第12話 光の中のあなたに①
期末テストも終わり、いよいよ夏休み。
受験勉強を口実に、ほぼ毎日、学校や図書館に通っていたけれど、今日の行き先は違う。
「綿貫さん!」
電車に揺られ、やってきたのは横浜はみなとみらい駅。様々な目的で降り立つ人々の中、若い女性の姿が圧倒的に多い。
思い思いにオシャレを楽しんでいる女の子たちの中でもやっぱり、綿貫さんは群を抜いている。シンプルなワンピースは、彼女のすらりとした体型を際立たせているし、学校にいるときとは違い、控えめながら、メイクをしていた。そういえば、学校での彼女は、ほぼすっぴんだ。
今日はいつもよりも、うるうるつやつやの唇に、長く繊細な睫毛が美しい。
ぽーっと見惚れていると、「何よ」と、綿貫さんを怒らせてしまう。
慌てて首を横に振って、「なんでもない!」と言えば、彼女も今日は些細な私の言動なんて、気にならないのだろう。すぐに機嫌が直った。
何せ、ずっと楽しみにしていたコンサートの当日なのだから。
「こんな早いのに、本当にみんないるんだね……」
開場二時間前を指定されたときには、驚いた。電話でもう一度確認してしまったほどである。
開演までは一時間も余裕があるんだから、開場時間ジャストでいいのでは? と提案した私に、綿貫さんは「甘い!」と厳しかった。
「これから戦争に行くわよ」
彼女曰くの戦場は、グッズ売り場であった。
「わあ……」
声を上げてしまった。すでに、長蛇の列になっている。
「お金、多めに持ってきた?」
「う、うん。お年玉とかお小遣いとか。でも私、そんなに買うつもりないんだけど……」
事前に公開されたグッズ一覧を見て、買い物リストはスマホに入れてきた。ペンライトと外村くんの写真は欲しい。でも、Tシャツは着ていく場所もないし、うちわは作ってきた。何よりも持って帰ってもどうすればいいのかわからない代物だ。飾る? うーん。
一通り私の意見を聞いた綿貫さんは、私の肩に両手を載せた。悟りを開いたような表情である。
なんだかデジャヴを感じると思ったら、「推しは推せるときに推せ」と言ってきた、千里子と同じ顔だ。
「あのね、田川さん……コンサート会場は、人の力じゃコントロールできない魔力に支配されているの。家では必要ないと思っていても、欲しくなっちゃうものなのよ」
経験者の滔々とした語りには、説得力があった。確かに、朝イチで並んで早々にグッズをゲットした人たちのほくほくした笑顔を見るにつれて、迷いが生じてくる。
「ど、どうしよう!?」
綿貫さんは頼もしかった。素人の私に、笑顔で親指を立てる。
「大丈夫。迷ったら、買え。これが鉄則よ」
そして、無責任だった。
オタクってみんなこうなの?
結局、彼女の言葉通りにうちわやTシャツを購入してしまった。とてもじゃないが外には着ていけない。部屋着がせいぜいである。
パンパンになったエコバッグを抱え、充足感に満たされながら、入場する。
スマホ片手にもたもたしている私をフォローしてくれたのは、やっぱり綿貫さんだ。ふたりで来て、本当によかった。ひとりだったら、何もわからなかった。
私たちの席は、二階のスタンド席だった。メインステージやサブステージが正面にある、見晴らしのいい場所だ。綿貫さんは、「見やすくていいじゃない」と言いつつ、双眼鏡の調整を始めた。
綿貫さんは「よかったら使う?」と言ってくれたけれど、首を横に振った。
「そうだ。ちゃんとウチワできたの?」
「あ、うん。千里子にも手伝ってもらって、どうにか」
彼女は意外と手馴れている(スマホゲームの声優ライブで作ったことがあるらしい)うえ、手先が器用なので、自分ひとりで作るよりは、マシなものができあがった。
綿貫さんと千里子は、直接一対一で会話をしたことはないが、それぞれに私と関わりがあるため、お互いを認識はしている。千里子の側は「ふーん」とスルー気味だが、綿貫さんはかなり意識しているようで。
「ふん、まあまあね! でも、私が手伝ったら、もっといいのができたんだからね!」
言いながら取り出したるは、それはそれは立派なものだった。
彼女の推しは瀧口藤馬。上の名前を選んでも、下の名前を選んでも、漢字では切り抜くのが難しい。実際、ちらほら埋まり始めた客席でも、瀧口くんファンは多く、ウチワに書かれた文字は「トウマ」と、カタカナが多かった。
綿貫さんのウチワはゴージャスである。黒地に目立つ蛍光グリーンの字で、でかでかと「瀧」と書いてあるし、その隣には、彼がよく使う小物である、赤い薔薇のモチーフがついている。
「裏面にはファンサしてほしい内容を書くのよ」
投げチューして、という赤裸々なファンサービスをねだるウチワに、素人の私はちょっぴり引いてしまう。
「そういうのは、ちょっと……」
クラスメイトの男子に、そんな過激なの、要求できない。
私のウチワの裏面は、無地のままだ。もうちょっと、何か考えればよかったかな、と思う。それこそ、薔薇の花みたいに彼のトレードマークとかイメージカラー、好きなもののイラストなんかを貼るだとか。
でも、彼の好きなものって、いったいなんだろう?
ファンクラブ会員限定公開のブログも当たり障りがないし、趣味もカラオケとか、無難なものだ。
もしも次の機会があるとして、私はどんなウチワを作ろうか。
無言で悩み始めた私を、綿貫さんは機嫌を損ねたのだと思ったらしい。慌てて、
「で、でも、初めてにしては、すっごく上手にできてるわよ?」
と、見当違いのフォローを始めた。
「いや、ウチワの出来云々は別に……」
口を開きかけた、そのときだった。
「うっわ。何アレ。下手くそ」
「ほんとだ。小学生でも作れるわ、あんなん」
人間の耳というのは不思議なものだ。教室なんかの比じゃないくらい、こんなにたくさんの人がいて、めいめいが好き勝手に喋っている中でも、自分に向けられた悪意の呟きだけは、はっきりと聞こえてくる。
私が声の主を確認するより先に動いたのは、綿貫さんだった。
「うるさい、ブス!」
振り向きざまに、ぴしゃりと言い放ち、睨みつける。
美少女の怒りは、すさまじく迫力がある。向けられたことのある私にはわかる。こっそりと彼女の陰から相手を覗くと、二人組の女性は、たじたじになっていた。
どちらからともなく、服の裾を引き合って、「行こ」と、足早に自分たちの席へと戻っていく。
「ちょっと! 謝んなさいよ!」
追いかけようとする綿貫さんを、私は必死に止めた。
「下手くそなのは、本当のことだし。だって初めてだもん。仕方ないでしょ? 私は気にしてないから」
そうは言っても、見知らぬ他人から、明確な悪意をぶつけられたのは初めてのことで、コンサートへの期待で上昇していたドキドキは、一気に嫌な方向のものへと変わってしまう。
ウチワの持ち手を握る手が震えないよう、ぎゅっと強く握った。力が入りすぎて、白くなる。
綿貫さんは私の様子をじっと見守りつつ、小さく溜息をついた。
「ごめんね。オタクがみんな、ああなわけじゃないからね?」
「うん。わかってる。綿貫さんみたいに、ステキなオタクもいるんだもん」
「田川さん……!」
次は一緒に作ろうね、など、ひとしきり彼女は私のことを慰めて、それから最後にこう言った。
「たぶんあいつら、カイリのアンリーだと思う」
「カイリ? アンリー?」
知らない単語の羅列に、首を捻った私に、綿貫さんは用語を解説してくれた。
アンリーというのは、アンチ+オンリーの意味。
単推しを表すオンリーに、アンチを加えたアイドルオタク用語だ。
「要するに、特定の一人以外は同じグループのメンバーであっても全員叩く、みたいな人のこと」
根っこにこじらせたファン感情がある分、完全に部外者のアンチよりも厄介な存在だという。
「で、カイリっていうのは……ウェスタンクルーの円盤見たときに、いたでしょ? ほら、大地と背中合わせでデュオ曲歌ってた」
「ああ!」
そのときにも名前を教えてもらったはずだが、すっかり頭から抜け落ちていた。外村くん以外で名前を顔が一致しているのは、それこそ綿貫さんの推しである瀧口くんくらいだった。
「なんだっけ」
「
スマートフォンで見せられた写真は、あらゆる面で、外村くんとは対照的だった。
派手な色に染められ、無造作に伸びた髪の毛。ワイルド、というのだろうか。目つきは鋭く、挑戦的に画面外を睨んでいる。笑顔もどこか歪んでいて、嘲笑されている気分になる。
イケメンには違いないのだろうが、私はあんまり好きじゃない。
もしもまかり間違って、外村くんじゃなくてこの人が転校してきていたら、隣の席だとわかった瞬間、絶望していただろう。
「シンメって?」
「うーん。相棒、というか、相方、というか。まあ、そんなもんだと思ってくれていいわ」
彼女自身は、もっと崇高なものだと思っている口ぶりで、アイドル基礎知識を教えてくれた綿貫さんは、声を潜めて内野海里について語った。
「大地とは真逆のタイプ」
曰く、ファンに手を出したという噂が尽きない。才能があるのをいいことに、ダンスの手を抜く。レッスンをさぼる。しかもそれを得意げに語る。舞台上ではアドリブという名の好き勝手をする……。
「まぁ、そこがいいっていうファンも多いんだけど」
容姿も性格も、外村くんとは真逆なのにシンメ。そこが萌える! という奴なんだろうか。よくわからない。
千里子なら理解できるかもしれない。ライバル萌え~、とか言って、ケンカばっかりしてるふたり組のことを好きになりがちだし。
私生活でもアイドルのイメージを崩さないよう、己を律している外村くんと、どうしてそんな人が?
一緒にいてほしくないなあ……。
こう感じてしまうのは、私もアンリー思考に陥ってしまっているのだろうか。
いや、そんなことはない。私はあの人たちみたいに、見ず知らずの他人に向かって悪口を言うなんてこと、しないんだから。
「大地、中途半端な時期に転校して、東京所属になったじゃない? それを悪く取られちゃってるのよね」
外村大地は、長年のシンメである内野海里を捨てた。
「そんな……外村くんが、そんなことするわけないじゃない。何か事情が」
「でも、その理由を大地は誰にも言ってない。私もあなたも、知らないでしょ?」
そう、知らない。聞いても彼は、教えてくれない。きっと笑ってはぐらかすだけ。そんな気がする。
「あいつがちゃんと説明すればいいだけなんだけど」
「うん……」
外村くんの事情って、いったいなんなんだろう。
私の頭の中からは、あの意地悪な二人組のことは、すっかり抜け落ちていった。
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