第8話 後輩ちゃんスカウトされる
Xやインスタグラムで雰囲気のよさそうなお店をみつけたら、そこに行ってみて自分の五感で楽しむのである。お店の趣味としてはいわゆる純喫茶を好んだ。
むかしながらのお店でゆっくり過ごすのが白石澪のささやかな楽しみであった。
六月下旬の休日、白石澪は大阪は中之島にあるカフェにでかけた。
そこは最近Xをフォローしたインフルエンサーが紹介していたお店であった。
そのインフルエンサーとは如月花蓮という人物だ。
グラマラスなスタイルをいかしてコスプレイヤーとして活躍している。またファッション誌でモデルもしているという。
好意をもつ職場の先輩である柏木悠真と話をあわせるためにフォローした。
柏木悠真はオタク趣味で彼と話を合わせるために、白石澪はアニメをみたり漫画をよんだりして知識をためていた。
如月花蓮もそんな知識をふやすためにフォローをしたのだ。
Xやインスタグラムをフォローをして如月花蓮の自立した姿をみてすっかりファンになってしまった。最初、柏木悠真と話をあわせるために始めたオタク活動であったが今ではすっかり彼女自身がはまり始めていた。
先日、柏木悠真が見に行ったという映画「聖奏少女アルマ・リリス」は白石澪がみにいきたかった作品でもある。
もうオタク話をふられても、へえそうですかと答えずに話を盛り上げる自信はある。なのにその好意をむける先輩は最近忙しいようで仕事帰りに牛丼にさそっても来てくれない。
前まではきてくれたのに。
そんなもやもやした思考の迷宮をさまよっているうちに中之島にある目的のお店についた。
古いビルの一階にそのお店はあった。
喫茶店の名前は「みなも」といい戦後すぐにできたという歴史がある。
そのレトロな感じに白石澪は感動した。
喫茶みなもにはいると四十代なかばぐらいの年齢の女性が出迎えてくれた。
このひとは如月花蓮のXにも書かれていた店長の篠原しのぶさんだ。
まるで芸能人にであったような感動を白石澪は覚えた。
店内は昼時ということもあって近くで働いているであろう会社員らでにぎやかであった。
白石澪は一人なのでカウンター席に案内された。
隣には目鼻立ちのくっきりした美人が座っていた。凛としためつきが印象的で黒のパンツスーツが良く似合う。スレンダーなのに出ているところはきっちりでている。そんな出来る女感をかもしだしているその人は美味しそうに大盛りナポリタンをほおばっていた。
そのナポリタンがあまりにも美味しそうだったので白石澪は同じものを頼んだ。
食事を頼むとドリンクがサービスされるというので、アイスレモンティーを頼んだ。
カバンからタブレットを取り出して電子書籍の漫画を読んでいるとナポリタンとアイスレモンティーが運ばれてきた。篠原しのぶさんはごゆっくりと言い、次のお客のところ行った。
タブレットをカバンに戻す。両手をあわせていただきますと言い、ナポリタンにフォークをさす。ふんわりと漂うやけたケチャップの香りが食欲を誘う。
ご飯をたべるときにいただきますなんて柏木悠真に出会うまではいうことはなかった。白石澪は母子家庭で育ち、食事はほとんど一人でとっていた。
柏木悠真が牛丼屋さんでもファミレスでもいただきますというので真似をするようになった。そんな真似をしていたらある日お婆さんに礼儀正しいねと褒められたので、気分がよくなり続けている。
フォークにくるくるとパスタをまきつけて口に運ぶ。
一口めから美味しい。ケチャップの甘酸っぱさがたまらない。シャキシャキの玉ねぎとピーマンの組み合わせも最高だ。
それにお店の雰囲気もレトロでタイムスリップした気分にさせてもらえた。店にいるだけで楽しい。
ボリュームたっぷりのナポリタンであったが、ぺろりと平らげてしまった。
隣を見るときりりとした美人は食後のコーラを楽しんでいた。
白石澪は紙ナプキンで口をぬぐい、アイスレモンティーを飲む。
混いめの味のナポリタンを食べたあとなので口の中がすっきりする。
白石澪ははー美味しかった、ご馳走様と手をあわせてつぶやく。
アイスレモンティーが残っているのでもう少しここにいようと思う。
店の中にいる会社員たちはあわただしく立ち去っていく。
白石澪はそんな彼らを見送っていく。平日休みの強みだなと思いながら、彼女はタブレットを取り出して漫画を読む。
「その漫画って太陽のアナスタシアのコミカライズよね。懐かしいわ。昔好きだったのよね」
隣のキャリアウーマンが声をかけてきた。
鈴が鳴ると形容したくなるような美声だった。
白石澪が読んでいたのは好意を持つ先輩が進めてくれた漫画であった。
美少女怪盗アナスタシアが父が殺された謎を追いながら世界をまたにかけて冒険をするというストーリーだ。最近リメイクされてコミックが再販されたと柏木悠真は早口で語っていた。
白石澪はそんな柏木悠真の姿を見るのが好きだった。
「は、はいそうです」
美人キャリアウーマンに突然声をかけられて、びっくりしてしまう。白石澪は基本的には人見知りなのだ。緊張せずに話せる異性は柏木悠真ぎらいだ。
「私は鳴海出版の
そこにはたしかに株式会社鳴海出版編集部
初対面の相手だが美人に褒められて悪い気はしない。
「単刀直入にいいます。今度うちの社で新しくタウン誌を発行するんです。タウン誌の名前はスケッチ日和。もしよかったらその雑誌のモデルになっていただけませんか?」
それは思いもよらない誘いであった。
仕事の内容はタウン誌で紹介するお店や施設でモデルとして写真を撮るというものであった。
「わ、私がですか……」
モデルというワードに頭が沸騰する。
モデルという職業が一番自分からかけ離れている職業だと思っていたからだ。背も低いし太っているし、コミュ障だし。
「あ、あの考えさせてもらえませんか……」
どうにか白石澪はその言葉だけを吐き出した。
「ぜひあなたとお仕事をしたいので、いい返事を待っているわ」
そう言うと三津沢理央は喫茶店みなもを出て行った。
白石澪は三津沢理央のほっそりとした背中を見送った。
白石澪の心中はきまっていた。
もし自分がモデルなんていう華やかな職業についたら、高校のときのあいつらを見返すことができる。薄暗い炎が白石澪の豊かな胸に灯った。
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