2話「特別な時間」

 誰かとゴミ拾いをするのも悪くないと思った。僕は『この子と一緒にいると楽しい』と感じているのだろうか?

 彼女は子どものように目を輝かせ、次々とゴミを報告してくる。

「このお菓子、私も好き!」

「こんなおにぎりが売ってるんだ。今度買ってみようかな」

「メビウスって人気のタバコなの?」

 彼女が顔を動かすたび、ベリーのような香りが鼻先をくすぐった。若い女の子が好きそうな匂いだ。


 一緒に歩き始めて三十分が過ぎた。太陽は真上に昇り、生ぬるい風が吹き抜けている。


「ねえ、お兄さん。つかれた~」と彼女は子どもが駄々をこねるように言った。君が勝手についてきたのに。


「カラスは好き?」と僕はいてみた。


「うーん、好きでも嫌いでもないかな。どうして?」

 彼女は首をかしげて僕を見た。生意気な女の子でも、この仕草は可愛らしい。


 ゆるやかな傾斜を上ると、山のふもとに着いた。雑草は背丈の高さまで伸びている。


「少し休もうか」と僕が言うと、彼女はとしていた。休むといってもベンチすらないからだ。

 川の前には倒れた冷蔵庫がある。誰かが不法投棄したのだ。僕がそれに座ると、彼女も仕方なくとなりに腰を下ろした。


「あなた、すごく変わってるわ」

 彼女は周りを見渡した。割れたテレビや、小型のバイクまで捨てられている。

「人の気配が全くないわね」と彼女はつぶやいた。

「ねえ、ここなら私を襲ってもバレないよ」


 心臓が大きく鳴った。横目で彼女を見たが、表情はわからない。


「私、お兄さんになら抱かれてもいいよ」


 僕は思わずトングを落としてしまい、カランカランと明るい音が川辺に響いた。十歳以上も年下の女子学生に踊らされるなんて、情けない。彼女は手を叩き、ケラケラと笑っていた。僕はますます顔が熱くなる。

「ねえ、本気にした?」


 正直、してないと言ったら嘘になる。けれどそれは、ある意味『女性に対して誠実』と言えないだろうか?

 僕は彼女の笑い声を背に、川のふちへと歩く。そして、エサを川に投げ入れた。その瞬間、川辺のあちこちにいたカルガモが、一斉に羽ばたいて集まってきた。


「何をあげたの?」

 彼女は僕のとなりにやって来た。


「ホームセンターで買ったハトのエサだよ。トウモロコシ、豆、種なんかが入ってるんだ」


「へぇ~」

 彼女はその場にしゃがみ、んだ瞳でカルガモたちを見つめた。僕は黒いお椀を拾い、川の水ですすぐ。それにエサを入れて、今度は少し離れた岩の上に置いた。

 すぐに一羽のカラスが舞い降りた。そして周囲を警戒しながら、お椀をつつき始めた。


「ねえ、カラスに食べられてるわよ」


「いいんだ。むしろ、あの子にあげる用だから」


「ふーん」と言って彼女は笑った。

「カラスにエサをあげる人なんて、初めて見たわ」


「人目のある場所ではやらないけどね。だからこんな誰も来ないところに来てるんだ」


「私にするためじゃなかったのね」


 カラスはすぐに林の方に羽ばたいていった。


「まったく、お礼も言わずに行っちゃうなんて、不義理じゃない」と彼女は冗談っぽく言った。それは、動物を人と対等に扱うからこそ出た言葉なのだろう。


「エサを隠しに行ったんだと思う。きっと戻ってくるよ」


「そっか」

 彼女は空を見上げた。

「あなたって、動物が好きなのね」


「まあね」


 彼女が川に近づくと、カルガモたちは泳いで逃げていった。


「考えてみればさ、ここは動物たちの生活空間なのよね」

 彼女は川面を見つめた。

「ポイ捨ては、家の中にゴミを投げ入れるようなもの」


 彼女は僕のトングを使い、ブラックコーヒーの空き缶を拾い上げた。

「これを捨てた人間の家に行って、郵便受けに入れてやればいいんだわ」と彼女は言った。「……って、あなたなら思うのかな?」


 僕が少し考えてからうなずくと、女子学生はにっこりと笑った。彼女は今、僕の気持ちを考えてくれたのだ。


 頭上の木々が日陰を作っていた。僕はカルガモを眺め、彼女はトングで小石をつかんで遊んでいる。


「君は動物が好き?」と僕は訊いてみた。


「ねえ、その『君は〜』って呼び方やめてよ。小説じゃないんだから」

 彼女は僕の肩を軽く叩いた。

「私の名前は可奈かな。可愛いの『可』に奈良の『奈』よ」


「なるほど。可能性の可に、奈落の奈か」


 彼女はため息をついた。

「もう、それでいいわよ」


「それで、可奈……さんは、動物が好きなの?」


「呼び捨てでいいのに」

 可奈は静かに笑った。

「好きな方だと思うわ。よく元カレと動物園や牧場に行ったもの。あの人は退屈そうにしてたけどね。きっと私の体にしか興味なかったんだわ」

 可奈は苦笑いした。

「ごめんね、こんな話ばっかり」


「構わないよ」


 彼女は心に色んなものを抱えている。ただの生意気な少女ではないらしい。なんだか無性に謝りたくなった。そして何かを与えたいと思った。親が子どもに抱く『守りたい』という感覚に近いかもしれない。




 強い風が雑草を揺らす。空き缶が転がる音も相まって、ヒーリングミュージックのようだった。


 カーカーカー バサッバサッ


「あ、戻ってきたね」と僕は言った。


 カラスは地面に降りると、またお椀をつついた。


「もうエサはないわよ。あなたが食べちゃったんだから」

 可奈は笑った。

「でも、どうしてさっきのカラスだとわかるの?」


「あの子の右足」と僕は言った。

「指が二本ないんだ」


「ほんとだ……」

 可奈は手で口をおおった。


「この川には釣り人が多いから。捨てた釣り糸に足が絡まって、壊死えししたんじゃないかな。この被害に遭ったハトを何羽も見た」


「ひどいわ」


 可奈が歩み寄ると、カラスはと跳ねて一定の距離を保った。


「ん?」

 彼女はお椀から小石を取り出した。


「おっ。今日のプレゼントだね」

 僕は隠していた缶の入れ物を可奈に見せた。


「金具やアクセサリーまであるじゃない」と可奈は感心した。

「もしかして、全部この子が?」


「エサをあげたら、お土産を持ってきてくれるようになったんだよ」


「へぇ~」

 可奈は丸い小石をつまんで見上げた。まるで貝殻を太陽に透かすように。


「それ、あげようか?」と僕は言ってみた。


「え、いいの?」


「う、うん。構わないよ」


 冗談のつもりだったが、案外食いついた。


「部屋に飾っておくわ」


 可奈は川で石を洗い、ハンカチで包んでショルダーバッグに入れた。


 この優しい空間には、ゆったりとした時間が流れていた。


「そろそろ帰ろうかしら」


「そうしようか」


 僕らは一緒に立ち上がり、川下へ歩き出す。カラスもどこかへ飛んでいく。帰り道ではほとんど会話せず、黙々とゴミを拾いながら歩いた。そして、可奈が座っていた石段で解散した。



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