を願ってるよ。じゃあな、もう会うこともないけどな。」
「え、あ、あの……。」
「おーい、時間時間!」
教誨師はドアの方に向かって叫ぶと職員が三人ぞろぞろと入って来た。
職員はBを立たせると部屋を出ていった。
「おーい、お前くれぐれもノア様に感謝しろよー!」
捨て台詞の様に教誨師はBに浴びせるともう1本タバコに火をつけ、深く煙を吐いた。
時間は18時50分だった。
美緒は1ヶ月の疲れを洗い流すように遺族用のシャワールームで、お湯を浴び続けた。あまりにシャワーが長いので森下はソワソワ落ち着かなかった。
美緒はクロージングと呼ばれる最後の手続きを行う為、初日にここに訪れた“7”のルームに荷物をまとめて入室した。
「あっ、お疲れ様です。気分はどうですか?」
「うん、シャワー浴びたらサッパリした。」
「ちょっと長かったんで心配しました。」
「ごめんごめん。さ、さっさとやっちゃお!」
「は、はい。」
森下は書類をいくつか机に並べた。
「ではまずは、お疲れ様でした。
まずBですが、先程司法死刑が執行されました。これが証明書と、司法死刑同意書の控えです。」
「うん。良かった。」
「それから請求書関係に移りますが、今回特別執行プランにかかった費用が7800万円になります。で、投げ銭の方が…今現在Aのリアルタイム配信の方にも次々投げ銭されてますが……。富裕層からの高額な投げ銭も確認されてます。」
「合計は?」
「2億3500万円突破してますね。」
「おー!すごい!」
建築費の差し引き額を美緒さんの口座に振り込ませて頂きます。多分2、3日以内には。」
「うん分かった。」
「それからAですが……。どうされますか?このままにされますか?」
「追加費用払えば続けていいんでしょ?」
「は、はい。」
「じゃあ、続ける。追加費用も投げ銭でお願い。」
「その……Aはいつか解放してあげるんですか?」
「そうだなぁ、蛇ちゃん全部食ったらかな。まぁ繁殖して増えちゃうだろうけど。とにかく生きてるうちは生かしてあげて!」
「……は、はい。では、これでこの連絡アプリからも退会して頂きます。」
「そっかー、これで森下君に会う事もないんだね。何か寂しいけど。じゃあそろそろいいかな。めっちゃ疲れた。帰って寝るわ。」
「わ、分かりました。表は騒ぎになってるんで裏口から出ましょう。」
森下は美緒の荷物を持つと暗い廊下を無言のまま歩き続けた。
裏口は驚く程狭く、詰所に守衛が一人いるだけだった。
森下はそっと荷物を美緒に渡した。
「ちょっと公園歩かない?」
美緒は目の前の公園を指さした。
「え?あ、はぁ……。」
美緒と森下は無言で公園を1周すると、公園の中のベンチに並んで座った。
「とりあえず改めて!」
美緒は森下に手を差し出した。
互いに握手を交わし上下に何度も手を振った。
「森下君、ずっと付き合ってくれてありがとうね。森下君たまに抜けてたけど、必死に私に寄り添ってくれて嬉しかったよ。」
「いや、何か迷惑かけてばっかで本当に何か役に立てたかなって。すいませんでした。」
「謝んないでよ。これでようやく仇取れたんだし!」
美緒は満足そうにAのリアルタイム配信の映像を開いて森下に見せた。
「森下君、私の事なんか忘れてこれから立派なお医者さんになって、たくさんの命救うんだよー!」
「は、はい。日向ちゃん、これで浮かばれましたかね……。」
「そんなの分かんないよ。だって死んじゃったら何も言えないし、何も思えないんだよ。」
森下は何も言えずに黙り込んだ
「日向……日向……会いたい……。」
溜まっていた物が溢れ出し、美緒は初めてワンワンと泣き出した。森下は何時間も何時間も美緒の背中をさすり続けた。
「森下君てノア様の執行コンシェルジュ担当してたって本当?」
2ヶ月後大学病院での研修が再開した森下に同期の山野が目をキラキラさせて問い詰めた。
「いや、それは守秘義務で……。」
「どんなだった?ねぇ、やっぱり美人?カリスマオーラとかすごいの?」
「……うん、確かに綺麗な人だったよ。
でも、その辺にいる普通のお母さんだよ。」
「えーそうなの?何かあれからノア様の顔待ち受けにするの流行ってるんだよ!このノア様キーホルダーもめっちゃバズってて、ネットでもう買えないんだよ!これ身につけてると神の力が手に入っるって!」
「……え?ははは……。」
「森下君に手紙だって。拘置所に届いてたから、担当してた遺族の人じゃない?」
休憩中、看護師が森下に手渡したのは差出人もないシンプルな薄いブルーの封筒だった。
表には綺麗な文字で「森下直輝様」とだけ書かれていた。直感で誰からかすぐに分かった。
美緒とはもちろんあれ以来連絡を取っていない。
世間ではノアの一件以来、遺族執行制度も益々加熱し、更に大統領の支持率も上がっていた。
森下は家に帰るとそっと封筒を開けた。
中には1枚の絵葉書が入っていた。
そこに映っている写真には、海の見える小高い丘に小さな一軒家が立っていた。
そこの庭らしき所に薄いピンクの十字架が立てられており、筆記体で𝓗𝓲𝓷𝓪𝓽𝓪と書かれていた。お墓の周りは沢山の花で囲まれており、
十字架には小さなピンクのリボンがつけられていた。
場所はどこか分からないが、その写真に映る海は息を飲むほど美しく輝き、全てを飲み込んでくれるようだった。
ハガキの下の方には手書きで一言添えられていた。
「森下くんの幸せを願っています」
―――END―――
蜘蛛の意図 亞里亞 @kayochu
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