2 病院ランウェイ化計画
朝、ほのかに味噌汁の香りがして目が覚めた。ああ、家事用にロボットレンタルしたんだった。朝ごはんを用意してくれるとはありがたいなあ。起きて茶の間に行くと、いかつい男性型ロボットがなぜかフリルのエプロンをつけてせっせと料理をちゃぶ台に並べていた。
玉子焼き。大根と玉ねぎの味噌汁。納豆ご飯。デザートにヨーグルトまでついている。
「ありがとう」
「気にしなくてもよくってよ! これが汎用AIロボットのお・し・ご・と、だもの!」
そうだったこのロボットは中身が2丁目のチイママなのであった。
とりあえず朝食を摂る。たいへんおいしくてニッコリしてしまう。こんなにニッコリするのはボヤイターがバズったときか投げ銭がたんまりあったときくらいだ。
わたしは小説やエッセイを書いて投げ銭してもらえるサイトを駆使して生活費を稼いでいる。もちろんそれだけでは足りないので障害年金ももらっているし薬代補助の支援プログラムにも入っている。
将来どうなるんだという不安に押しつぶされそうで、ちょっと涙が出てきてしまった。
「どうしたの? 泣くほどおいしかった?」
「ううん、チイママさん……わたし、小説とエッセイの投げ銭だけじゃなくて障害年金貰わないと自分1人養えなくて、それを思い出して不安になって、悲しくなって」
「そうね、それは不安だわね……じゃあ、今からちょっとずつ、不安を解決する方法を考えない?」
「不安を解決する方法」
チイママさんはウインクをした。
「そうよ。まずできることから始めるの。お金はどうしてる?」
「生活費以外は貯金してます」
「偉いじゃない! その貯金はなんに使うつもりなの?」
「わたし年金納めてないからたぶん歳とってもらえる額ほとんどないと思うので、貯金のままですね」
チイママさんは少し考えた。頭部の透明なところがチカチカする。
「ご両親はどんなお仕事をなさってたの?」
「父は市役所の公務員で、母は小学校の教員ですね」
「それなら退職したときに退職金が出てるんじゃない? 保険とかは?」
「そうなのかな……保険は入ってるらしいんですけど、入ってくる額を言うとあんたに殺されるからって冗談して言って教えてくれないです」
「じゃああんまり心配しなくていいんじゃない? 楽観的にいきましょ。アンタはもうちょっと、自由になっていいのよ」
「自由って言っても……」
チイママさんは真面目な顔をした。すごく迫力のある顔だ。
「とりあえず外に出てみない?」
「買い物とか伝助の散歩で出てますけど。ときどき図書館にも行きますけど」
「かわいい服を着て、かわいいメイクをして、素敵なアクセサリーをつけて、ゴキゲンなお出かけをするのよ。それだけやれば買い物だって伝助ちゃんの散歩だって図書館だって、アンタのランウェイよ!」
「……オシャレする資格、ないんで。一回もだれとも付き合ったことないし、というか誰かを好きになったこともないし……」
素直にそんなふうに話すと、チイママさんは笑った。
「でもSNSの友達の投稿見て、いいなあオシャレで、って思ったんでしょ? それはオシャレしたい、ってことじゃないの?」
「……友達は東京にいて、ちゃんと旦那さんもいる人なんで。こんな子供部屋おばさん、オシャレする権利ないです」
「そんなの関係ないわ。権利とか資格がない、って言って誤魔化そうとするってことは、本当のところはオシャレしたいってことなんじゃない? それにね、身だしなみに気をつかって、自分が楽しくなるようにするのは、統合失調症の治療を受けるのと同じことなのよ」
ちょっとハッとしてしまった。
自分が楽しくなるようにするのは、統合失調症の治療と同じなのか。
確かに薬を飲んで楽に過ごせるようにはなった。監視されている、みたいな妄想は出なくなった。
では、その次のステップは、オシャレして自分が「楽しくなる」ことなのだ。
「オシャレってね、他人のためにすることじゃないのよ。自分が楽しくなるためにすることなのよ。アンタ、ちゃんとお風呂入って髪洗って、髪乾かしてよくすいてるじゃない。心療内科に行くときはそのジャージじゃないんでしょ?」
寝間着兼・部屋着兼・普段着のジャージを見下ろす。
確かに心療内科に行くときはちゃんとした服を着ようとは思っていて、Tシャツにジーパンとかパーカーにジーパンとかで行っている。
「そ、その通りです……」
「ヨシ! 心踊るお洋服、買いに行くわよ!」
◇◇◇◇
なんとチイママさんは車を公道に走らせる資格を持っていた。わたしは助手席で、コロナがすぐ治る病気になって久しいというのにマスクをして、チイママさんの丁寧な運転を見守っていた。
連れてこられたのはファッションセンターしまむらである。てっきりもっとお高いところに行くのかと思ったが、チイママさん曰く「しまむらもよーく探せばかわいい素敵なお洋服、売ってるんだから」とのことであった。
「サイズのぴったり合う下着も買うといいわよ!」
「下着、ですか」
「アンタ、ブラトップじゃ垂れるわよ?」
それもその通りだ。わりと安い下着を2枚ほどかごに入れる。それから、洋服のコーナーをウロウロしてみる。
あ、このワンピースかわいい。
見つけたのは値引き品になっていた、黒地に小花柄と白いパイピングのワンピースであった。試着してみると腹がたるんでいるのはわからないので、値段が2000円しないのに驚きつつ、試着室のカーテンを開けてチイママさんに見せてみる。
「いいじゃなーい! それすっごく素敵よ! 心療内科は来週の月曜よね? それまでに『病院ランウェイ化計画』進めるわよ!」
「なんですか病院ランウェイ化計画って。人類補完計画ですか」
「シンジって呼ぶのはよしてちょうだい」
「オタクネタにも対応可能なんですね……」
……エヴァンゲリヲンをリアタイするにはわたしは当時ちょっと幼くて、再放送もやっていたのだろうが見る機会はなく、劇場版をやっていたころはガチの病人だったからミリしらなのだが。
とりあえずちゃんとした下着とかわいいワンピースを手に入れた。代金を支払ったが、昔障害年金を初めていただいたとき口座に\ドン/と振り込まれた額を思えばこれくらいのオシャレは許されるだろうと思った。
車に乗り込むとチイママさんはドラッグストアに車を入れた。
「さ、プチプラコスメ爆買いするわよ!」
「ば、爆買いですか!? そんなに!?」
「そうよ? 下地にコンシーラーにファウンデーションにフェイスシャドウ……」
「そんなにいっぺんには無理です、最低限のものだけにしてちょっとずつ増やすのはダメですか」
「あら、それがいいわね! じゃあBBクリームとアイブロウとリップ、アイシャドウとマスカラだけにしておく?」
「そうします」
そんなことを言いながら、わたしとチイママさんはドラッグストアに吸い込まれていった。(つづく)
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