第8話 美少女には秘密がある①
連休明け、久しぶりに登校したクラスの雰囲気は、二極化している。
朝から机にかじりついて参考書を開いたり、予備校の話をしている人たち。
一方で、これまでと変わりなく、友人同士で談笑している人たち。でも、そのグループ構成は、四月とは変わっていたりする。
私の場合はそもそも、ひとりでいるのが平気なタイプなので、朝の過ごし方も静かなものだ。挨拶はちゃんと返すし、話題を振られれば乗る。
周りに勉強を始めた子が増えてきたので、気兼ねなく参考書を開く。いろんな人がいる教室で、ひとりで勉強を始めてしまうと、「ガリ勉」だと、ひそひそされてしまう。
母は相変わらず、私が熱心に勉強をすることを嫌がる。ノックもなしに部屋に入ってきては、家事の手伝いを命じる。どうしても時間が細切れになってしまい、集中できない。ゴールデンウィークは、散々だった。だから、学校が始まってホッとしている。
「おはよーさん」
「あ、おはよう」
あくびをしながら入ってきた外村くんに返事をする。雑誌を思い出して、反応がワンテンポ遅れる。
幸いなことに、眠気MAXで登校してきた外村くんは、朝の貴重な時間を睡眠に使うことにしたようだった。鞄の中身を取り出さないまま、枕にして机に突っ伏してしまう。
「おはよう」
凛とした声が聞こえた。綿貫さんだ。勉強していた男子も手を止めて、視線を向ける。
いつも通り完璧な美貌だ。平等に愛想を振りまいているが、外村くんとはちょっと違う。
よく観察してわかったのは、綿貫さんは決して、自分からはアプローチしないということだった。
外村くんはクラスの全員に聞こえるように第一声を発するし、座席に着くまでの間にすれ違うひとりひとりに、個別に挨拶をする。たとえそれが、「うるせぇな」という態度を隠さない男子であっても、である。
対して綿貫さんは、自分に嬉々として話しかけてくる人しか、相手にしていない。実際、私は彼女から、あんな風に笑いかけてもらったことはないし。
性格が悪い、とかではない。私だって同じだ。外村くんが特殊なだけ。
始業式の日のトラブルは、理不尽な理由で責められたわけだが、その分、彼女は外村くんのことを大切に思っているのだと感じた。
やっぱり綿貫さんって、外村くんのこと、好きなのかな?
何度か見たことのある、ふたりのツーショットを脳裏に浮かべると、胸が苦しくなった。これ以上ないくらい、お似合いだ。綿貫さんならば、雑誌モデルと自分を比べて、落ち込んだりしないだろう。
ふぅ、と小さく息を吐いた。
ダメだ。そんなことばっかり考えてちゃ。せっかくの貴重な時間なんだから、構文のひとつでも多く、覚えないと。
よくない想像を振り払い、参考書に没頭した。
そうこうするうちに、チャイムが鳴った。数秒遅れて、担任が入ってくる。まだ若い、ひょろりとした男の先生だ。
教卓についた先生は、眼鏡を上げ下げして、キリリとした表情を作った。この顔をするときは、何かある。調子のいい男子が、手を挙げると同時に「せんせー、今日なんかあるんすか?」と、尋ねた。
先生は一瞬、「なんでバレたんだ」という顔をしたが、すぐに気を取り直す。
「これから、抜き打ちの持ち物検査を行う!」
「ええええ~?」
不満の爆発は、時間差で隣の教室からも聞こえてくる。私は千里子のことを思った。
あの子、今日も漫画を何冊も持ち込んでいるし、なんなら作業用のタブレットも持ってるな。部活で使う、はどこまで通用するだろう。放課後まで没収されそう。
私は自分の鞄の中身を思い出す。何か言われそうなものは、特に浮かばない。強いて言えば、外村くんに貸したことのある寝癖直しの類を化粧品にカウントされる可能性があることくらい。
もっとも、物が多すぎて、私が「しっかり確認してください、どうぞ」と明け渡しても、面倒だと適当に流されそう。今までの担任はそうだった。
そんなことを考えている間も、先生は、持ち物検査をこの時期に行う意義について熱弁を振るっている。
「どうでもいいから、早くやってちゃちゃっと終わらせません?」
ギロリ睨んだのは学級委員の男子生徒。眼鏡の奥の目は、一ミリも笑っていない。優等生だからこその迫力に、生田先生は気圧されて、「そ、それじゃあ、鞄の中を見せなさい!」と、言った。
私は抵抗なく、鞄を机の上に出す。そして中身も。
ふと隣を見れば、これだけ大声を出していたというのに、外村くんは熟睡中である。よくこんなところで寝れるなあ、と思うと同時に、それだけ疲れているのだろうと気づく。
寝かせてあげたいけれど、それは無理だ。先生がまだ気づいていないうちに、起こさないと。
「外村くん……外村くん!」
小さな声で呼びかけるが、彼は微動だにしない。うーん、と、不機嫌そうに唸り声をあげるばかりである。
周囲の子たちは、みんな、自分が持ってきてしまったギリギリアウトなものを、どう隠すべきかに一生懸命だ。
仕方ない。これは不可抗力だ。
言い聞かせ、私は外村くんの肩に、そっと手を伸ばした。触れた彼の身体は、男の子らしい骨張った硬さがある。弟とはまるで違う。大人の男の人になりかけの肉体は、生命力に溢れている。
ドキッとした。一度呼吸を整えて、揺らす。
「外村くん、起きて。持ち物検査だって」
最初は緩く、けれど起きる気配はない。次第に強く揺すっていくと、彼はパッと目を開けた。そして急に立ち上がり、
「地震や!」
と、大声で叫んだ。
盛大に、寝ぼけている。居眠りというレベルを超えていた。
一瞬の沈黙ののちの、大爆笑。外村くんは自分が笑われていることにようやく気づき、「なんや、夢かいな!」と、早口で言って着席した。
「騒がしてすんません」
さらっと謝ったけれど、隣の席の私にははっきりとわかる。彼の耳が赤くなっていた。
つい、にやにやしながら教室を見回すと、最後方の席に座った綿貫さんがたまたま目に入った。
外村くんの豪快な寝ぼけ方を笑っている中、彼女は下を向いていた。あれ? と思ってよく見てみれば、細かく肩が震えている。
近くに座っていた仲の良い子が、「かれん? どうしたの? 具合悪い?」と、心配して話しかけても、彼女は首を横に振るばかり。
先生はチェック表を片手に、それぞれの座席を回っていく。優しい先生なので、基本的には甘い。「見逃してよ~」と言えば、よっぽどのものでない限りは、溜息をついて、「次持ってきたら没収するぞ」と言うだけだ。この検査、本当に意味があるんだろうか。
そして最後の綿貫さんの席に辿り着いた。
「綿貫ー。鞄の中身出せー」
先生が促しても、綿貫さんは動こうとしなかった。ぎゅっとスカートを握りしめ、俯いている。
さすがに先生も、異変を感じ取ったのだろう。
「綿貫?」
と、彼女の顔を覗き込む。
そのときだった。
ファスナーを開けた状態で、机の上に立ててあった綿貫さんの鞄に、先生が手を引っかけた。あっ、と彼女が手を伸ばしたときにはもう遅く、鞄は床に落ちる。そして、その拍子に中から転がり出たモノ。
それはきっと、綿貫さんが隠そうとしていたモノ。
手を差し出したのは、斜め前に座っていた男子だった。親切心と、綿貫さんと少しでも喋ることができたらという、少しの下心。落ちたのは、パンパンになった封筒で、封をしていなかったため、中身がこぼれ落ちていた。
「やめて! 触らないで!」
弾かれたように立ち上がる綿貫さんが手を伸ばすが、その男子はもう、封筒を拾っていた。もちろん、中身も。
封筒の中にあったのは、写真だった。そしてそれを見た男子は、声を上げる。
「えっ。これって
男女問わず、きらびやかな衣装に身を包んだアイドルたちの写真がたくさん、封筒に入っていた。
「返して!」
必死になって叫ぶ綿貫さん。彼女の持ち物なのだから、取り返そうとするのは当たり前だ。けれど、みんな持ち主のことはもはやどうでもよくなっている。
「あれ、これ、外村……?」
突然、クラスメイトの名前が出てきたことで様子が変わった。
それまでは「なんでそんなものを、あの綿貫が?」「アイドル興味ないって言ってたのに」という空気だったのが、「やっぱり綿貫って外村のこと」「つーか、隠し撮りとかじゃないの?」と、疑う人まで出てきたのである。
「おーい。外村、これお前……」
調子に乗った男子が、外村くんを呼ぼうとした瞬間、私は我慢できずに、立ち上がった。机をバーン、と叩きつけるというおまけつきで。
おとなしい私の振る舞いに、案の定、教室中の注目が集まる。
目立つことは好きじゃない。当たり障りのない人間でいたかったけれど、初日ですでに失敗している。外村くんには下の名前で親しげに呼ばれ、そのことで綿貫さんに呼び出しを受けた。
綿貫さんのことは正直、どうでもよかった。プラスの感情もマイナスの感情も抱いていない。ただ、彼女の事情に外村くんが巻き込まれるのが、嫌だっただけ。
勢いあまっての行動だった。やってしまってから、「しまった」と思うけれど、後戻りはできない。
私は、綿貫さんのことを振り返った。びくりと彼女は震えた。
「それはっ、私が綿貫さんに預けていたものです!」
しーん、となる。
唇を引き結んで強がっているけれど、実際は背中に汗びっしょりだ。
「今日、返してもらう予定だったんです! ね! 綿貫さん!?」
勢いで押し切る。彼女に真顔、早足、早口で迫り、写真の封筒を握ったままでいた男子生徒の手から奪い去った。
「なので先生、何か注意などあれば私までどうぞ!」
先生もドン引きである。優等生然とした私が爆発した効果で、写真そのものは、みんなの記憶から薄れたに違いない。
自分の席に座ると、どっと疲労感が押し寄せてきた。とっさに綿貫さんをかばってしまったせいで、私のイメージは、根暗なアイドルオタクになっただろう。もう、どうなってもいいや。
「なぁ、田川さん……」
こっそりと声をかけてくる外村くんだけど、さすがに相手をするには気力体力が不足している。
私は聞こえなかったフリで、綿貫さんの私物である生写真の束を、鞄の中にしまってから、無表情をつくったのだった。
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