二刀流の行きつく先

森本 晃次

第1話 プロローグ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年6月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。今回は、プロ野球などで、酷似した選手もいたりしますが、その人とこのお話はまったく関係がありません。たただの架空のプロ野球チームや選手ということで、これも、まるで、パラレルワールドのようなものだとお考え下さい。


「K出版ミステリー大賞」

 と呼ばれる賞があるが、ここ数年脚光を浴び、他の大賞に比べて、応募数も多いことから、大賞になると、ユーチューブなどで、映像化され、有料配信されることになっている。

 昨年は、かなりの再生回数を誇ったようで、そのおかげか、他の文学賞や、文学新人賞も見直されてきた。

 最近では、出版業界も、かつての出版不況と呼ばれてからは、ずっと立ち直ることができず、その形を、

「映像配信」

 という形でしか、残らなくなってきた。

 だから、しかも、小説を原作とするものは、なかなか映像になりにくく、かといって、紙媒体の印刷物は、売れないのが分かっているので、そちらに移行することはない。

 実際に都心部など、かつては、

「本屋戦争」

 と言われたくらいに、

「百貨店や商業ビルの一つには、大型書店があったものだが。今では、都心部であっても、3店舗もあれば、ありすぎと言われるくらいになっていた」

 だから、余計に、本を作っても売れない。これが、漫画であれば、また違ってくるのだろうが、どんどん活字離れが進行していた時代から、すでに、その底辺に来てしまったことで、

「立ち直れないところまできてしまった」

 といってもいいだろう。

 さらに追い打ちをかけるのが、

「テレビ離れ」

 という傾向である。

 以前であれば、人気のなる小説であれば、テレビ局が、連載ものとしてドラマ化したりしたが、今では、その地位を、ほとんど漫画に奪われている。

「ベストセラー漫画のドラマ化」

 というものである。

 どこか、

「時代の逆行」

 というものを思わせるのだが、そういえば、テレビ創成期と呼ばれた時代。

 つまりは、まだカラーテレビすらなかった時代に、漫画が流行った時代があった。

 それは、

「若手漫画家」

 というものが台頭し、若手のエネルギーがあふれかえっていた時期であり、その頃の漫画を映像化した時代があったが、そのほとんどは、

「アニメ化」

 ではなく。

「実写版」

 ということで放送されたものだ。

 ロボットものなどが、実写化することで、いわゆる、

「特撮」

 と呼ばれるものの走りだったといってもいい。

 実際に、

「最初は実写化から始まって、そのあと、アニメ化される」

 というものもあれば、

「実写化が人気が出すぎたために、アニメ化ではなく、特撮番組としての知名度を深めた」

 ということである。

 とにかく時代は、半世紀前という時代で。その時代においては、特撮も陳腐なもので、ピアノ線が見えていたり、大きさの比率と、遠近法が合っていなかったりと、今から見ればかなりお粗末なのだろうが、それが当時の子供にとって、却ってリアリティというものだったようで、当時の特撮を知っている人からすれば、

「今のはリアリティがないような気がするな」

 というのだが、今の子供には、そんなことを言われても分からないといってもいいだろう。

 そんな時代と違う情勢であるのに、今もまた、

「漫画の実写化」

 というものがある。

 それは、

「SFであったり、ロボットもの」

 というものではない。

 そもそも、特撮というと、

「戦隊ヒーローもの」

 というものがそのほとんどで、その中に、最後の方で、

「巨大ロボット」

 まで登場させてしまったのだから、今さら、

「特撮を駆使したロボットの実写版」

 というものはなくなっているといってもいいだろう。

 特に特撮というと、

「アイドルの登竜門」

 という印象が深い。

 ということは、

「各プロダクション」

 における、

「所属タレントのしのぎあい」

 という側面が大きい。

 要するに、

「タレントの登竜門」

 ということであり、

「テレビ界」

 とのつなぎの一つということでもあるだろう。

 だいぶ以前と比べて、テレビ界というのは、その地位をネットに譲ってしまっているが、それでも、深夜帯ではあるが、

「アニメの映像化」

 というものが多かったりする。

 それも、最近の傾向では、

「青春、学園ドラマ」

 なども多く、そこも、一種のタレントの登竜門と言ってもいい。

 何とか露出がほしいプロダクションとすれば、テレビ界というのは、まだまだ需要があると思っているのかも知れない。

 そんなテレビ界であるが、本当に昔とは、まったく違っている。

 それは、昔の新聞のテレビ欄と見比べてみれば一目瞭然かも知れない。

 特に、

「特撮」

 であったり、

「アニメ」

 などが全盛期だった頃というと、朝の情報番組は今とあまり変わり兄だろうが、昼ともなると、ワイドショーがあり、そのあとは、

「奥様劇場」

 なるものがあり、ここでは、完全に奥さんをターゲットにしたもので、その内容は、明らかに、

「ドロドロした愛欲」

 というものであった。

 つまりは、

「不倫」

 であったり、

「浮気」

 などが主流で、他には、

「一人の男をめぐって、実の姉妹がドロドロの愛想絵図を描く」

 というものであり、

「どこかで聞いたような話」

 ということで、他人事のように思えない人も多いかも知れない。

 なぜなら、その頃も実際にはあっただろうが、基本的にはあまり表に出たり、それ自体が社会問題になったりということはなかった。

 しかし、それらの問題が社会問題として出てきたのが、世紀末くらいから言われ始めた、

「ストーカー問題」

 というものであった。

 昔の愛憎絵図も確かにドラマの中に描かれていたりした。

「無言電話」

 を掛けてきたり、

「奥さんが、不倫相手に嫌がらせをする」

 というものはあった。

 ただ、ストーカーとなると、そういう

「自分がされたことに対しての復讐」

 ということではなく、あくまでも、

「自分の欲望に任せた」

 というものであり、

「ストーカー心理と何が違うのか?」

 というと、

「ストーカーには、罪の意識がない」

 ということだ。

 つまり、

「相手が苦しんでいる」

 という意識がなく、

「相手も自分と同じ気持ちなんだ」

 という、完全な勘違いというものが根底にあるので、却って厄介なのだ。

 動機があって、行う犯罪であれば、警察は動けるが、本人に悪気がなく、復讐のような医師がないのであれば、当初は、それまでの現行法ではどうすることもできなかったというわけである。

 しかし、そんなストーカー犯罪が増えてくると、完全に社会問題になってきた。

 犯人の考えは、

「相手を思いやる」

 という発想がまったくなく、自分本位な発想で、しかも、

「相手は嫌がっていない」

 と思っているのだから質が悪いのだ。

 しかも、中には、

「異常性癖」

 というやつもいて、

「困っているのを見ているのが快感だ」

 と思っているのだ。

「俺の中では。それも愛情表現なんだ」

 ということで、

「自分の行動をすべて、愛情表現」

 という言葉で表しているのだから、始末が悪い。

 いわゆる、

「精神病」

 の範疇となり、

「警察ではなく、医者の世話にならないといけない」

 ということになるだろう。

 今では、

「ストーカー規制法」

 というものができ、警察でも、

「生活安全課」

 というところが、専門で対応に当たることになっているので、それこそ、

「時代の流れ」

 ということになるのだろうが、それが、

「一時の流行」

 というわけではなく、

「その時に発生した、現代の社会現象」

 として定着したというわけだ。

 今でも、

「ストーカー殺人」

 というのは、全国で頻発していて、なくなる気配はない。

 しかもその犯人というのは、裁判所から、

「接近禁止命令」

 というものを受けてのことなのだ。

 つまりは、

「力のある者が、押さえつけなければ、エスカレートしてしまう」

 ということからの、

「殺人事件」

 なのである。

「力のある者」

 というと、それは、警察でしかないわけで、生活安全課としては、確かに、

「110番があれば、優先的に、たくさんの刑事を派遣する」

 という体制を取ったりはしている。

 パトロールというものも、強化してもらい。それが、確かに、

「犯罪の抑制」

 というものに役立っているといえるかも知れない。

 しかし、実際に、

「ストーカー殺人」

 という卑劣な犯罪がなくなるわけではない。

 むしろ、警察の、

「そこまでの対応」

 というのが、まったく役になっていないということだ。

 警察とすれば、

「できるだけのことはしている」

 ということであろうが、実際には、市民を第一線で守るはずの警官が少なくなり、さらには、交番の数が激減しているということを考えると、

「今の警察の体制と犯罪が減らない」

 ということは、実際の数字に表れないものがあるといってもいいだろう。

 確かに、犯罪というのは、数の上では減少傾向にあるということであるが、実際にニュースで報じられる事件というのは、

「重大事件だけが報道される」

 ということであっても、まったく減っているわけではない。

 むしろ、

「全体の数が減っているのに、ニュースが減らない」

 ということは、

「重大事件の比率が上がっている」

 ということではないだろうか。

 今の時代、

「罰則というのは、どんどん厳しくなっている」

 ということで、全体的に犯罪は減っているのだろうが、

「罰則に関係ないところで犯す犯罪」

 ということでは減っているわけではない。

 つまりは、

「物理的に、人海戦術を使ったりしないと防げない犯罪は、今も昔も変わりない」

 ということになる。

 それは、どんなに科学捜査のようなものが進んだとしても、犯罪発生に関しては変わらない。

 警察でよく言われることとして、

「検挙率を上げる」

 ということを必死にやっているようだが、本来であれば、

「発生数」

 を、もっと下げなければいけないのではないだろうか?

 完全に、

「数字に惑わされている」

 ということになるのかも知れないが、なんといっても、警察というところは、

「事件などの何かが起こらないと、行動しない」

 と言われていて、それでは、事件を未然に防ぐことなど、できるはずがない。

 それこそ、憲法第9条のように、

「専守防衛」

 というのと同じで、

「守るためにしなければいけないはずのことを、積極的にしないのであれば、事件を未然に防ぐなどということはありえない」

 ということが分かっていないのだ。

 要するに、

「事件が起こるかも知れない」

 という予知はできても、

「手が出せない」

 ということで、

「警察は、ただ見ているだけで、事件が起こってから行動する」

 ということしかできないわけだ。

 日本という国は、結局そういう国で、

「冤罪を生む」

 ということも、まわりまわって、

「事件が起こるまで何もできない」

 という体制が、すべてを悪い方に導いているのかも知れない。

「犯罪の凶悪化」

 と言われ始めて久しいわけだが、今では、慢性化してしまったその言葉、その間に、いろいろな議論を重ね、対策だって取ることができただろう。

 それができないということで、犯罪者には舐められ、国民からも、あてにされることもなく、

「国民との温度差が、どんどん広がっていく」

 という警察を、誰が相手にするということになるのだろうか?

 そんなことを考えると、

「奥様劇場の時代」

 というのは、ある意味、

「昭和という時代を象徴していた」

 といってもいいかも知れない。

 さらに、夕方あたりになると、今度は、アニメや特撮の再放送があっていた。

 その時間は、

「子供が学校から帰ってきて、宿題を終えてからの時間となるだろう」

 まだまだ学校で遊んでくる子供もいるだろうが、帰ってきてから、テレビに向かう時間が、ちょうど、

「再放送の時間」

 となるわけだ。

 しかし、今の時代はどうなのか?

 午後の、

「奥様劇場」

 というものがなくなり、へたをすれば、今の時代は、朝から夕方くらいまで、ほとんどが、ワイドショーであったり、情報番組というものではないだろうか?

 これには、一つの大きな時代の変革があったといってもいいだろう。

 それが、昭和末期から平成初期にかけての、

「バブル経済から続く、バブル崩壊」

 というものによるものなのだ。

 特にバブル崩壊で何が起こったのかというと、

「企業が破綻を免れるために行う方法」

 としての、

「支出を減らす方法の最善策」

 いや、

「手っ取り早い安易な方法」

 ということで、

「リストラ政策」

 というものがある。

 これは、簡単にいうと、

「首切り」

 というものである。

 それによって、

「収入が断たれる」

 という家族が増えてくるわけで、そうなると、今度は、

「奥さんが働かなければいけない」

 ということになる。

 さらに、企業側は、

「今度は人手不足」

 ということになるので、それを防ぐために、

「非正規雇用」

 という考え方が出てくるのだ。

 非正規雇用というと、当然、正社員よりも給料は安いが、責任と拘束はないといってもいいだろう、

 だから、

「夫婦共稼ぎ」

 という家庭が多くなるわけだ。

 そうなると、そもそも、昼の

「奥様劇場」

 というのは

「専業主婦をターゲットにして作られた番組」

 ということで、

「朝から、家事や買い物が終わってからの、午後のひと時が奥さんにとっての、昼休みというもので。昼寝をする人もいれば、テレビを見るということで、奥さんの休息という意味で、この時間にドラマがあると、毎日継続して見る」

 ということになるだろう。

 それが、共稼ぎということで、

「テレビを見る奥さんが激減したことで、番組構成を変える必要がある」

 というものだ。

 さらに、夕方の、

「特撮やアニメの再放送」

 というものであるが、こちらは、子供の生活体系というものが変わってきたからだといってもいいだろう。

 それまでの、

「昭和時代の子供」

 と、バブルがはじけてからの家族体制が変わったことにも影響があるだろう。

 昔であれば、奥さんが共稼ぎをしている人は実に少なかった。

 その頃の子供は、

「かぎっ子」

 などと言われ、

「かわいそう」

 と思われてきたが、バブルがはじけると、

「かぎっ子は当たり前」

 ということになった。

 だから、子供が家にいても、テレビを見ても、面白くはないだろう。


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