竜王さん、とんでもない場所で対局をはじめてしまう…w
藤原くう
竜王さん、とんでもない場所で対局をはじめてしまう…w
ペチン。
「先手、2六歩」
ため息をついて横を見れば、カラフルなマシュマロマンみたいなやつが3人いる。バラクラバを目深にかぶり、その上からスノーゴーグル、酸素マスクをつけた姿は登山家だ。
1人の手には山登りとは関係ないチェスクロック。もう1人は手元の紙に鉛筆で書き殴っていた。最後の1人なんか、盤上と紙をジロジロ眺めては背負ったボンベから供給される酸素を胸いっぱいに吸っていた。
そんなたった3人の観客の向こうには、冗談みたいに青い空が広がっている。
下にはカーペットのような雲海、上には
ホントに冗談ならどれほどよかったことか……。
視線を前へと向ける。
そこにあるのは将棋盤。
盤上に並べられた駒たち。
その向こうには、
そのどれもがわたがしのような雪の上にあった。
――こんなことになるなら、竜王なんてならなきゃよかった。
俺は、別にこんな生きるのに適してないとこで将棋をしたいわけじゃない。ぬくぬくとした自室でネコを撫でながら、それなりに将棋の研究をしてたいだけ。
それもこれも『卍最強機械神卍』なんて痛々しい名前のAIのせいだ。アイツが世界征服なんてしようと思わなければ、こんなところまで来ることにはならなかったんだ。
AIが人間に牙を
『私は人類に挑戦をする』
そんな宣言が出てから色々なことがあり、あれよあれよという間に、なぜか竜王である俺と対局が行われることになっちまった。
こんなことならわざと負けてれば――。
AIに人間は負けっぱなしだ。チェス、囲碁、そして将棋……。今回だって、負けると人々は言っている。
俺だってそう思う。相手は中二病的な名前だが、心を持った超ハイスペックAI。詩と俳句とラップをつくりながら、将棋と麻雀と格ゲーをし、同時にペンタゴンやMI6にハッキングを仕掛けるようなやつだ。
しかも、どこにいるのかわかんないときている。作ったやつは、とっくに死んでいるとか。
そういうわけで、ネットニュースやSNSは悲観的なコメントであふれていた。
相手が相手だから世紀末のときみたく、酒をがぶがぶ飲みたくなる気持ちもわかるが、「オッサンには無理だ」「地球代表が――竜王でええんか? 地球規模でry」「もう終わりや猫の世界」なんて言わなくてもいいじゃないか。
グーパーグーパーかじかむ手を動かしていると、将棋盤や記録を見ている人――立会人――の懐からプルルルルと音が鳴る。アッしまったみたいに、立会人がぴょんと飛びあがった。
対局中は静かにしなければならない。それは、デスゾーンの中だって変わらない。
じろりと立会人を
俺は首を振った。対局中に電子機器の使用は厳禁である。不正を疑われてしまうから、ウーバーなんてもってのほかだ。
なかなか受け取ろうとしない俺に、立会人は、特例です、と言った。
「あのAIからですよ」
「『卍最強機械神卍』からかっ」
スマホをひったくり、電話に出る。5G回線によるクリアな通信によって、耳を打ったのは滑らかな人工音声。
「もしもし竜王だが」
「やってくれたな竜王よ」
AIの声はフラットそのものだった。その背後ではザックザックと雪を踏みしめるような音がかすかにしていた。
「俺は何もやっちゃいない」
「いいや、最初から狙っていただろう。私がエベレストに登ることができないと見越して!」
ぴゅうと駒さえもカチコチにしてしまう風が吹く。
そう、ここは高度8849メートルの彼方。エベレストの頂である。
俺は世界最高峰を、人類存亡の一戦を行う場所に指定したに決めた。
そんなことできるのかって? 現にできてるじゃないか。真白な雪の上に置かれた綺麗な木目の将棋盤、そこにきっちり揃えられた駒たち、その横には取った駒を置く駒台もあるし、座布団から脇息だってあるんだ。対局場と言って差し支えない。
「将棋は日本で行われるものではないのか」
「海外で行われることもある」
ドイツやイギリスやアメリカで行われたことがある。しかも普通の対局ではなくて、れっきとしたタイトル戦だ。
どうしてエベレストでやっちゃいけないんだ?
グぎギギギという声がスピーカー越しに聞こえてきて、俺は持っていたピッケルが軽く感じられた。
「卑怯だぞっ」
「最初に言ったよな。勝負は1局のみでいい。その代わり、場所はこっちが決めると」
「だって、エベレストってホテルか旅館があるって思ったんだもん!」
機械、――『卍最強機械神卍』という将来もだえ苦しみそうな名前のAIからは想像できないほど可愛らしい口調が飛び出してきて、不覚にもときめきそうになってしまった。
「とにかく、早く来ないと不戦敗になるぞ。今どこだ」
「やっとベースキャンプを通り過ぎたところだ。待ってろよ」
「いや、時間は待ってくれないぞ」
公式戦において、1時間以上遅刻すると不戦敗となる。
対局開始からすでに45分が経過しようとしていた。
俺の勝利まで、あと15分。
「で、ではこういうのはどうだ。私が立会人に指す手を伝える。それを代わりに指してもらう――」
「ダメだ。そっちが、自分自身で指すと決めたんだろ」
「そこまで考えてお前はっ」
俺は通話を切った。
立会人にスマホを返し、金属板みたいにカチコチの座布団の上で、居住まいを正す。
将棋盤をじっと見つめて、これからのことを考える。将棋の展開じゃない。それはもう考える必要がない。
そうさ、AIが言っていた通り、エベレストで対局することこそ、俺の秘策さ。
アイツは地下深くに本体を隠していると言われている。居場所がわからないこそ、どこの国もAIを止めることができなかった。
だが、地下にいるってことは、山に登るのは大変だろう。そう考えて、世界最高峰での対局を行うことにしたんだが……まさかこうもうまくいくとは。
これで俺は世界を救った英雄だ。きっと、竜王になったときの優勝賞金よりもずっと多くのものがもらえるんだろうな。もしかしたら、モテモテになっちゃうかも――。
ズドーンと下の方から音がした。
ズガガンガンと何か硬いものが硬いものに突き刺さるような音が繰り返されたのちに、白いものが吹きすさぶ尾根にクモのようなシルエットが現れた。
白化粧を施されたそれが、ガッションガッション音を立て、尾根を崩しながらもそれでもこちらへやってくる。
思わずゾッとした。今来るのなんて、一つしかない。
そいつは、クモ型タンクと呼ばれる兵器。平べったい頭には、ドラム缶のようなものがにょっきり生えている。雑な溶接の跡を見るに、急いでCPUをくっつけたらしい。
俺は立会人を見た。バラクラバに覆われた顔がどことなく青ざめていた。俺も同じような顔をしていたに違いない。
まさか、そこまでして来るとは……。
迫りくる巨大ロボ。ちらりとチェスクロックを見れば、タイムリミットまで、1分を切っていた。
「間にあったか間に合っただろう!」
目の前までやってきた、車ほどの機械製のクモから、そんな言葉がやって来る。
クモに取り付けられているスピーカーから大音声がほとばしるたび、積もった雪がブルブル震え、雪崩となって落ちていく。
それほどまでに大きなクモだったから、2畳ほどしかない頂には座れそうにない。
「ちょ、ちょっとお待ちを。本人確認をいたしますので、身分を証明できるようなものは」
「これが目に入らぬかっ。私の頭だぞ」
キリンがお辞儀をするように、クモ型タンクが頭を下げる。そこに書かれている読むのも恥ずかしくなる名前を、立会人が顔を近づけて見ている。いいぞ、もっと時間を稼いでくれ……!
「50秒、1、2……」
チェスクロックを抱えた人が、終わりまでのテン・カウントをはじめる。その間にも押し合いへし合いは続き、無理やり機械の体が、頂上へと飛びだそうとしたまさにその瞬間、
「対局開始から1時間が経過しました。よって、竜王の不戦勝となります」
という声が響いた。
よっしゃ!
……などとは叫ばない。いくら嬉しくても、それを表情には出してはいけない。展開を考えていましたよ、としかめっ面をつくってお茶をすする。
そんなAIは濡れた子犬のように機械のからだをブルブル震わせていた。
「今回は負けを認めてやろう。だが、次は負けないからな」
「次……?」
俺がクモ型ロボットを見れば、目っぽいライトがチカチカ瞬いていた。
「また人類の命運をかけて戦おうではないかっ」
俺はブルンブルンと首を振る。誰が勝負するもんか。
だが、チェスクロックを抱えた女性が、峰々の1つを指さし、
「では、次の対局はあちらのK2で行うというのはどうでしょう」
「「絶対イヤだ!」」
立会人の言葉に、俺とAIの叫びが山々にこだました。
竜王さん、とんでもない場所で対局をはじめてしまう…w 藤原くう @erevestakiba
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