田舎には変な噂が多い

高峰悠華

第1話 春に囁く影

四月の空は、まだ冬の名残を留めるかのように冷たく澄んでいた。


 入学式を終えた青木高校の校庭は、新入生たちの明るい声で満ちている。桜が咲き誇り、花びらがゆっくりと舞い落ちる中、陽翔はるとは小学校までの幼馴染の直道なおみちと二人で昇降口の脇に座り込んでいた。


「なあ、陽翔」


 直道が小さな声で切り出す。


「お前、知ってるか?この学校の七不思議」


「七不思議?……旧校舎の話か?」


 陽翔は制服の胸元を指でつまんで伸ばしながら、興味を示すように顔を上げた。


「そうそう。去年、中学の先輩が噂してたんだよ」


直道は目を細め、周囲を確認するように首を動かした。小学校の時から心霊が好きで学校でこっくりさんをしたり、百物語をして女子を怖がらせて怒られてきたお陰で心霊系を話すとき周囲を警戒する癖がついていた。


「旧校舎にさ、幽霊が出るって。しかもそいつが一人の幽霊じゃなくて……“集合霊”なんだと」


「集合霊?」


 陽翔は眉をひそめた。


「幽霊って普通、一人とか二人の話だろ?でも旧校舎に出るのは違うんだってよ。弱い霊が群れを作って、一人じゃ何もできないからに集まって人を引きずり込むんだって。しかも、自殺させようと誘うらしい。」


 直道の声が徐々に小さくなる。言いながら自分で怖くなっているのがわかる。怖くても怖いのが好きという矛盾。


「自殺……って」


陽翔は飲み込むように言葉を返した。


「そ。昔、屋上から飛び降りた女子生徒がいるって話は有名だけど、実際にはその子だけじゃなく、もっと前からちょいちょい人が消えてるらしい。で、そういう人たちはみんな、旧校舎に入る前に“誰かに呼ばれた”って言ってたって」


 陽翔の背中に寒気が走る。桜の花びらがひとひら、ふたりの間に落ちた。背筋に冷たい汗が伝うのを感じる。しかし、それでも好奇心が勝っている。


「旧校舎に入ったら最後、その集合霊に“おいで”って引きずり込まれるんだってよ」


「どんな腕力だよ。」


陽翔は無理やり笑った。


「そもそも群れで襲ってくる幽霊ってなんだよ」


幽霊ってのは基本的に一人でいる。その方が狩りの獲物を一人で喰えるから。


「群れだからタチ悪いんだろ!多対一で来るから勝てないんだってさ」


直道は目を真剣に光らせる。


「声とか、影とか、急に周りが暗くなるとか。……旧校舎の前を通っただけで呼ばれるって話だぜ」


 陽翔が返事を探して口を開きかけたそのとき――


「ねぇ!今、旧校舎の話してた?」


 ぱっと差し込んできた明るい声に、二人は揃って顔を上げた。


 そこに立っていたのは、二人の女子だった。一人は肩までの髪がふわりと揺れ、どこかお姉さんっぽい優しげな雰囲気を持つ女子。もう一人は色白で華奢ながら、瞳の奥に強い光を潜ませている少女だった。


「え、あ……」


直道が目をぱちくりさせる。


「ごめんね、いきなり。優華ゆうかっていいます」


と優しげな方の女子が笑顔で頭を下げた。


「こっちは絵恋えれん。私たちも、さっきその話してたんだ」


「へ、へえ……」


陽翔は思わず笑う。悲しきかな、あまりにも女子に対して免疫がなかった。


「同じ一年だよな?旧校舎の噂、知ってるの?」


「うん!だって有名だもんね。」


優華が弾むように言う。絵恋が陽翔をじっと見つめた。


「旧校舎って、ただの幽霊じゃないんだよね。」


 その声は小さいが、妙に耳に残る響きがあった。


「知ってる?集合霊のこと」


直道が


「お、おう……さっきちょうど話してた」


と答える。


「人の怨念とか、未練が、弱いままだと何もできないんだけど――」


絵恋が息を呑むように続けた。


「集まると物量で押してくるから厄介なんだよね。旧校舎には昔からそんなものが潜んでて、そこに行った人は……呼ばれるんだよそう。“一緒に来て”とか、“おいで”とか。声がするんだって。そして最終的には、自分の意思で飛び降りたくなるらしい。まあ噂だし飛び降りたくなるって誰が聞いたのか。」


 優華は眉をひそめた。


「怖い話なんだけど……その霊に取り憑かれた子って、飛び降りる直前まで笑ってたって噂もあるんだよ」


 直道が思わず声をあげる。


「やめろよお前ら!入学早々そんな話すんなって!」


直道が言い始めた話ではあるが、怖くなったのか話を変えようとする。


「ごめんごめん」


優華が笑う。


「でもさ、旧校舎の入り口って今も開いてるって噂なんだよね」


 絵恋が真剣な顔で陽翔を見た。


「行ってみない?今から」


「えっ」直道が絶句する。


「昼間なら幽霊出ないでしょ?」絵恋がにっこり笑う。


 陽翔は心臓が強く打つのを感じていた。怖いはずなのに、奇妙に惹かれる気持ちがあった。自分の中でずっと渦巻いていた、この田舎の隠された闇を確かめたい――そんな衝動があった。


「……行ってみようか」陽翔はぼそりと言った。


「お、お前正気か!?」直道が叫ぶ。


直道は話したり聞いたりする分には楽しめるが、自信に降りかかるとなると尻込みしてしまう。小学校の時の林間学校の肝試しでも泣きじゃくってからかわれてた。


「せっかくだし」陽翔は肩をすくめた。


「昼間だし、大丈夫だって」


「よっしゃ!」絵恋が両手を叩く。


「決まり!」


「マジかよぉ……」直道は頭を抱えたが、優華に「怖いの?」と茶化されると顔を赤くした。


 四人は人がまばらになった校庭を抜け、旧校舎へ続く裏手の道へと歩き出した。


 桜の花びらが風に乗って流れる。空気がどこか冷たく変わった気がした。


 ほどなくして、旧校舎が視界に現れた。黒ずんだ外壁、割れた窓。建物の奥から、ひんやりと湿った風が吹きつける。


「……やっぱりやめようぜ」直道が震える声を出す。


 だが絵恋は先頭を歩き、旧校舎の扉に手をかけた。


 ギィイイ――


 錆びた蝶番が軋み、不気味な音が響く。


 その奥から、かすかに声がした。


『――いっしょに、こようよ』


 全員が凍りついた。


「……今、聞こえた?」優華が震える声で言った。


 陽翔は扉の向こうを凝視した。奥の暗がりの中に、何かがこちらを見ている気がする。


「聞こえた」陽翔は唇を噛んだ。


「やっぱり……本当にいるのかもしれない」


 そして四人は、暗い旧校舎へと足を踏み入れた――。

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田舎には変な噂が多い 高峰悠華 @Haruka_

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