第4話 狐と切なる願い
昔々に教わった理科の授業内容に、確か雨が降るメカニズム的なものがあったはずと、頭の中にある引き出しを引っ繰り返す。
けれど引っ繰り返してすぐに気付く。
相手は自然なのだから、そんなもの無理な話だと。
『そのために、あなたたちは私を呼んだの?』
『この国は、長く日照りに苦しんでいるのです』
陽の国と言われる所以は、紛うことなくそこにある。
しかし、それが原因で常に起こってしまう水不足。作物は育たず、飲み水の確保にも苦労しているという。
姫の願いは、長きに渡るこの国の課題とも言えた。
『姫を頼りに、願いを請う民も少なくありません』
『しかし、能のない私にはできることが限られているのが現状。不甲斐ないばかりです』
真っ直ぐすぎる純粋な願いに、女は口を噤む。
無理だと。できないと。
素直に口にすることが憚られた。
(とはいえ私も、普通ではないにしても人間だ。できることなんて高が知れてる)
彼らが呼んだ理由は、ひとまずそれで納得することにして。
一番の問題は、帰れるのかということ。
元の世界には、必ず戻らなければならないのだ。
『突然お呼び立てしてしまい申し訳ありません』
こちらの不安を汲み取ってか、頭を下げた姫に僅かな希望が垣間見える。
『ご無理を申し上げているのは承知の上。御身の安全は、必ずやお守り致します。私共にできることがありましたら、何なりとお申し付けくださいませ』
『帰れるの?』
『それはわかりません』
返ってくるのは、気持ちがよすぎるほどの潔さ。
帰ることができるのかはわからないままなのに、僅かに重なる面影に不安は一掃された。
『けれど見つけます。私共の我が儘にお付き合いしていただこうとしているのです。罪は、必ず償います』
『つ、罪だなんて』
『どうか。どうかお力をお貸しくださいませ』
『私からも、お願い致します』
人か狐かもわからない生き物に、迷わず頭を下げてくる彼らの純粋さと必死さを、断れる奴がいるなら見てみたい。
『この国の人たちが、本当に大切なんだね』
それで、一言物申すのだ。
子供の頼みを、大人が突っぱねてどうするのかと。
この、まだ幼い彼らの震える肩を見ても、何も思わないのかと。
頭を下げたまま無言を貫く彼らに、女はふうと一つ、わざとらしくため息を落とした。
『わかりました』
『御狐様……!』
『けれど申し立てさせて?』
『何でしょうか』
『いい? こういうことを頼むのは、普通うら若い女の子っていうのが鉄板なの。相場が決まっているの。いい年をした人妻を当てにするような話じゃないんだから』
『『はい?』』
『わかったら返事』
『『は、はい』』
顔を見合わせて首を傾げる彼らのかわいい反応に、ついつい笑みをこぼす。
『けれど、あなたたちが子供なら話は別。大人の私でもできることは限られるだろうけれど、精一杯努めさせてもらいます』
『ありがとうございます』
『心から感謝致します、御狐様』
そして、再び顔を見合わせて笑い合う二人に、母性本能が擽られる。まるで、年の離れた妹と弟を持ったようだ。
『でも、私に雨を降らせるなんて芸当が本当にできるのかしら』
『わかりません。できなければ潔く諦めます』
肝が据わった姫様だ。そうはっきり言ってもらえると、気が楽になるというもの。
『けれど、人間の私が考え付くことなんて限られているし。せめて私が来たことで、あなたたちが利になることが増えたりしない?』
『『…………』』
『どうしたの?』
急にひそひそ話をし始めた彼らに首を捻りつつ、先程引っ繰り返した引き出しの中から雨を降らせる方法を探してみる。
しかし思い付くものと言えば、精々てるてる坊主を逆さに吊すくらいだ。もう少し授業を真面目に受けていれば、少しは変わったのかもしれないが。
『あの、御狐様』
『何?』
『先程、人妻と仰っていましたけれど』
『……ミハヤくんから聞いてない?』
それとなしに視線を送ってみるけれど、彼は居心地の悪そうな顔をして目を逸らすだけだった。
『お疲れなのかと思いまして』
『もしかして、私が酔い潰れたせいで記憶がおかしくなっているとでも思ったの?』
『過剰飲酒には、記憶混濁の症状が見られることもあると』
『思ってたんじゃない』
ここの人たちはみんな潔いのだろうかと、あんまりな扱いにがっくりと肩を落とす。
でもこの姿を見れば、そう思ってしまうのも無理ない話だ。
『御狐様は、人間なのですか?』
『そうなの。ごめんね』
『伝説のように、人の妻になった白狐ではなく? 記憶があやふやになってしまったのでは』
『ううん。こう見えてもれっきとした人間なのですお姫様。私も、この世界に来て初めて自分の姿を確認した時は、一瞬その変わり果てた姿に驚きましたけど』
目を見合わせすっかり黙り込んでしまった彼らに、どうしたものかと悩んでいると再び始まったひそひそ話。除け者感は否めないが、二人がかわいいからよしとした。
『もしや、不測の事態かもしれません』
『え?』
『はっきりと申し上げられないのが本当に心苦しいと申しますか。勘違いかもしれないと申しますか。……失敗をしてしまったのかもしれませんと言わざるを得ないと言いますか』
『ど、どういうこと?』
急に歯切れが悪くなった姫の顔は、ただでさえ白い顔が気付けば真っ青になっていた。
『姫は少し気が動転しているようなので、代わりに私が』
そしてミハヤは、少し前に行ったという儀式について話し始めた。
策が尽きた彼らは可能性に賭け、知り合いの陰陽師に相談をすることに。
そして彼の者は言ったそうだ。『先祖の白狐程度なら、もしかしたら願いを叶えてくれるかもしれない』と。
『我々は、藁にも縋る思いで頼み込みました。そのようなこと、力のない者には不可能だと』
(知り合いに陰陽師がいることに、そもそも驚きを隠せないのだけど)
女は、俯く少年に問い掛けた。
それで、陰陽師が呼び出したのかと。
『いえ。『大丈夫できる』と言われたので、見様見真似で我々が』
知り合い陰陽師の、子供に対する態度にもほとほと驚いた。一番驚いたのは、それでも見様見真似でやってみた彼らにだったが。
ふと、口元を押さえていた姫が、俯いていた顔をゆっくりともたげた。
『そうしていましたら社の古池が光を放ち、急に大きな水柱を立てまして。静まりました頃、池に浮かんでおられたあなたを見つけ、確信を得た次第です』
そのようなタイミングで、まるで狐が化けたような人間がいるのだ。彼らでなくても、そう思うのは必至だろう。
(あれ。
けれど、その話に少し引っ掛かりを覚える。
何かを、忘れているような気がした。
『ただ、少しおかしいとは姫共々感じていました』
『我々がお呼びしたのは陰陽師の祖先――その母君であります白狐、葛の葉様のはずでした』
『しかしながら、姿形はさておきあやかしの気配などあなたには一切感じられません』
『私たちは、とんでもない勘違いをしていたのかもしれません』
彼らの口から語られた話は衝撃だったし、何とかしたいという気持ち自体は恐らく嘘ではないのだろう。
しかし、こんなにも心が落ち着いていられるのは、自分以上にあたふたとしている彼らのせいか。
それとも自分の中で培われてしまった、何とかなる精神からくるものなのか。
『ふはっ』
『御狐様?』
『どうかされましたか?』
『ごめんごめん。二人が、一生懸命私のことを考えてくれているのが嬉しくて』
藁にも縋る思いで救いを求めてくれた彼らに、少しでも応えることができるだろうか。
『あのね? こうして出会えたのも、きっと何かの縁が繋がったからだと思うの。もしかしたら、私の方が役に立てるから呼ばれたのかもしれないし』
『しかし』
『それに、元の世界に帰る方法がわかるまで手持ち無沙汰になるでしょう? 私、止まったら死んじゃう回遊魚だから。何かしていないと落ち着かなくて』
『御狐様……』
『だから、二人が戻れる方法を探してくれている間、どうにかこうにか雨が降らせられないか。いろいろ頑張ってみることにする。それじゃあ駄目かな?』
再び顔を見合わせた彼らは、すっかり眉尻を下げて申し訳なさそうな顔をする。
けれど悩んだ末、二人して居住まいを正し、床に擦れるまで頭を下げた。
『『何卒、宜しくお願い致します』』
『雨、降るといいね』
すると、少し遠慮がちに姫が視線を向けてくる。
『あの、御狐様』
『うん?』
『何とお呼びすれば宜しいでしょうか』
『…………』
『その、このまま御狐様とお呼びするのもどうかと思いまして』
(すっかり慣れていたことは伏せておくか)
自分の適応力の早さに苦笑しながら、そうだねと。
一頻り悩んでから、その名を呟いた。
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