名ばかり聖女と忘れられた神様 幸せの庭の365日

響 蒼華

聖女の就任

 大陸における交易行路の要となる位置にあるアドアストラ王国。

 三柱の神を祀る国はその庇護のもと、交易に工芸にと様々な分野において栄えていた。

 神は『聖女』と呼ばれる人間を介して、様々な恩恵を人々に授ける。

 当代の王は、先代の一人娘である女王アレクシア。

 自身も『一の神』と呼ばれる主神の聖女である女王は、女性の王を忌避していた者達を実力で納得させ即位した後、平らかな治世を維持し続けている。

 そんな女王の御世において、とある神の聖女が選ばれた。

 長らく聖女の不在が続いたのは『三の神』と呼ばれる神であり、その意と力の代行者が新たに定まったという知らせは瞬く間に広まった。

 けれど、それを口にする人々の顔に喜びの色はない。

 複雑な面持ちで王都の民が見守る中、新たに聖女に任じられし女性は仕える神が住まう土地へと出発した……。


 アドアストラの辺境にて、農作業のさなかだった数名の男女が何かを聞き取り手を止め、顔を上げる。

 彼らの視線の先には、道行く馬車が一台。それを申し訳程度に護衛する数名の騎兵。

華やかさや仰々しさとは縁遠い、あまりに簡素な一行を見て、一人の男が溜息をつく。

 新たな聖女だ、と誰かが呟くと、それを皮切りに男女は囁き始めた。


「伯爵家のお嬢様だって?」

「ああ、王都でも評判の令嬢だとか」


 王都から遠く隔たれた土地にも『三の神』に仕える新たな聖女が決まったとの報せは届いていた。それが、どんな素性の女性であるのかも合わせて。

 聞いた当初は、まさかと皆揃って笑ったが、真実であると知るとやはり揃って何とも言えない表情となったのだ。

 何故、今になって。しかも、そのような身分の方が。それが人々の偽らざる素直な気持ちであった。

「おいたわしい事だねえ……」


「まさか、あの『三の神』の聖女に選ばれるなんて……」


 収穫の時期がまだであるのを除いても些か寂しい景色を進んでいく馬車を見送りながら、一人が言うと、同意するように一人が頷く。

 新たな聖女が向かう先には、彼女の新たな住まいとなる離宮があり。その向こうには深い森が広がっている。

 人々から『三の神』と呼ばれる御方は、その森の最奥におわすという。

だが、森を見る皆の瞳には少しの敬いもない。

 鬱蒼とした暗い森に眼差しを向けたまま、男の一人がひときわ大きな溜息まじりに口を開いた。


「今更、聖女も何もないだろうさ。あの『忘れられた神』に……」


 栄える王国の外れ、辺境のけして豊かとはいえない土地。

 そこで必死に生きる人々は、森を見据えながら沈痛な面持ちでただ頷いた。

 やってきた令嬢を哀れと思いはするけれど、だからといって彼らに出来る事などありはしない。

 自分たちは、今までのようにただ日々の暮らしを守るしか出来ない。そう思いながら、馬車が消えた方角を見つめるばかりだった……。


目的地であるはずの場所に到着した女性は、目を見張ったまま動きを止めた。

自分が来たのは、森に住まうという神に仕える為の聖女が暮らす離宮である。

その事実を踏まえて、彼女は馬車から荷物を下ろしていた男性たちに問いかけた。


「ここが、離宮ですか?」

「はい。ここが、キーリー様……いえ、聖女様がこれからお暮しになる離宮です」


 露程も表情を動かさずに断言した男性の鉄面皮に、キーリーと呼ばれた女性の口から思わずため息が零れかける。

 彼女の目の前にあるのは、離宮……であるはずだ。

 確かに、広さなどの規模「だけ」でいうなら、離宮と呼んでも良いものだろう。

 だが、その現状が問題なのである。

 草が伸び放題の荒れに荒れた、庭と呼ぶには差し支える敷地の中に存在する小さな館。

 建物自体はそれなりに瀟洒な作りだが、いかんせん手入れがされていない。

 硝子は割れてこそいないが曇っていて入る光は陰っている。

 埃っぽく、家具は布を被って長く使われていない様子で。人の手が入っていたとしても最低限、かなり長い事放置されていたのが説明されずともわかった。

 キーリーの荷物を手早く居間と思しき部屋に運び入れると、男達は即座に踵を返す。


「後程、管理人が参ると思います。それでは、我々はこれにて」


 これにて、も何もないでしょうと思うけれど、それを口にするよりも先に男性や護衛達は止める暇もない程早々に離宮を去ってしまう。

 あっという間に遠ざかっていく、馬車の音や、馬の嘶き。

 呆然と立ちつくしている間に、薄暗い館の中には、キーリー一人だけが取り残された。


「ここで、何をどうしろと……」


 頭痛がするとでもいうように頭を押さえながら、キーリーは小さく呻いた。

 現実逃避をしかけるけれど、そんな事をしていても意味がない。改めて、彼女は自分が置かれた状況を考える。

 離宮とは名ばかりの寂れた建物と、広いばかりで荒れ放題の敷地。その近くには、鬱蒼とした深い森。

 そんな場所に、キーリーは突然放り出された。

 使用人と思しき人間もいない。文字通り、一人ぼっちだ。

 彼女は、森に住まうという神に仕える為にこの地に遣わされたはずだが、その為に何をすれば良いのか分からないどころか、どう暮らしてよいかも分からない状態である。

 油断をすると意識が遠のきかけるが、いつまでも現実から逃げ続けて状況が改善するわけでもない。

 せめて、日が落ちる前に今夜の寝床だけでも確保しなければ、と自分を叱咤して行動を起こそうとした時だった。


「ああ、もう着いていたのか。案外早かったな」


 不意に若い男性の声が響いて、キーリーの肩が大きく跳ねた。

 弾かれたように振り向いた先に、それまで無かった人影がある。

 何時の間に現れたのだろうか。

 食料らしき物が入った木箱を手にした長身の青年が、呆れとも憐れみともつかない複雑な面持ちでキーリーを見つめているではないか。

 半ば呆然としていたとはいえ全く気付かなかったのを迂闊と思いつつ、キーリーは訝しむ思いで青年を見つめた。

 誰何の眼差しを受け止める彼は、漆黒の髪と瞳をしている。

 少し異国めいた顔立ちではあるが、顔の造作自体はとても整っていて。怜悧に感じる容貌の青年の涼やかな眼差しにときめく女性はあるかもしれない。

 ……キーリーにとっては、何の感慨も呼ばないのだが。


「貴方は……」


 掠れる声にて、恐る恐る問いかけるキーリー。

 青年は、木箱を手近なテーブルの上に無造作に置くと、キーリーに向き直る。


「俺は、ルカ。ここの管理人だ。当座の食料を持ってきた」


 ルカと名乗った青年の言葉に、キーリーは目を瞬いた。

 ああ、そういえば彼女をここに置き去りにしていった者達が、後ほど管理人が来るといっていたような。

 彼が、その『管理人』であるというのか。

 離宮を管理する人間が確かにいたという事に、キーリーは密かに驚いていた。

 この寂れ具合なら、管理する人間が実在するのだろうかと疑ってしまっていたから。

 管理人がいてこの状態なのかという思いがついつい表情に表れてしまっていたのか、ルカは一つ大きな溜息を吐いた後に口を開く。


「どうせ、長続きしないからな」

「え?」


 キーリーは戸惑いの声をあげてしまう。

 溜息と共に言われた言葉の意味をすぐに理解できず、思わずルカを凝視してしまった。

 問いを露わにする眼差しを受けながら、ルカは続けた。


「聖女に任命されてここにやってきた女達は、大抵数日で何か理由をつけてここから逃げ出していく。ここでずっと暮らす奴はいない。だから、手入れが要らないんだ」

「この状態だから、では……」


 そもそもが、王都から遠く離れた土地で。住むのが、これだけ荒れて寂れた場所だと言われれば、逃げ出す女性が居たとしても責められないのではないか。

 そう思っても、口にだせば管理人である青年への糾弾にもなってしまう。故に、キーリーが言葉を選んでいると、ルカの更なる溜息が聞こえた。


「あんたも知っているだろう。聖女の仕える相手……森にいる神とやらが『忘れられた神』だって事を」


 キーリーは思わず言葉を失って、小さく呻きかけた。

 彼女は、森にいる『三の神』の聖女としてこの土地にやってきた。

 確かに、神は聖女を介する事が地上に力を齎すことができる為、聖女は敬意の対象であり、本来は権威ある地位であるはずだった。

 だが『三の神』に関しては事情が違う。

 何故なら、彼の神は『忘れられた神』の異名を持っているから……。


「そんなものに真面目に仕える人間はいない。こんな辺鄙な土地で、名ばかりの聖女で居続けたい人間も。だから概ね、適当な理由をつけては逃げていく」


 何か言い返したいと思うが、言葉が見つからずキーリーは眉を寄せる。

 長らく聖女の不在が続いた理由を知っている。だが、彼女達を責める事は出来ない。だって、三の神の聖女については、ルカが言った通りなのだから。

 キーリーとて、あの出来事が無ければこうしてやってくる事もなかっただろう。


「……あんたの境遇に同情はしている。だが、管理人は聖女の世話係ではない」


 その言葉で、キーリーは相手が、彼女が此処に来るに至った経緯を知っていると悟る。

 過去が過ぎると苦いものが満ちる胸の裡を抑えながら見つめる先で、ルカはなおも言葉を重ねていく。


「あんたがここを出ていくまで、定期的に様子は見に来る。死なれても面倒だからな」


 万が一にもキーリーが野垂れ死になどしないよう、一応様子は見に来てくれるらしい。

 だが、それだけ。特に何かをしてくれるわけではないし、面倒を見てくれるわけでもない。何もする気がないという様子を、彼は隠そうともしない。

 完全に突き放されている。取り付く島もないというのはこういう事だろうか。

 どこか、キーリーの出方を伺っているように感じるところはあるけれど。

素っ気ない態度はむしろキーリーにとっては好ましいが、かといってこれといった返す言葉もなく、何とも言えない表情になってしまっている気がする。

 ルカはそんなキーリーを見ても表情を変えずに背を向けて歩き出す。


「食料に関しては、近くに村があって、そこに頼んである。あとは、好きにしてくれ」


 肩越しに振り返りながらそれだけを残して。ここへ彼女を置いていった者達と同じように、止める暇もない程足早にルカは立ち去った。

 彼は、一度として振り返らなかった。

 またしても、キーリーは呆然とした表情のまま、寂れた館に取り残されてしまう。


「だから、ここでこれから何をどうしろというの……」


 聖女としてここに遣わされたというのであれば、神に祈りを捧げて暮らせばいいのか。

 居るのかどうかも分からない存在に仕えて、時を過ごして生きていけばいいのか。

 この、寂れた薄暗い場所で。仕えてくれる使用人もない、相談する相手もない、たった一人の状況で。

 今までの聖女たちが逃げ出した理由がよくわかる。

 あまりに寂しく虚しい日々過ぎるから、耐え切れなくなったのだ。

 適当な口実をつけて、彼女達は家に戻っていった、あるいは他に暮らすようになったのだろう。

 だが、キーリーは戻れない。他にも行けない。

 彼女は、ある意味での『罰』としてここに送られたのだ。それが女王陛下のご意向である以上、背ける訳がない。


「……まず、今日の食べるものがあるなら。寝る場所を何とかしましょう……」


 自分に言い聞かせるように言葉を口にして、緩やかにキーリーは動き始める。

 どこか、ふわふわした心持ちだ。動いていても、現実がベールの向こう側にあるような曖昧な感覚を覚える。

 何故と問いたい気持ちはあるけれど、何に対して何故と問うていいかもう分からない。

 確かな事は、ただ一つ。

 何がどうあっても、キーリーはこの寂しい場所で生きていくしかないのだ……。

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