第6話 試練の不達成
1秒。
状況を確認する。
目の前には苦痛を堪える勇者。
滅多に見たことがないほど顔を歪ませている。
通常であれば抗うことなど不可能なクエストの強制力にレジストを続ける。
その全身から溢れた力が、ぎちり、と空間すら軋ませる。
背後には子供。
その体の大半は裂け、鋭利に尖り、暴れる。
人が昆虫化したかのようだが、よくよく見れば性質が異なる。
体の硬質化に耐えきれず、暴れるうちに破損した。
周囲には陶器のような破片が散らばる。
「逃げるぞ!」
鋭利さに触れぬようにしながら、その子供を抱え上げた。
「ひへ?」
「目を閉じろ!」
球状防御陣を展開しながら窓ガラスを突き破り外へ出た。
背後で勇者が、ようやくというように「力を緩めた」のが見えた。
瞬間、一万枚の紙を一斉に握りつぶしたような音が鳴った。
サビーナ家が潰れた音だった。
「え」
「相変わらず、むちゃくちゃですね……」
力を抑えるのを止めた。
ただそれだけで、周囲の物体が消し飛んだ。
二階部分が真上へと吹き飛び、一階部分は巨大な獣に食われたかのように消失した。
その中心には、勇者がいる。
軋む力の力場が落下する先から粉微塵に粉砕した。
「戦うどころか接近すらできないって、どういう状況ですか!」
あちらの方が魔王なのではと疑いたくなる。
あまりにも絶望的な力の差だ。
これに真正面から立ち向かう奴がいたら勇者だ、他ならぬ魔王である私がそう保証してやる。
「え、あの、どして……?」
「くそったれなクエストですよ!」
一言だけで状況を理解してくれた。
理解したからこそ、絶望的な顔になった。
「あ、もう、戻れないんだ……」
その理解に行き着いた
神とやらが提示するクエストは、解決までその発生原因を変えられない。
モンスター化した子供は、勇者に倒されるまで元に戻ることはできない。
そして倒すとは、大抵は殺傷の婉曲表現にすぎない。
「絶望するよりも前に考えろ! 私にばかり考えさせるな!」
「でも――」
「クエスト条件は、「ロギウム村に紛れ込んだモンスターを倒せ」です!」
「え」
「この村に紛れ込まなければ、条件から外れる! あなただって殺されずに済む!」
クエストから外れるには、単純に村の外にまで出ればいい。
近くにあった魔王城こと自宅が無傷であることを確かめ、魔術的な指令を飛ばしながら駆け続ける。
「じゃあ――」
「けれど、それが何よりも難しい」
つい先程、後ろで堪えている勇者の様子を確かに視認した。
だが、いつの間にか目の前の道に、勇者がいた。
杖二本分ほどの先で、顔を下げ、剣と日傘の二刀流で立っている。
移動痕跡の土煙がわずかに舞っていた。
「……通してもらうわけにはいきませんか?」
「通行料」
私が抱えている子供を傘で指さした。
「人命を捧げる代わりに望みを聞く、まるで邪教の行いですね?」
「それは、もう、違う」
目が虚ろだった。
その言葉が本心かどうかもわからない。
「もう、モンスターだ。村を守るには、モンスターを殺さなきゃ、いけない……」
抱えた子供が、震える指でつかんできた。
「神とやらのケツの穴は小さいですね。もう少しくらい寛容になれませんか?」
その子供を安心させるように抱え直しながら言った。
「殺す」
「そんなことだから勇者って今ひとつ信頼されないんですよ!」
勇者という役割は、時に神の木偶となる。
「く――」
だが、理不尽極まりないほど強い。
抵抗することすら難しい。
ギリギリでその攻撃を躱すだけで精一杯だった。
ゾッとするような音を立てて剣が通り過ぎる。
いや、それでも、この勇者は味方だ。
この子供を殺したがってはいない。クエストが強制しているに過ぎない。勝機があるとすれば、そこしかない。
転げるように位置を入れ替え、ふたたび勇者と対峙した。
どこか微笑ましい痴話喧嘩を見るかのような村人はまるで頼りにならない。
私はひたすらに魔術を凝らす。
「積層型魔力陣防御二層、三層――」
平面的な魔法陣を立体的に組み合わせることで結晶構造として構築する。
私の得意とすることだ。
そう、魔王と呼ばれるタイプは、大別すれば二種類いる。
最強戦力として自らが戦い勝利するか、最高のダンジョンを作り出すことで勝つかだ。
私は後者に属した。
大規模かつ精緻な作成こそが私の本領だ。
幾層にも重ねた魔術陣が絡み合い、結晶構造を形作る。
ダンジョン数個分の魔素を使用し、現出させる。
「
クリスタル状の塊が目の前の空間を遮断した。
魔竜王の炎ですら防ぎ切ると断言できる最硬の盾だ、作成に時間がかかるため実戦的ではまったくない、勇者の協力があればこそ出来た。
「……よいしょ」
向こうから、気の抜けた掛け声が聞こえた。
わずかとは言え、気合の乗った勇者の一撃は――
「ぐ……!」
当然というように盾を砕いた。
構築した結晶構造をばら撒き、子供を抱えた私を大きく吹き飛ばす。
その衝撃と飛行速度に、子供はその硬質化させた部分をハリネズミのように広げた。
どこか毛を膨らませた子猫を思わせるが、刺さる針は普通に痛い。
だが、それ以外に問題はない。
これは望み通りの展開だ。このまま村外まで弾き飛ばされたら、安全確保ができる。
「――っ!」
遠く離れて行く勇者、その目から意思が消えた。
剣を振り切った体勢が、その場から失せた。
背を走る凄まじい怖気は、魔王としてのものだった。
弾き飛ばされながらも手にしていた結晶構造を、後ろに掲げた。
腕を砕かれた。
移動し回り込んだ勇者が振った、日傘のためだった。
盾ごと破壊され、骨を粉砕され、その威力を体で受ける。
倍加する速度で元の方向へと戻る。発射炎のように血しぶきが舞うのを見た。
私は二度三度と地面を転がり、どうにか体勢を立て直した。
見ればほとんど同じ場所にまで戻されていた。
土まみれの血まみれ、苦痛はどれほど歯を食いしばろうとも堪えきれずに漏れる。
ハリネズミ状に刺さったことで、子供は落とさずに済んだことは幸いだ。
「あの、え……?」
「黙っていろ」
立ち上がる。
事態について行けない子供に構っている暇はない。
片手で強くただ抱える。
遠く村の境となる結界付近に、勇者がいた。
ただ、そこにいた。
閉じた日傘を振り切ったその姿は、どんな魔王より、どんな死神よりも恐ろしい。
「モンスターが逃げ出す状況に近づけば近づくほど、クエストの強制力も大きくなる、そういうことですか?」
ご都合主義とも言われる力のバフだ。
望む通りの方向性へと行かせるため、神とやらが力の底上げをする。
もっとも、この場合で言えば――
「勇者の手加減が、効かなくなる」
全力の弱体化と手加減を、クエストの強制力が上回った。
勇者の素の力が発揮され、村外への移動を阻んだ。
本当に、笑い話にもならない。
速度も力も防御力も魔法抵抗力も、あまりに隔絶している。
万の大軍が味方いても安心できない相手に、無手同然で立ち向かわなきゃいけない。
「渡して」
いつの間にか目の前に接近されたことすら、もはや驚けない。
「お断りです」
ピクリとも動かなくなった片腕から血を流出しながら言う。
笑うというよりも、片頬の痙攣だ。
傍には机があった。
あそこで勇者と子供がジュースを飲んでいたのが前世のことのように遠い。
「平和的な解決は望めませんか?」
「クエスト、だから、仕方ない……」
村の境から離れたためか、強制力が弱まっているようだ。
意思がわずかに垣間見える。
「勇者」
「なに」
「目を閉じて」
垂れて撒かれた血、それは村境からここまで長く広く垂れて落ちた。
そのすべてを煙状に変え、吹き上がらせた。
血による煙幕が村の目抜き通りを覆い、視界の一切を効かなくさせる。
「――」
生命力と魔力をごっそりと消費した目眩ましは、もちろん通用することはない。
戦闘としても逃避としても不意をつけない。
勇者にとって不利な状況を作り出したことで強制力は高まる、逃げ出せば簡単に斬り捨てられる。
「ハハ――ッ!」
「え」
だから私は、どちらも選ばなかった。
わずかに晴れた血煙の合間に勇者は見たはずだ。
彼女が持つ剣の切っ先に、私の姿が突き刺さる様子を。
心臓をえぐる位置であり致命傷だ。
ごぶりと口から黒い液体が吐き出される。
「村の中に潜むモンスターを倒せばいい、たしか、そのようなクエストでしたね!」
呆然とする勇者を見ながら発した魔術。
その沸き立つ炎が、すべてを燃焼させた。
+ + +
夢を見る。
はじめて勇者と会ったときのことだ。
「なんだこれは」
「見ての通りです」
そのとき私は、村中央の教会へと赴いていた。
無駄に戦うことを止め、私の支配下へと入るよう促すためだった。
神父は疲れた様子で、私を教会地下へと案内し、それを見せた。
「この者は、罪を犯したのか」
「いいえ、何も」
「ならば何故?」
「望まれたからです」
「誰に」
「本人に」
片田舎の村にあってはならないほどの結界だった。
凶悪なドラゴンか、世を滅ぼす神器か、あるいは零落した神でも封じる規模だった。
空間そのものを黒く染め上げ、絶え間なく更新を続ける中央に、それがいた。
少女だった。
「――」
「ふむ」
神父はいつの間にか後ろに下がり、頭を下げた。
それと視線を合わさぬようにしていた。
「はじめまして」
だが、それが何であれ、まずは挨拶からだ。
人の姿をしたそれは、結界など無いかのように歩き来た。
小さな子どものような姿だ。
見上げる格好なのは身長差があるからこそだが、力量差はそれとは比較にならないほど大きい。
「誰?」
一声だけで、空間が揺れた。
声を出す代わりと言うように空間を振動させていた。
「おい、せめて挨拶を返せ」
だが、私はそう指摘した。
きょとんとした様子は、きっと今までそのような指摘をされなかったためだ。
「む……」
「起きましたか」
「ああ」
私は頭を振り、夢の残滓を振り払った。
「腕の回復は無事に成功しました、感謝してくださいね」
「ありがとう、傷跡すら無いのはさすがだな」
教会へ行けばいいのだろうが、できれば借りは作りたくはない。
解呪などであれば致し方ないが、回復は代替が効く。
「状況は?」
「……言う必要があるでしょうか?」
「何をむくれている」
執事姿から球体へと戻っていた。
先程まで稼働させていたマニュピレーターを戻しながらも、どこか不機嫌そうな様子が伺えた。
「当然でしょう」
「何がだ」
「あの執事姿にようやく慣れたというのに、取り上げられて変形されて叩き壊されて跡形も残らないよう燃やされたのですから」
球体はぷりぷりと怒っていた。
「なんだ、その程度のことか」
「この魔王様、部下の心を理解しない……」
「その魔王の危機だった、身代わりになれたことを喜べ」
今回、私が行ったことは単純だ。
「私の姿をした人形」を勇者に刺殺させただけだ。
緊急クエストは「ロギウム村に紛れ込んだモンスターを倒せ」だった。
この場合の「モンスター」は、モンスター化した子供を指名してはいない。
魔王である私はさすがに種類が異なるが、倒すべき「モンスター」は魔王城にこっそりと大量に潜んでいる。
「オマエから姿を取り上げ変形させ、私の姿としたのは、もともとは安全のためだった」
執事姿の中に、あの人形が残した呪詛の残滓を入れ、フラスコやビーカーの代わりとした。
万が一、攻撃されたら問題だったからだ。
私の姿を取らせることで、誤破壊の防止とした。
「それを血煙に紛れて接近させ、勇者に倒させた」
ゴーレムはともかく、中に保管していた呪詛はモンスターとして扱われる。
あれは、村を滅ぼそうと来た敵だ。
「容赦なく燃やしてましたね、魔王様」
「当然だろう、もともとあれは焼却処分する必要があった」
勇者を、私の姿を取るゴーレムごと火炎魔術で燃やした。
後悔するかのように震える勇者は、天高く伸びる炎に巻かれた。
瞬間的に発動できる火力として、私の最上位に属するものではあったが、当たり前のように勇者には通用しなかった。
呪詛だけはキチンと焼けたのが救いだ。
どちらにせよ、「村に潜んでいたモンスター」を倒した、ということに変わりない。
クエストは達成された。
この辺りで、私の意識は途切れた。
片腕粉砕の上、魔力を盛大に消費したためだった。
「最後の方で、普通に無傷だった勇者から物言いたげなジト目で見られたんだが、何か心当たりはないか?」
「魔王様が気付かないことを、部下が気づくはずがないでしょう」
その言葉は「そんなこともわからないのかこのタワケ」と言っているかのようになぜか聞こえた。
「やはり、全力魔法攻撃はまずかったか」
「違うでしょうね」
「ならば、些事だな。気にするべきではないか」
「一応、勇者の機嫌を取っておいた方がいいですよ?」
「なぜだ?」
「全生命体の平和のためにです」
不思議なことを言う。
たかが私の姿を勇者が刺し殺して、その隙に全力の火炎呪をぶつけただけだ。
「それより、どうするつもりなんでしょうか?」
「何がだ」
「それです」
「……それとか言うな」
「どう扱えばいいのかわからないんですよ」
緊急クエストは終わった。
だがそれは、すべてが解決したことを意味しない。
今回のクエストは、解呪されることを端から想定されていない。
「……えっと、どういうことっす……?」
ひどく狭い魔王城。
簡易的な椅子の上に子供が座っていた。
その体は硬質化し、モンスター姿のままだ。
「ようこそ、我が魔王城へ」
とりあえず私は、新たに誕生したそのモンスターを歓迎した。
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